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番外編

王子様と今度は海へ行く私 1

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 秋が過ぎ、冬の訪れの近い肌寒さを感じる週末。
 私はいつものように生徒会の政務室の柔らかく、柔らかすぎず、座り心地の良いソファに座っている。
 紅茶のカップに優雅に口をつけながら、伏し目がちに書類を視線で追ってペンで何かを書いている、お仕事をするきらきらと輝く王国の齎した奇跡といっても過言ではないぐらいに麗しいレイス様を見つめていた。
 特にすることも無いので、レイス様を見つめるのが私の仕事だと思う事ににしている。
 今日も素敵だ。綺麗でいて男らしさもあり、王国全土の美男子をかき集めてもレイス様には勝てないことが分かり切っているぐらいに素敵。
 私のレイス様、今日も輝いている。
 私の、とか言っちゃったわ。良いわよね。私の婚約者だもの。愛し合っているのだし。
 愛し合って、いるのだし!
 良いわよね、怒られないわよね、心の中で私のレイス様と呼ぶぐらい、許して貰えるわよね。

「アリシア様、視線がうるさいんですけど」

 リュイの声が聞こえた気がしたけれど、多分空耳だろう。
 私は今忙しい。レイス様を眺めるので忙しいのと、今まさに天啓のようにひらめいた良い考えをレイス様に伝えなければいけないので、とおおっても忙しい。
 リュイなどという嫌味っぽい人間に構っている暇はないのよ。
 今日も今日とて、私とレイス様の二人きりの時間に水を差すようにして、リュイ・オラージュも政務室に仕事に来ている。当然のようにセリオン様もいる。
 セリオン様は別に良い。私に優しいし、無害な美少女だから。男だけど。

「……海に行こうと、思いますの」

 私は今まさにひらめいた良い考えを伝えるべく、口を開いた。
 書類から視線をあげたレイス様の長い睫毛に縁どられた薄青い美しい瞳が私を見た。

「……どうしたの、アリシア。また、俺から逃げたくなったの?」

 心配そうで優しいけれど、どことなく仄暗さが感じられる声音で、レイス様が言う。

「このやり取り、二回目じゃないですか」

 嘆息しながらリュイが口を挟んだ。
 今大事なところだから黙っていて欲しい。

「つい最近、同じようなことがありましたね。アリシア様、森ではなくて、今度は海ですか?」

 雰囲気をやわらげるように、セリオン様が言う。
 小首を傾げると、青銀色の長い髪がさらりと揺れた。物凄い艶だ。艶々している。
 私の髪も負けず劣らず艶々しているけれど、セリオン様の髪質はどうなっているのかしら。世界が嫉妬する髪という感じだ。今度手入れの仕方を教えて貰おう。
 教えて貰っても私が自分で実践するわけではないので、グラキエース神官家に我が家のメイドを送り込んで、覚えて貰おう。
 セリオン様の髪が艶々すぎて、髪のことを考えてしまったわ。今は髪ではなく、海。海の話だ。

「はい。海ですわ。海に行こうと思いますの」

「寒いのに?」

 小馬鹿にしたようにリュイが口を挟んだ。
 セリオン様は良いのだけれど、リュイは黙っていて欲しいわね。
 私は今、レイス様と会話しているので。リュイと話すことなんて特にない。

「リュイ、コンフォール王国の南にある、泳ぐことのできる海のある街は、一年を通して温暖だよ。王国民には人気のある旅行地だけれど、知らない?」

 レイス様が優しい声音でリュイに言う。
 流石はレイス様だわ。私だったら「リュイってば、次期宰相のくせにそんな事もしらないのね~?」などと言って小馬鹿にして笑っているところだ。
 私は断罪後のやり直しを経て、それなりに、多少は、より良いアリシア・カリストとして生きているのだけれど、リュイに対してだけは別である。
 リュイは私を年中小馬鹿にするので、やり返しても良いと私の中で決めている。

「勿論、勿論知っていますよ、レイス様! 知ってるに決まっているじゃないですか。オラージュ宰相家の長男として、コンフォール王国の地図と街、山や川、道まで、全てこの頭に叩き込んであります」

 焦ったようにリュイが言う。
 レイス様に気に入られようと必死だわ。
 リュイがレイス様の事を敬愛していることは知っていたのだけれど、レイス様は私のレイス様なので、残念だったわね。
 などと若干勝ち誇った気持ちになった私は、にやにやしそうになった口元を手で押さえた。
 人前でにやにやするなど、淑女としてはしたない。既に気づかれていたらしく、リュイに訝しそうな視線を送られた。

「リュイは海が嫌いそうだから、知らないのかと思ったのだけど」

「海、嫌いそうに見えます?」

 リュイは、レイス様に構って貰えて嬉しそうだ。
 私とレイス様の邪魔をしないで欲しい。にやにやしていた私は、今度はちょっと不機嫌になって唇を尖らせた。勿論手で口元を覆って隠した。

「海というか、外に出ることが嫌いそうには見えますね」

 セリオン様が言った。
 確かに、そう見える。

「そうでもないですよ、仕事で視察などに行くことも多いですから、……まぁ、泳いだことは、ないですけど」

「リュイは、泳げないのではないかしら」

 私が言うと、リュイは半眼で私を見た。

「泳ぐとか、走るとか、俺には必要ないことなので。……そういうアリシア様も、泳げるんですか?」

 否定しないと言う事は、泳げないに違いない。
 賢いけれど運動が出来ないリュイなので、聞くまでもなかった。
 とはいえ、リュイが泳げるかどうかは私にとってはどうでも良い事だ。

「泳いだことはありませんけれど、きっと泳げますわ。というか、泳ぐ泳げないの話ではなくてですね、先日森に、レイス様にご一緒していただきましたでしょう?」

「うん。行ったね。楽しかった」

 嬉しそうに微笑んで、レイス様が言った。
 きゅん、きゅん、という音がする。レイス様にときめくたびに擬音が室内に溢れかえる。多分沢山ハートマークも飛んでいるに違いない。可視化できないのがつらい。目で見ることができれば、私がどれ程レイス様が好きかすぐに伝わるのになと思うと、残念でならない。

「それで、今度は海?」

「はい。森は私にはむいていませんでしたわ。海はどうかな、と思いまして」

「一泊するの? 海で?」

「泊まることはしませんわ。……もしかして、大自然と戯れる事が不向きなのかしら、と思いましたの。なので、海辺でのバカンスを楽しんでみようかと思いまして」

「つまり、野営ではなくて、旅行という事だね」

「はい! 今まで私、海は苦手でしたの。肌が弱くて、日焼けすると痛くなってしまうので。それがですね、レイス様。なんと、体に塗ると日焼けを防いでくれるクリームが、最近発売されて話題になっておりますのよ。これで、海辺の日差しも怖くない。海を満喫できますわ」

 王国では、日差しから肌を守る日焼け止めクリームが、最近話題になっている。
 肌が白い女性の方がもてはやされる傾向にあるので、貴族女性に限らず市居の方々も、こぞってこのクリームを買いもとめているのだと、お母様が教えてくれた。
 「アリシアちゃんの分も注文しておいたから、送るわね」と、書かれたお手紙と日焼け止めクリームが公爵家から届いたのは数日前の事である。

「……アリシア、もしかして、水着を着るの?」

「はい。海といえば水着ですわ。肌が焼けないとなれば、とびきり可愛い水着を着ることができますわ」

「そう……」

 レイス様の眉根が心配そうに寄った。
 私は慌てて付け加える。

「肌を見せることはレイス様の婚約者としてよろしくないのですけれど、バカンスとなれば別です。でも、きちんと、誰にも見られないように公爵家の権限を活用して、誰もいない海辺の宿泊施設を手配しますので、安心してくださいまし」

「あぁ、最近流行っているようですね。プライベートビーチつき、ヴィラ、というんでしたっけ」

 セリオン様が、口元に指先を当てながら言った。
 リュイが胡乱な表情を浮かべてセリオン様を見る。

「何でそんなことを知ってるんだ、セリオン」

「恋愛相談などを受けていると、世俗に詳しくなるのですよ」

「そんなわけで、安心してくださいまし、レイス様。可愛い水着を着た私をひとまえに晒すような、はしたない行動はしませんわ」

 私は胸を張って言った。
 それに今回は、野宿などはしない。海で遊ぶだけである。私に海は無理だとわかればすぐに帰ってくるつもりだ。

「俺も行きたいんだけど。アリシア、誘ってくれないの?」

 悲しげにレイス様に言われて、私は慌ててソファから立ち上がった。

「水着を着ますので、お誘いするのは恥知らずかと思いましたの! 勿論良いですわ! レイス様、一緒にいきましょう」

「それなら、私もご一緒します。お二人だけの旅行だなんて、カリスト公爵も心配するでしょうし」

「俺も行きます。二人きりで海とか、年長者として、見過ごせません」

 セリオン様とリュイが、なぜか少し焦ったように、ついてくると主張した。
 二人とも、海に行きたかったのかしら。
 最近寒いし、暖かい海辺の街でのバカンスが、余程魅力的だったのかもしれない。
 レイス様が小さな声で「二人とも邪魔、なんだけど」と言うのが聞こえた気がした。
 レイス様は優しいので、多分きっと気のせいだろう。

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