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夜空を見上げる 2
しおりを挟む上気した頬や潤んだ瞳に、気づかないで欲しい。
だって、あまりにも恥ずかしい。
「もう一つ、隠していることがある。……リコリスにも、皆にも」
ユリウス様の表情が、切なげに歪んだ。
私の頬に添えられたユリウス様の手のひらに、私はそっと自分の手を重ねる。
「隠していること?」
「あぁ。君とはじめて会った日。俺が公爵家を訪れた日。――あれは、きっと俺に君が取られると、本能で感じたのだろうな。俺と話をする君の姿を見たアリアネが癇癪を起こして、その力を暴走させた」
「そうでしたかしら。そんなことがあれば、きっと覚えていると思うのですれど」
ユリウス様が初めてオリアニス公爵家を訪れた日。
なんとかご挨拶だけさせたお父様は、すぐに部屋に逃げてしまった。
使用人を雇うほどの余裕もなく、調度品や家具もほぼない公爵家でユリウス様を持て成すために、唯一無事だった中庭に、私はユリウス様を案内した。
中庭で栽培して乾燥させたハーブティーを入れて、ユリウス様と中庭のテラスでお話をしていると、アリアネちゃんがやってきて、私の膝にアリアネちゃんが座ったことまでは覚えている。
それから――どうなったかしら。
思い出そうとしても、記憶が曖昧だ。
短い歓談は問題なく終わり、ユリウス様はお帰りになられた。
それだけは覚えているのだけれど。
「あの時――アリアネは、俺のことを指差して、悪魔だと言った。聖女の名の元に悪魔を払うとーー君はひどく狼狽えて、何度も俺に謝っていた。アリアネは聖女の力を使い、俺を消そうとした」
「ユリウス様、何をおっしゃっているのか分かりません。そんな記憶は、私には……」
「なんでもすぐに浄化できる聖女ビームをアリアネは放ったが、力を使うのは初めてだったのだろう。その力は暴走し、その場にいるものたちを全て焼き払ってしまいそうになった。と言っても、人払いをしていたので、その場にいたのは俺とリコリスとアリアネの三人だが」
ユリウス様は私の疑問には答えずに、懐かしそうに続けた。
「俺は形態変化を使い、リコリスを守った。人前で人ならぬ力を使ったのは、あれが初めてだった」
ふと、記憶の奥底によぎる光景がある。
私を抱きしめるように庇っている、まだ幼い少年だったユリウス様の姿だ。
覆いかぶさっているからだろう、赤い髪が、私の顔に落ちている。
ユリウス様の背中からは、骨を組み合わせたような大きな翼がはえている。その翼は、私をすっぽりと覆っていた。
遠く、アリアネちゃんが泣きじゃくっている声が聞こえる。
「異形の姿を見せれば、皆怯えるものだと思っていた。……だが、君は、俺を見上げて言った」
「――まるで、天使みたい」
ユリウス様の腕が私の背中に回る。
引き寄せられると、頬に軍用コートの硬い肌触りがした。
「思い出したのか?」
「断片的に、少しだけ。どうして、忘れていたのでしょうか。どうして、思い出せないのでしょう」
「聖女の力の暴走と、聖女が俺を悪魔だと謗ったこと、それから、俺の持つ力。王家として、この事実は隠す必要があった。だから、共に連れていた宮廷魔道士に命じて、記憶を惑わす幻術を施した。君もアリアネも、あの時のことは忘れてしまうように」
「そうですか……、仕方ないこととはいえ、少し、横暴な気がしますけれど」
「あぁ、そうだな。すまなかった。けれど俺は、君のことが忘れられなかった。ひと目見た時から君を好きだと思ったが、俺の力を恐れない君を、心の底から欲しいと思ったんだ」
「ユリウス様のお力のこと、今は皆知っていますでしょう? どうして隠す必要があったのですか?」
「それは……、人には不相応な魔力の量も、体を変化させる力も、生まれつき持っていたものではないからだ」
私を抱きしめる腕に、力がこもる。
それはまるで助けを求めているようにも感じられて、私はユリウス様を安心させたくて、その背中に手を回した。
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