最強の私と最弱のあなた。

束原ミヤコ

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お母様とご飯

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 楽を追求したような大きくて趣味の悪い服と、下着やら、靴下やらを分類してクローゼットに仕舞い込み終わると、すっかり日が暮れていた。
 よくよく考えたら、いまだに天井から不気味に紐が垂れ下がっていて、ぷらんぷらんしている。
 怖いわね。

「疲れた……服をたたむのって結構疲れるのね。い、いえ、疲れてなどいないわ。私がこれしきのことで疲れるものですか……」

 床の上に仰向けに寝転がっていると、天井から伸びる紐が目に入っていけない。
 私が頑張っている間、サリエルときたらずっと何かを書いたり、ノートパソコンで何かを調べたりしていた。
 役立たずである。

「サリー、あの縄。あれだけ、どうにかしてちょうだい。不吉すぎる」

「あぁ、そうだな。それは手伝おう。疲れ果てた君が、椅子の上に立って転んで、腰を打って怪我をしたらいけない」

 サリエルがパチンと指を鳴らすと、天井の縄が一瞬で消えた。
 良かった。天井から自死のための縄が下がった部屋で生活するとか、嫌よね。
 私は人間には強いけれど、不吉なものは得意じゃないのよ。
 ところで私は今床に寝ているのよね。
 とても不本意。自分で自分が許せない。
 けれど、今日だけは許して私。とっても疲れた。心も体もぐったりなのよ。
 もう指先一本も動かしたくない。

「果林ちゃん、ご飯できたわよ」

 見知らぬ女性の声が聞こえた。
 ふと見ると、扉が開いていた。
 薄暗い部屋に、廊下から光が差し込んでいる。
 光の中にいるのは、中年の女性だ。どことなく、果林に似ている。けれど果林のようにふくよかではない。
 きちんとスーツを着ていて、髪も結いているし、化粧もしている。

「お母様」

「やだ、お母様なんて。どうしちゃったの?」

 女性は、明るい声で笑った。
 この方は、お母様。果林の母親だ。
 何か問題があるような人には見えないのだけれど、その顔を見た途端に果林の心が重たく沈み込んでいることに気づいた。
 困ったわね。あなたは、家族が全員敵なのかしらね。
 そういえば部屋にサリエルがいるのだけれど、姿を見られても大丈夫なのかしら。
 見知らぬ男性を部屋に連れ込んでいるということになるのではないかしら。

 私はのそのそと起き上がった。
 ベッドの上にはやっぱりサリエルが座っている。
 けれど、どうやらお母様には見えていないらしかった。まぁ、天使なのだから、そういうこともあるのだろう。

「果林ちゃん、お風呂に入ったの?」

「ええ、入りましたわ、お母様」

「どうしたの、その話し方。お兄ちゃんが果林ちゃんがおかしいって怒っていたけれど、また喧嘩しちゃったの?」

 お母様は困ったように言った。
 どうにも、小さな子供に話すような話し方ね。
 私は、というか、果林はもう十六歳なのに。ものすごく子供扱いされている気がする。
 私の国では十六歳というのは大人だ。十五歳から婚姻に耐えうる年齢とされているので、お母様やお父様は私を大人として扱ってくれていた。
 もちろん、十六歳の私はすでに基礎教育や王妃教育を終えていた。
 セルジュ様は私よりも四つ年上だったので、十五歳で婚姻を結ぶのは私が可哀想だと言って、十六歳まで待っていてくれたのである。
 というのは建前で、本当は私のことが嫌いだったのかもしれない。
 だって、婚約は破棄されたのだから。
 死んでしまった今となっては、もうどうでも良いことだけれど。

「喧嘩はしていませんわ、お母様」

「でも、果林ちゃん」

 狭い廊下を歩いて、階段を降りながら、私は一度口を閉じた。
 どうにもこの話し方は良くないようだ。

「お兄ちゃんは、受験生で大事な時期なの。果林ちゃんは邪魔をしないでね。果林ちゃんには期待していないから良いけど、お兄ちゃんは頭が良いから」

 てっきりお母様は果林の味方をするのかなと思ったのだけれど、そういうわけでもなさそうだ。
 私は心の中で「あらまあ」と嘆息した。

「お兄ちゃんは、ご飯いらないって。果林ちゃんは、食べるわよね」

 私のことを今愚弄した気がするのだけれど、お母様は全く悪気がなさそうね。
 日常会話を普通に続けてくるので、私は呆れ果てながら、心の中で果林に話しかけた。

(これは、なかなかどうして、ひどいわね。あなたが、人生やめたくなる気持ちも少し理解できた気がするわよ)

 でも、頭が悪いことをお母様に残念がられているのなら、努力をしたらどうなのかしら。
 努力でどうにかできないぐらいに、頭が悪いのかしらね、果林は。

 リビングと繋がっているダイニングテーブルには、それはそれはたくさんのご飯が用意されていた。
 大皿に、茶色いものがたくさん。
 そして、白いご飯。

「唐揚げと、コロッケと、フライドポテトもあるわよ。それから、肉じゃがと、豚の角煮。好きでしょう、果林ちゃん」

 喉が、ごくりと鳴った。
 いえ、食べたことはないのだけれど、これは美味しいものだと、本能が告げている。
 食卓には、私とお母様しかいない。
 量が多すぎやしないかしら。

「お母さんの作ったご飯、果林ちゃんしか食べてくれないの。だから、今日もたくさん食べてね」

 お母様はなんとも言い難い笑みを浮かべて、私を見ている。
 私は食卓のご飯とお母様を交互に見つめた。
 いえ、これ、全部食べたらどう考えても太るわよね。
 善意なのかしら、これは。
 わからないわ。

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