81 / 200
セフィール家での休暇と想起の夏
フィオルド・セントマリアと記録石 1
しおりを挟む◆◆◆◆
――セフィール家に訪れることを、長年避けていた。
あの日。婚約者であるリリィにはじめてあった日。拒絶されたと、感じた時から。
私はセフィール家の客室の柔らかいソファに深く身を沈める。
ロイス公爵とリアン公爵夫人との食事が終わり、その後案内された部屋だ。
私のために準備をしてくれていたのだろう。清潔に整えられた客室は広く、リビングと寝室と、浴室がある。それからクローゼットが備え付けられている部屋には、私の荷物がすでに運ばれていた。
世話をしようとしてくれる侍女の方々に断りを入れて、一人きりになった。
昔から侍女を側に置くことをしなかった私は、大抵のことは一人でできる。
可能な限り一人でいたいと思っていた。
他者を拒絶しているわけではないが、その方が気が楽だった。
立場上、そういうわけにもいかないことも多かったのだが。
リリィとは客室の前で別れた。
一緒にいたい。ずっとその顔を見て、声を聞いて、触れていたい。
そう思いはするけれど、顔に出さないようにと気をつけた。
久しぶりにセフィール家に帰ってきたのだから、リリィも自由になりたいだろう。
長旅で疲れただろうし、昨日は明け方まで愛しさに任せてその体を貪ってしまった。
可愛くて愛しくて、幸せで欲しくて、欲しくて、――どうにかなってしまいそうだ。
リリィは疲れているだろう。ゆっくり休ませてやりたい。
私を好きだと言ってくれたリリィの、小さな唇や白い歯や、熟れた果実のように赤く瑞々しい舌を思い出す。
どんなに触れても足りなくて、もっと深く果てまで繋がりたいと、心の奥底から渇望している。
飢えも乾きもひどくなる一方で、満たされているはずなのに欲望には際限がない。
気持ちを落ち着かせるために風呂を済ませて、簡素な部屋着に着替えた。
もうあとは、眠るだけだ。夜も、遅い。
ベッドに入れば良いのだろうが、どうにも眠る気が起きずにソファに座ってぼんやりしていた。
「拒絶、されていたわけではないのだな……」
小さな声で呟く。
ソファの前のテーブルには、ワイングラスとボトルが置かれている。
セフィール公爵領は甘い赤ワインが有名で、城にもよく運ばれてくる。
デザート感覚で飲めるのが良いと、女性に人気らしい。
酒は、飲んだことがない。何かを楽しいと思うことが、今まであっただろうか。
娯楽に興じることは堕落のような気がして、禁忌だと思っていた。女性と話すことさえ、滅多なことではしなかった。
幼い頃から、それが庭でも城の廊下でも、どんな場所でもお構いなしに、女性の体を弄る父を見てきた。
酒を口にするとその行動はもっとひどくなる。
母は父を罵ることはなかったし、悲しそうな顔一つしたことはなかったが、きっと辛いのだろうなと考えていた。
どうしようもなく、愚かな男だと思っていた。
そして、私の婚約者にリリアンナ・セフィールが選ばれたと、父から伝えられた。
父はいつになく上機嫌だった。私は公爵家の娘たちの誰かと結婚することが定められている。誰でも良いと思っていた。
ただ、父のようになりたくなかった私は、婚約者ができたらその女性一人だけを愛そうと、心に誓っていた。
けれど――それは、かなわなかった。
リリィに会いに行く前に、父がリアン公爵夫人を、己の妹を若かりし頃にーー獣のように襲ったのだという噂を耳にした。
2
お気に入りに追加
2,081
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
元婚約者が愛おしい
碧桜 汐香
恋愛
いつも笑顔で支えてくれた婚約者アマリルがいるのに、相談もなく海外留学を決めたフラン王子。
留学先の隣国で、平民リーシャに惹かれていく。
フラン王子の親友であり、大国の王子であるステファン王子が止めるも、アマリルを捨て、リーシャと婚約する。
リーシャの本性や様々な者の策略を知ったフラン王子。アマリルのことを思い出して後悔するが、もう遅かったのだった。
フラン王子目線の物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる