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クロヴィス・ラシアンは心配性 5
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気が重かったが、シグルーンにそれが一番手っ取り早い方法だと言われて、頷くしかなかった。
学園に向かう足が重い。リラのためにリラを裏切るのか。図らずしも、俺が一番拒否したかった状況に自ら足を踏み入れようとしていた。
だが、俺が自ら動く前に、エイダ・ディシートの方から俺の元へとやってきた。
「クロヴィス様、リラ様のこと……、ご心配でしょう」
エイダに誘われるまま、俺は学園の裏庭へと向かった。二人で話をしたいと言われたので、都合が良かった。
誰もいない中庭で、エイダは俺の手を握ると猫なで声で言った。
まるで人形にでも触られているようだ。何も感じない。リラの手は、小さくて柔らかくて、あたたかかった。ずっと、触れていない。
せっかく――リラが、俺のことが好きだと言ってくれたのに。
あれは崖から落ちたことや魔獣に襲われた恐怖で混乱していて、だから助けに来た俺に甘えてくれたというだけかもしれないけれど、それでも嬉しかった。
口付けも――触れるだけのものだったが、することができた。
あれ以上は歯止めが利かなくなりそうで、なんとか我慢した。
それなのに、どうして俺はこんなところでエイダに手を握られているのだろう。いっそ、エイダの首を絞めて脅し、罪を白状しろと迫ったらどうだろう。それが一番手っ取り早いのではないだろうか。
「あの、私……、少しでもクロヴィス様の心が慰められるように、良いものを持ってきましたの」
「それは、ありがとう。気を使ってくれて、嬉しい」
心にもないことを、口にした。
お前は俺の番だと言わなければいけないのだろうが、どうにも言う気になれない。
エイダは制服のポケットから、小さな袋を取り出した。
薄桃色のリボンで口を閉じられた小袋からは、妙に甘ったるい香りがした。
「……クロヴィス様。私を見て」
「……っ」
その袋を強引に俺に押し付けるようにしながら、エイダは俺の顔を見上げる。
頭が霞みがかったようにくらりとした。一瞬だけ、エイダがとても魅力的な女性のように思えた。
だが、――それだけだった。
なんだ、こんなものかと思った。
おそらく小袋の中身は、魅了の香かなにかだろう。
嗅覚の発達している半獣族にとっては、かなり効果の強いものだ。
しかし、リラに対する感情に比べれば、エイダに感じた魅力などは砂粒のようなものだ。
俺は番という存在をずっと気に病んでいたが、――獣の本能など、俺のリラに対する欲望に比べたら随分と矮小でくだらないなと、失笑した。
だが、ちょうど良い。
「……エイダ。……俺は、何故今まで気づかなかったのか。お前が俺の、番だと言うことに」
薄ら寒い演技だった。
けれど、エイダはとても嬉しそうに、それこそ恋する女のような顔で微笑んだ。
醜悪だなと思った。
それからの日々は、最低の一言に尽きる。
エイダは毎日俺に会いに来た。俺からエイダに近づく必要が無いので、楽と言えば楽だった。
ミレニアは俺の態度に「リラ様に言いますから!」と怒っていたようだが、フィオルは事情を察したらしく、ミレニアを窘めていた。
エイダはどうやら俺を疑っているようだ。エイダが疑っているのか、ディシード侯爵が疑っているのかは分からないが、ディシード家の見張りが俺の行動を見ていることにすぐに気づいた。
行動に細心の注意を払い、常にエイダが優先だというように振舞った。当然リラには会いに行けず、――苛立ちばかりが募っていった。
そして、とうとうリラが学園に戻ってきた。
本当は迎えに行きたかった。療養中も心細かっただろうに、声をかけることも手紙を出すことさえできなかった。
二度と寂しい思いをさせないと約束したのに、事情があるとはいえ裏切ってしまった。
謝っても謝りきれない。全てが解決したら、今までの分も含めて何倍も、リラに愛を捧げなければ。
魅了の香についてはシグルーンに調べさせた。
あれも戦争時代の負の遺産の一つで、半獣族を『番』というその特性を操り服従させるために、人族が魔法によって作り出した、失われた技術なのだという。
だとしたら、古の王も――魅了をされていただけではないのか。
今となっては分からないが俺はエイダと共にいてもずっと正気だった。リラだけを愛している。それならば――怖いことはなにもない。
いつの間にか、夢を見る回数が減っていた。
リラが俺とエイダの姿を見て、走り去ったことに気づいていた。
すぐに後を追いかけたかったが、できなかった。
今すぐ俺の足の上に座っているこの女を床に叩きつけてやろうかと思ったが、あと少しだと思い、耐えた。
突然降り出した雨には、リラの魔力の気配が満ちていた。
リラのことは、シグルーンに頼んである。どこに行ったかは分からないが、多分大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせる。
その日、俺はエイダに誘われ、エイダの部屋に行った。
エイダが着替えている間に部屋を探り、クローゼットに仕舞われた鞄の奥底から、魔獣が封じられた宝石を見つけ出すことができた。
宝石からは禍々しい魔力が感じられたので、探し出すのは左程手間ではなかった。
フィオルや俺のように、誰でも魔力を感じられるというわけではない。魔力量と資質に、魔力に対する感受性は左右される。今まであまり意識したことはなかったが、案外役に立つものだ。
宝石を手に入れた俺は、エイダの部屋を出た。
エイダは何かを期待するようにべたべたと俺に触ってきたが、「お前を大切にしたい」などと適当に誤魔化すと、簡単に騙されてくれた。
そうして寮の階段を降りている最中、リラとすれ違った。
リラは喫茶店で見た男の腕に抱かれていた。
殺したい、と思った。
誰を――というのは、明確には分からない。
それは男かもしれないし、エイダなのかもしれない。
それとも、俺自身か――リラのことを、なのか。
リラは俺のものだ。憎しみに似た激情に体を支配されそうになる。
けれど、ここまで耐えたのだからと、なんとか感情を押し殺していた。
――大丈夫だ。
――俺は、罪深い王にはならない。
大切なものを、大切だからと、壊したりしない。
そう自分に言い聞かせた。
学園に向かう足が重い。リラのためにリラを裏切るのか。図らずしも、俺が一番拒否したかった状況に自ら足を踏み入れようとしていた。
だが、俺が自ら動く前に、エイダ・ディシートの方から俺の元へとやってきた。
「クロヴィス様、リラ様のこと……、ご心配でしょう」
エイダに誘われるまま、俺は学園の裏庭へと向かった。二人で話をしたいと言われたので、都合が良かった。
誰もいない中庭で、エイダは俺の手を握ると猫なで声で言った。
まるで人形にでも触られているようだ。何も感じない。リラの手は、小さくて柔らかくて、あたたかかった。ずっと、触れていない。
せっかく――リラが、俺のことが好きだと言ってくれたのに。
あれは崖から落ちたことや魔獣に襲われた恐怖で混乱していて、だから助けに来た俺に甘えてくれたというだけかもしれないけれど、それでも嬉しかった。
口付けも――触れるだけのものだったが、することができた。
あれ以上は歯止めが利かなくなりそうで、なんとか我慢した。
それなのに、どうして俺はこんなところでエイダに手を握られているのだろう。いっそ、エイダの首を絞めて脅し、罪を白状しろと迫ったらどうだろう。それが一番手っ取り早いのではないだろうか。
「あの、私……、少しでもクロヴィス様の心が慰められるように、良いものを持ってきましたの」
「それは、ありがとう。気を使ってくれて、嬉しい」
心にもないことを、口にした。
お前は俺の番だと言わなければいけないのだろうが、どうにも言う気になれない。
エイダは制服のポケットから、小さな袋を取り出した。
薄桃色のリボンで口を閉じられた小袋からは、妙に甘ったるい香りがした。
「……クロヴィス様。私を見て」
「……っ」
その袋を強引に俺に押し付けるようにしながら、エイダは俺の顔を見上げる。
頭が霞みがかったようにくらりとした。一瞬だけ、エイダがとても魅力的な女性のように思えた。
だが、――それだけだった。
なんだ、こんなものかと思った。
おそらく小袋の中身は、魅了の香かなにかだろう。
嗅覚の発達している半獣族にとっては、かなり効果の強いものだ。
しかし、リラに対する感情に比べれば、エイダに感じた魅力などは砂粒のようなものだ。
俺は番という存在をずっと気に病んでいたが、――獣の本能など、俺のリラに対する欲望に比べたら随分と矮小でくだらないなと、失笑した。
だが、ちょうど良い。
「……エイダ。……俺は、何故今まで気づかなかったのか。お前が俺の、番だと言うことに」
薄ら寒い演技だった。
けれど、エイダはとても嬉しそうに、それこそ恋する女のような顔で微笑んだ。
醜悪だなと思った。
それからの日々は、最低の一言に尽きる。
エイダは毎日俺に会いに来た。俺からエイダに近づく必要が無いので、楽と言えば楽だった。
ミレニアは俺の態度に「リラ様に言いますから!」と怒っていたようだが、フィオルは事情を察したらしく、ミレニアを窘めていた。
エイダはどうやら俺を疑っているようだ。エイダが疑っているのか、ディシード侯爵が疑っているのかは分からないが、ディシード家の見張りが俺の行動を見ていることにすぐに気づいた。
行動に細心の注意を払い、常にエイダが優先だというように振舞った。当然リラには会いに行けず、――苛立ちばかりが募っていった。
そして、とうとうリラが学園に戻ってきた。
本当は迎えに行きたかった。療養中も心細かっただろうに、声をかけることも手紙を出すことさえできなかった。
二度と寂しい思いをさせないと約束したのに、事情があるとはいえ裏切ってしまった。
謝っても謝りきれない。全てが解決したら、今までの分も含めて何倍も、リラに愛を捧げなければ。
魅了の香についてはシグルーンに調べさせた。
あれも戦争時代の負の遺産の一つで、半獣族を『番』というその特性を操り服従させるために、人族が魔法によって作り出した、失われた技術なのだという。
だとしたら、古の王も――魅了をされていただけではないのか。
今となっては分からないが俺はエイダと共にいてもずっと正気だった。リラだけを愛している。それならば――怖いことはなにもない。
いつの間にか、夢を見る回数が減っていた。
リラが俺とエイダの姿を見て、走り去ったことに気づいていた。
すぐに後を追いかけたかったが、できなかった。
今すぐ俺の足の上に座っているこの女を床に叩きつけてやろうかと思ったが、あと少しだと思い、耐えた。
突然降り出した雨には、リラの魔力の気配が満ちていた。
リラのことは、シグルーンに頼んである。どこに行ったかは分からないが、多分大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせる。
その日、俺はエイダに誘われ、エイダの部屋に行った。
エイダが着替えている間に部屋を探り、クローゼットに仕舞われた鞄の奥底から、魔獣が封じられた宝石を見つけ出すことができた。
宝石からは禍々しい魔力が感じられたので、探し出すのは左程手間ではなかった。
フィオルや俺のように、誰でも魔力を感じられるというわけではない。魔力量と資質に、魔力に対する感受性は左右される。今まであまり意識したことはなかったが、案外役に立つものだ。
宝石を手に入れた俺は、エイダの部屋を出た。
エイダは何かを期待するようにべたべたと俺に触ってきたが、「お前を大切にしたい」などと適当に誤魔化すと、簡単に騙されてくれた。
そうして寮の階段を降りている最中、リラとすれ違った。
リラは喫茶店で見た男の腕に抱かれていた。
殺したい、と思った。
誰を――というのは、明確には分からない。
それは男かもしれないし、エイダなのかもしれない。
それとも、俺自身か――リラのことを、なのか。
リラは俺のものだ。憎しみに似た激情に体を支配されそうになる。
けれど、ここまで耐えたのだからと、なんとか感情を押し殺していた。
――大丈夫だ。
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