冬の水葬

束原ミヤコ

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夏の海

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 茹だるような熱さの、良く晴れた夏の日。
 私と凪先輩は、冷房で極限まで冷やされた電車に揺られていた。

 皐先輩のことを八音部長に聞いた日から、八音部長は私をいつも以上に気にかけてくれているようだった。

 凪先輩は相変わらず、皐先輩の絵を描き続けていた。
 その絵をわざわざ覗くようなことを私はしなかった。見てしまえば――八音部長の言うように、私も絵の中の皐先輩に引きずり込まれてしまうような気がしていたからだ。

 あの日見た皐先輩の姿は、私の中では幽霊ということで片付けられていた。
 思いの強い場所に、亡くなった人はしばらくとどまるのだという。
 心霊好きなクラスメイトがそんなことを教えてくれたので、そういうこともあるのかもなぁ、と納得した。

 あれ以来、皐先輩の姿は見ていない。
 どうして死んでしまったのかは分からないけれど――綺麗で優しそうな人だったなと思う。

「眠くないか、七瀬」

 電車に揺られてぼんやりしていた私に、凪先輩が尋ねた。
 ビルや家々の並んだ街から、山や畑が並んだ風景に景色が変わるにつれて、電車に乗る人はどんどん減っていって、今はもうこの車両には私と凪先輩、それからおばあちゃんが一人しか乗っていない。

「ちょっと眠くなってきましたねぇ……」

 ふぁ、と欠伸を一つする。
 通学の時にはまず座席になんて座れないから、こうしてふかふかの座席に座って電車に揺られていると、眠気がふわりと全身を包みはじめる。

「どこに行くんですか、凪先輩」

 眠ってしまうのを防ぐために、私は口を開いた。
 凪先輩から、『出かけよう』というメールが来たのは、つい昨日。
 夏休み真っ盛りな私は、期末試験からも追試からも解放されて、久々の自由を満喫していた。
 週四日のファストフード店でのアルバイト以外は、特に何にもせずに家でぼんやりする日々だった。

 中学の頃の友人達とは疎遠になり、高校でできた新しい友人達は塾や勉強で忙しい。
 七瀬ちゃんは夏休みはどうしているのかと聞かれたので、「アルバイトと、宿題を頑張るよ!」と答えたら、皆に七瀬はそのままでいて欲しいと、言われた。

 成績争いをしている殺伐としたクラスに私みたいなのが一人いると、雰囲気が和らぐのだと、先生も言ってくれた。
 皆にとって私は、物珍しい珍獣のような物なのだろう。
 
 そんなわけで凪先輩からのお誘いに、私は一も二もなく飛びついた。

 思うところは色々あったけれど――亡くなってしまった皐先輩を、凪先輩が想い続けているというのなら、私には勝てる要素なんてない。

 私は、舞台の幕があがるまえから負けていて、舞台に立つことさえできなかった。
 それならせめて、凪先輩にとっての気安い幼馴染みであり続けたいと思う。

 ――そうじゃなければ、凪先輩も、いつか寒い海の底へ落ちてしまうような、漠然とした不安があった。

「あと少しでつく。海に、行こうかと思って」

 凪先輩は、なんでもないことのように言った。
 もしかして、凪先輩は八音部長から何か言われたのだろうか。

 海に、行く。

 心の中に芽生えた不安の種を押し隠しながら、私は微笑んだ。

「海ですか、良いですね。もう海開きしていますから、海の家、ありますよね。かき氷食べたいなぁ」

「そうだな。……もうずっと、夏の海には行っていない。七瀬もだろう?」

「そうそう。私、水着とか着たくないんですよね。人様に見せられるような体じゃないですし」

「……七瀬の傷は、もう、癒えたのか?」

 凪先輩は何か私に尋ねたようだったけれど、長いトンネルに入ってしまって、凪先輩の言葉は私には届かなかった。
 暗いトンネルにはいると、正面の窓に並んで座る私たちの姿が映る。
 首の開いた半袖のシャツを着た凪先輩の隣に、癖のある髪を軽く縛った、Tシャツとハーフパンツの私が映っている。
 落ち着きのある大人っぽい凪先輩の隣に座る私は、まるで本物の兄妹に見えた。

 やっぱり、私はどうあがいても凪先輩の特別にはなれない。

 けれど――妹みたいな存在としてこうしてお出かけに誘ってくれるのなら、それで良いかとも思う。

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