上 下
50 / 84

星の舞踏曲

しおりを挟む


 街から離れるように、丘をあがっていく。
 ゆるやかな上り坂の道の横は、農地や牧草地になっている。

 開墾された平たい土地が続いていたかと思うと木々が現れる。
 農地の向こう側には手つかずの自然が残っているようだった。

 ここも誰かの土地なのだろう。道から外れて森に向かった。
 ともかく、一人になりたかった。

 両親の葬儀から目まぐるしく続く日々の中で、サフォンのいうように何もせずにただじっとしているような時間はとれなかった。

 忙しなかったということもあるが、サフォンや家人たちが俺を心配し、常に誰かが傍にいるようになったからだ。
 声がでないせいだろう。特に侍女たちは俺を哀れみ、まるで腫れ物を触るように扱った。
 
「……」
 
 牧場を突っ切るように進んでいくと、森の小道が現れる。
 道を外れない限りは、森の中で迷うことはない。
 だが念のために、地形や木の形など目印になるようなものを確認しながら、慎重に森の奥に進んだ。

 一人きりになると、森の木々のさざめきが耳によく響いた。
 歩いていると、様々な記憶が脳裏を過る。言葉は口からでないが、頭の中は己の声でやかましいぐらいだ。

 嘲笑するクオンツの顔を思い出した。勇ましく前に出る父の背を思い出した。

 ジェイド殿下のように激高することはできなかったが、あの時俺も確かに憤っていた。
 激高することができなかったのは、声がでなくなっていたからか。

 苛立ちも憎しみも口にすることができず、大声を出して泣き叫ぶことができればまだ気が晴れたのかもしれないが、それもできなかった。

 ミランティス家の当主として、そのような醜態を晒したくない。
 
 俺は苛立っているのだろう。悲しんでいるのだろう。憎んでいるのだろう。
 そう自問自答をしている時点で両親の死が他人事のように感じられて、そんな自分自身にも嫌悪が湧いた。

 一人になっても、嫌なことばかりが胸中を支配する。暗澹たる気持ちで息をついた俺の耳に、明るく軽やかで、生き生きとした音が聞こえてきた。

「……?」

 こんなところで何故、楽器の音がするのだろう。
 ヴァイオリンの音である。
 耳を澄ませていると、最初はつっかえながら何度か音を飛ばし、そして不協和音が奏でられた。

 音の主は同じ曲を何度も繰り返し、やがてそれは鮮やかな音色へと変わっていった。

 音は小道の先から聞こえてくる。誘われるように進んでいくと、視界が開けた。

 そこは、世界を見下すことができるような場所だった。
 行き止まりになっている丘だ。崖下には木々が広がっている。
 
 名も知らない花が咲き、白い蝶がひらひらと舞っている。
 子羊たちやリスたちや、子犬やウサギなどが、花畑の中で走り回り遊んでいる。

 その中心に、少女が立っていた。
 一瞬、異界に迷い込んでしまったのかと思った。森を抜けた先は、神話の神々が住んでいる楽園になっているのかと。
 両親が俺をそこに招いたのかと思った。

 なんとも夢見がちな思考ではあるが、花畑の中で動物たちを引き連れて楽器を弾いている愛らしい少女――なんてものを見たのは、それがはじめてだったのだ。

 少女は眺める俺に気づかずに、熱心にヴァイオリンを弾き続けている。
 練習曲としてもよく使用されている『星の舞踏曲』という曲だ。

 何度か聞いたことがある。だが、少女の奏でるそれは今まで聞いたどの演奏よりも、楽しさと明るい喜びに満ちている。
 心が湧きたつような、音だった。

 このままずっと、演奏が続いて欲しい。終わらないで欲しい。ずっと、見ていたい。
 不意に、そんな欲求が湧き起こるのを感じた。

 両親を失ってから、何かを楽しいと思うことなどなかったように思う。
 何を聞いても何を見ても、激しく感情が揺さぶられるようなことはなかった。
 
 言葉がでないのと同じように、感情も心の奥で閉じられてしまったのかと思っていた。

 だが、少女の奏でる星の舞踏曲を聞いていると――切ないような、悲しいような、それから酷く愛しいような、複雑な感情が胸を支配した。

 俺よりも、年下だろうか。同い年ぐらいだろうか。
 俺は発育が遅く、少女よりも背が低い。女児は男児よりも先に背が伸びるのだと、背が伸びないことを気にしている俺に母は微笑みながらよく言っていた。

 ミルクティーのようなふわりとした髪に、健康そうな薔薇色の頬。
 
 演奏に集中していた少女の目がぱちりと開いた。
 弓をヴァイオリンの弦から離してヴァイオリンを肩からおろすと、視線を巡らせる。
 目が合うと、鳶色の瞳を大きく見開いた。

「――聴いていましたか? まだ練習中なので、すごく恥ずかしいです」

 顔立ちと同じように、甘く愛らしい声でそう言って、少女ははにかんだように微笑んだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

「本当に僕の子供なのか検査して調べたい」子供と顔が似てないと責められ離婚と多額の慰謝料を請求された。

window
恋愛
ソフィア伯爵令嬢は公爵位を継いだ恋人で幼馴染のジャックと結婚して公爵夫人になった。何一つ不自由のない環境で誰もが羨むような生活をして、二人の子供に恵まれて幸福の絶頂期でもあった。 「長男は僕に似てるけど、次男の顔は全く似てないから病院で検査したい」 ある日ジャックからそう言われてソフィアは、時間が止まったような気持ちで精神的な打撃を受けた。すぐに返す言葉が出てこなかった。この出来事がきっかけで仲睦まじい夫婦にひびが入り崩れ出していく。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています

オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。 ◇◇◇◇◇◇◇ 「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。 14回恋愛大賞奨励賞受賞しました! これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。 ありがとうございました! ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。 この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。

バナナマヨネーズ
恋愛
 とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。  しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。  最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。  わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。  旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。  当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。  とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。    それから十年。  なるほど、とうとうその時が来たのね。  大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。  一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。 全36話

処理中です...