77 / 200
セフィール家での休暇と想起の夏
レランディア公爵家とセフィール公爵家 1
しおりを挟むロイスお父様は椅子から立ち上がると、お母様の両肩に手を添えた。
お母様は目を伏せたままお父様の手に自分の手を重ねて、どこか安堵したように口元に笑みを浮かべた。
「それについては、僕も同じだよ。リアンさんのためだと思って、セフィール家は他の公爵家や貴族たちと、あまり関わりを持たないようにしていた。そして、今まで僕たちとバルツス皇帝陛下の間に何があったのか、リリィに伝えることはしなかった。……フィオルド君は、リリィは知っているものと思っていたんだろう?」
「そうですね。バルツスが、リアン皇女様を、他の女性たちと同じようにその毒牙にかけようとしたと。……私はバルツスの息子として、セフィール家から嫌悪されているだろうと考えていました」
お父様のゆったりとした声に、フィオルド様が答える。
お父様の声というのはのんびりしているせいで、いつもどこか緊張感に乏しいのだけれど、いつでも落ち着いていて感情的にならないお父様に、お母様はもしかしたら、救われていたのかもしれないなと思う。
そうでなければきっと、皇帝陛下とお父様は、血を流して、争うことになっていたかもしれない。
「……私とリリィとの婚約は、バルツスのーーリアン公爵夫人への執着の一端なのだと。なんと浅ましいことかとも思っていました。それでも私は、リリィに恋をしました。嫌悪されているのだろうと、理解しているのに、リリィを手放そうとは思えなかったのです」
「感情というのは、難しい。理性や、それから、理想などでは、制御できない時があるものだよ。皇帝陛下を反面教師として、己を律して生き続けてきたフィオルド君にそこまで思われて、リリィは幸せだろう」
「はい……すごく、幸せです」
緊迫した雰囲気なのに、私は頬をおさえて口元をだらしなく緩めた。
だって、嬉しいのよ。
フィオルド様が私を好きでいてくださって、嬉しい。けれど同時に、フィオルド様を傷つけていたことに気づかなかったことが、悲しい。
何も知らなかったせいで、知ろうともしなかったせいで、フィオルド様の痛みはもっと深く、苦しいものになってしまった。
だって、フィオルド様は私が、フィオルド様のことを嫌っていると思っていたのよね。
実際はそうではなかったのだけれど、そう思われて当然な態度を、私は取り続けていたもの。
フィオルド様が怖くて目も合わせなかったし、ろくに挨拶もできなかったし、微笑んだりも、できなかった。
私はいつも不機嫌そうに見えていたはずで――挙げ句の果てに、フィオルド様は私が、他の男性たちに、フィオルド様への当てつけのように、縋って、媚びて、関係を持っていたと思っていたのだから。
皇帝陛下の浮気癖を見て育ったフィオルド様にとって、それがどれほど辛いことだったかと思う。
女性に対する欲望がまるで暴力と同義のように、フィオルド様にとっては禁忌に感じられていたのだろう。
女性をいっさい傍に近づけずに、潔癖なぐらいに自分を律していたフィオルド様なのだから、私の顔を見るたびに、きっと苦しいぐらいの嫌悪感を感じていたのではないかしら。
「……私、フィオルド様をずっと、苦しめていて……それなのに、フィオルド様が、好きで、ごめんなさい……」
フィオルド様の気持ちが、胸がいっぱいになるぐらいに嬉しいのに、同時に、とても悲しい。
自分が情けなくて、嫌になる。
私の弱さは、お父様とお母様のせいじゃない。
そんなことを言い訳にして、フィオルド様を苦しめたことを、なかったことにしたくない。
「リリィ、……お前を苦しめたのは、私の方だ。私は自分で自分の首を絞めるように、自己嫌悪と思い込みの檻の中にずっと閉じこもっていた。お前を手放したくなくて、お前と向き合うことから逃げていた」
「でも、私……逃げていたのは、私の方で……」
嬉しいのに悲しくて、涙がこぼれそうになる。
あらためてお母様からお話を聞いたことで、フィオルド様の痛みがまるで自分のものになったように、その心を思うと、息ができないぐらいに苦しい。
フィオルド様は私の涙を、そっと指で拭ってくださった。
「私を嫌悪するお前が他の男に心を奪われていると思うと、お前に受け入れて貰えない苦しさが、全て憎しみに変わって……少し、気持ちが楽になった気がした。それを言い訳にしてしまえば、愛されないことに理由ができる。今思えば、私はその言い訳に、縋っていた。……どうしようもない、愚か者だな、私は」
「フィオルド様……私はきっと、誰にも愛されないって、諦めていました。フィオルド様にも嫌われていて。自分に自信がなくて。お話も下手だし、顔だって、こわいし。こんな私を愛してくれる人なんて誰もいないって、ずっと、逃げていたんです。そうすると、楽だったから。……私も、一緒です。だから、だから」
「リリィ……ありがとう。お前がそうして気持ちを伝えてくれるのは、私のためなのだと思うと、私はお前にとって特別な存在になれたような気がする。私の勘違いでなければ、嬉しい」
切なげに微笑むフィオルド様があまりにも綺麗で、いますぐ抱きしめたくなってしまう。
21
お気に入りに追加
2,081
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
元婚約者が愛おしい
碧桜 汐香
恋愛
いつも笑顔で支えてくれた婚約者アマリルがいるのに、相談もなく海外留学を決めたフラン王子。
留学先の隣国で、平民リーシャに惹かれていく。
フラン王子の親友であり、大国の王子であるステファン王子が止めるも、アマリルを捨て、リーシャと婚約する。
リーシャの本性や様々な者の策略を知ったフラン王子。アマリルのことを思い出して後悔するが、もう遅かったのだった。
フラン王子目線の物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる