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一方的な思慕

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 レナードは私の手を引いて屋敷から出た。
 そこにはシモン家から連れてきたのだろう、従者や護衛たちが並んでいる。
 
「ここにはよくなものがあるようです。街の人々も不気味がっていましたから、燃やしてしまいましょう」

 レナードの命令で、松明に火をつけた護衛の一人が屋敷に向かっていく。

「やめて……! お願い、やめて……っ」
「リュミエル、あなたの心は屋敷に囚われているのでしょう。ある種の悪しき者は、人の心を操り、憑りつき、生命力を喰らうのだとか。あなたも悪いものに憑りつかれていたのです、きっと」

 そういう話は確かに聞いたことがあるけれど、ルシファウス様は悪いものでもなければ幽霊でもないもの。
 松明を持った護衛を止めようとする私を、レナードが抑え込んだ。
 私の手は空を切る。わかっている。もうルシファウス様はどこにもいない。消えてしまった。

 ここにあるのは、魔法のないただの屋敷。でも、燃やされてしまえば、本当にもう二度とルシファウス様に会えなくなってしまう気がする。

「やめて、お願い……っ、ルーファスさん……ルシファウス様……っ」
「それが、あなたの心を操っていた悪しき王の名なのですね。歴史書には出てこない名です。ルーファスという英雄の名は知っていますが……そちらは偽名で、ルシファウスというのが本来の名でしょうか」
「ルシファウス様は、悪しき王なんかじゃないわ!」
「それは心を操られているからそう思えるだけですよ、リュミエル」

 屋敷に火が放たれる。
 古びて乾燥した木材で作られている屋敷に火の手があがると、それはあっという間に燃え広がっていく。
 
 真っ赤に燃えて、崩れて。激しく炎があがり、黒い煙が空を覆う。
 燃える屋敷に戻ろうとする私を、レナードは強引に馬車に押し込めた。

 シモン家に戻った私は、侍女たちに甲斐甲斐しく世話をしてもらった。
 湯あみをして、ドレスに着替え終わると、まだ幼い妹が「お姉様!」と私を呼んだ。

 愛らしい小さな熱を抱きしめて、私はもう戻らない日々を思う。
 喪失は私の心に風穴をあけた。その穴を、冷たい風が吹き抜けていく。

「お姉様、悲しそう。お兄様が、悪いひとたちをやっつけてくれたのに。お父様とお母様は、よくないことをしていたのでしょう? だからお姉様をいじめて、お姉様はいなくなってしまったのだと聞いたのよ。でも、もう大丈夫。お姉様、いたいの、飛んでいったでしょう?」
「ええ、どこかに飛んでいってしまったわ」

 ターニャはまだ十歳。だが、何が起こったかはある程度理解しているのだろう。
 父と母がいなくなったことを、不憫に思う。
 それでも、無念の中亡くなっただろう私の両親のことを考えると、何も言えなくなってしまう。

「……お父様とお母様がいなくなって、寂しい」
「そうよね。ごめんなさい。私のせいだわ」
「お姉様は悪くない。お父様とお母様が、悪いことをしたせいだもの」

 ターニャは悲し気に笑って、それから「お兄様と結婚するって聞いたの。嬉しい」と言って、私の傍から離れていった。
 私は──残酷だ。
 こんな時でも、私の心の中にはルシファウス様がずっといる。
 ターニャを不憫に思うよりも、同情をするよりも先に、ルシファウス様を失ったことを考えてしまうのだから。

「リュミエル、早々に挙式を挙げましょう。もう準備は済んでいますから、明日にでも」
「……レナード、私の気持ちは無視するの?」

 一人で部屋にいると、レナードがやってくる。
 ベッドに座っている私の隣に座って、私の手を握って彼は言う。
 ここは、いつもの私の部屋じゃない。
 私の部屋はもっと狭くて、ベッドも質素で、勉強道具と文机ぐらいしかなかった。
 私を厭う偽物の両親は、私に極力なにも与えないようにしていたからだ。
 ここは、立派なベッドがあって、飾り棚には花も飾られていて、愛らしいランプに、鏡台に化粧道具。香炉もあって、絵画もある。

「あなたの気持ち?」
「私は、レナードと結婚できない。あなたは私の弟だもの」
「血のつながりはありますが、従姉弟です。リュミエルは僕のことを嫌っているのですか?」
「嫌ってはいなかった。けれど……あなたは、私の家を燃やしてしまった」
「あれはリュミエルの家ではありません。あなたの家はここです」
 
 レナードは苛立ったように眉を寄せる。
 それから、聞きわけのない幼子に言い聞かせるような声音で続ける。

「リュミエル、あなたは未だ屋敷の悪いものに囚われているのでしょう。そのうち、正気に戻ります。挙式が終われば初夜になる。夢の中でそうしたように、あなたと愛し合えることを楽しみにしていますよ」
「……っ」

 レナードは私の首をくすぐるように撫でて、立ちあがった。
 ざわりと背筋をはしるのは、悪寒。その感覚は、ルシファウス様に触れられた時とはまるで違う。
 香炉からは甘い匂いがたちのぼっている。夢の中で嗅いだものと同じ。
 この部屋は──夢の中でレナードにはしたないことをされた場所だ。

 レナードが部屋から出て行き、私はぽすりとベッドに横になった。
 
「このままでは……夢の中と同じ」

 つまり──あの時のように媚薬を使われて、レナードと性行為をしてしまうのだろう。
 
『──浮気者』

 ルシファウス様の声が脳裏で響いた気がした。
 レナードには私の言葉が届かない。誰かに愛されたいと思っていたけれど、それはルシファウス様でなくては、嫌だ。
 
 あの場所に、帰りたい。
 人じゃないものがたくさんいて、ルシファウス様がいて、それだけで十分満ち足りていた。
 立派な家はいらない。権力も立場もいらない。
 ルシファウス様──ルーファスさんだけが、いればいい。

 逃げたままでよかった。何もかもを捨ててしまっても、本当はよかった。

 ルーファスさんと一緒にいることができれば、それで。


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