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星の舞踏曲
しおりを挟む街から離れるように、丘をあがっていく。
ゆるやかな上り坂の道の横は、農地や牧草地になっている。
開墾された平たい土地が続いていたかと思うと木々が現れる。
農地の向こう側には手つかずの自然が残っているようだった。
ここも誰かの土地なのだろう。道から外れて森に向かった。
ともかく、一人になりたかった。
両親の葬儀から目まぐるしく続く日々の中で、サフォンのいうように何もせずにただじっとしているような時間はとれなかった。
忙しなかったということもあるが、サフォンや家人たちが俺を心配し、常に誰かが傍にいるようになったからだ。
声がでないせいだろう。特に侍女たちは俺を哀れみ、まるで腫れ物を触るように扱った。
「……」
牧場を突っ切るように進んでいくと、森の小道が現れる。
道を外れない限りは、森の中で迷うことはない。
だが念のために、地形や木の形など目印になるようなものを確認しながら、慎重に森の奥に進んだ。
一人きりになると、森の木々のさざめきが耳によく響いた。
歩いていると、様々な記憶が脳裏を過る。言葉は口からでないが、頭の中は己の声でやかましいぐらいだ。
嘲笑するクオンツの顔を思い出した。勇ましく前に出る父の背を思い出した。
ジェイド殿下のように激高することはできなかったが、あの時俺も確かに憤っていた。
激高することができなかったのは、声がでなくなっていたからか。
苛立ちも憎しみも口にすることができず、大声を出して泣き叫ぶことができればまだ気が晴れたのかもしれないが、それもできなかった。
ミランティス家の当主として、そのような醜態を晒したくない。
俺は苛立っているのだろう。悲しんでいるのだろう。憎んでいるのだろう。
そう自問自答をしている時点で両親の死が他人事のように感じられて、そんな自分自身にも嫌悪が湧いた。
一人になっても、嫌なことばかりが胸中を支配する。暗澹たる気持ちで息をついた俺の耳に、明るく軽やかで、生き生きとした音が聞こえてきた。
「……?」
こんなところで何故、楽器の音がするのだろう。
ヴァイオリンの音である。
耳を澄ませていると、最初はつっかえながら何度か音を飛ばし、そして不協和音が奏でられた。
音の主は同じ曲を何度も繰り返し、やがてそれは鮮やかな音色へと変わっていった。
音は小道の先から聞こえてくる。誘われるように進んでいくと、視界が開けた。
そこは、世界を見下すことができるような場所だった。
行き止まりになっている丘だ。崖下には木々が広がっている。
名も知らない花が咲き、白い蝶がひらひらと舞っている。
子羊たちやリスたちや、子犬やウサギなどが、花畑の中で走り回り遊んでいる。
その中心に、少女が立っていた。
一瞬、異界に迷い込んでしまったのかと思った。森を抜けた先は、神話の神々が住んでいる楽園になっているのかと。
両親が俺をそこに招いたのかと思った。
なんとも夢見がちな思考ではあるが、花畑の中で動物たちを引き連れて楽器を弾いている愛らしい少女――なんてものを見たのは、それがはじめてだったのだ。
少女は眺める俺に気づかずに、熱心にヴァイオリンを弾き続けている。
練習曲としてもよく使用されている『星の舞踏曲』という曲だ。
何度か聞いたことがある。だが、少女の奏でるそれは今まで聞いたどの演奏よりも、楽しさと明るい喜びに満ちている。
心が湧きたつような、音だった。
このままずっと、演奏が続いて欲しい。終わらないで欲しい。ずっと、見ていたい。
不意に、そんな欲求が湧き起こるのを感じた。
両親を失ってから、何かを楽しいと思うことなどなかったように思う。
何を聞いても何を見ても、激しく感情が揺さぶられるようなことはなかった。
言葉がでないのと同じように、感情も心の奥で閉じられてしまったのかと思っていた。
だが、少女の奏でる星の舞踏曲を聞いていると――切ないような、悲しいような、それから酷く愛しいような、複雑な感情が胸を支配した。
俺よりも、年下だろうか。同い年ぐらいだろうか。
俺は発育が遅く、少女よりも背が低い。女児は男児よりも先に背が伸びるのだと、背が伸びないことを気にしている俺に母は微笑みながらよく言っていた。
ミルクティーのようなふわりとした髪に、健康そうな薔薇色の頬。
演奏に集中していた少女の目がぱちりと開いた。
弓をヴァイオリンの弦から離してヴァイオリンを肩からおろすと、視線を巡らせる。
目が合うと、鳶色の瞳を大きく見開いた。
「――聴いていましたか? まだ練習中なので、すごく恥ずかしいです」
顔立ちと同じように、甘く愛らしい声でそう言って、少女ははにかんだように微笑んだ。
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