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しおりを挟む光りの中に吸い込まれるようにリディスが消えた室内で、俺はソレイユに掴みかかった。
「どういうことだ、ソレイユ!」
ソレイユは細身で、リディスの兄というだけあってどちらかと言えば女性的な、秀麗な見た目をしている。
だが、俺に襟首を掴まれてもびくともしない程度には鍛えているようだったし、特に動じた様子もなく困ったように笑っただけだった。
執事の男が、俺の手首を掴んで軽々とソレイユからひき離した。
「ラファエル様、ソレイユ様に対する無礼を見過ごすことはできませんよ」
「黙れ。口出しをするな」
「ラファエル。言葉づかいが戻っているよ?」
公爵家と事を構えるのは賢くはない。俺はソレイユと距離を取ると、冷静になるために頭を振る。
「リディスがいないんだから、取り繕っても仕方ない。……説明しろ、ソレイユ。リディスは、どこへ消えた?」
「物腰柔らかな優しい王太子様はどこへ行ったんだか。そう睨まないで欲しいな、視線で私を射殺す事はできないんだからね」
ソレイユは肩を竦めた。元々あまり好きではなかったが、相変わらず何を考えているのかが分からない男だ。
俺に掴まれて乱れた襟首を治すと、深い溜息をついた。
「まぁ、落ち着いて聞きなさい。ディスは、大きな志を持って、とある場所に行ったんだよ」
「大きな、志?」
「そうだよ」
「リディスは俺の婚約者だ。あと三年で、王家に輿入れすることが決まっていた。俺に無断で、無かったことにできると思うな」
「ディスは君に、待っていてと言っていただろう?」
確かに言っていたが、あんなものは口から出まかせだろう。俺の元に戻ってくる保障など、どこにもない。元々リディスは、俺にさして興味などなかったのだから。
「志とは何だ。ソレイユ、事と次第によっては……、王家に反意があると判断する。フォンテーヌ家は、領地を乱されたくはないだろう」
「……あのね、ラファエル。私にも、どうしてディスがそう思ったのかがよく分からないんだ。でもあれは、間違ったことはしない子だからね。ディスがそう判断したという事は、君になにか……、そうだね、落ち度があった、という事だよ」
「御託は良い、さっさと言え」
俺に睨まれても意に介した様子もなく、ソレイユは俺に哀れむような視線を送った。
落ち度、なんてない筈だ。公務も、学業も、人付き合いも、そつなくこなしてきた。
公務の合間を縫って時間が許す限りリディスに会いに来て、贈り物も渡したし、愛の言葉も伝えてきた。
リディスが俺に対して否定的な感情をぶつけてきたことなんて一度もなかった。俺たちは、円満な婚約者同士だったと思う。
「あの子は、魔族の王に嫁ぐんだってさ。王家に嫁ぐよりも、それは重要な事らしいよ?」
「……ふざけているのか?」
「ふざけてないよ。ディスは、この千年開かれていない迷いの森の奥、魔族の国へ行ったんだよ。ラファエルなら分かるでしょう。ディスは、言い出したらきかないんだ。それに、余程の理由がない限り、君に不誠実な事をしたりしない。……ディスに、何かしたの?」
何も、していない。
俺はぎこちなく首を振った。頭の中が真っ白になったように、何も考えられない。他国に逃亡したというのなら、理解できる。魔族の国、なんて。
その存在は王家の記録に残っているばかりで、大戦も魔族の存在も、事実だと知っているのは王家とアンバー家、フォンテーヌ家の公爵のみであった筈だ。
勉強熱心なリディスの事だからもしかしたら知っていたのかもしれないが、俺との会話の中では一度も出てきたことはなかったし、興味を示している様子もなかったのに。
「身に覚えがない、って顔だね。そうだよね、私にもよく分からない。昨日のディスは、いつものディスだったよ。学園に君と共に行くのを、楽しみにしている様子だった。それなのに、朝起きたら気が変わってしまったようなんだ」
「何故、許した。どんな場所かも分からないんだ。リディスが危険な目にあうかもしれないだろう!」
「私はリディを信じているよ。あの子なら、大丈夫だと思う。……それに、私が駄目だといったところで、あの子は一度決めた事は諦めないだろう。迷いの森がその場所だと突き止めて、一人で森の中に入って命を落とすよりは、きちんと魔族の王の元へと送ってあげた方が良いと考えたんだよ」
ソレイユは、ちらりと執事の男を見た。
確かクライブという名の男は、静かに頷く。そういえば、確かフォンテーヌ家には人ではない者がいると、父に聞いたことがあった。冗談だと思っていた。
「リディスを迎えに行く」
「申し訳ありませんが、それは出来かねます」
クライブが平坦な声で言う。
「魔族の国には、王の結界が張られております。干渉するため、私の魔力のほとんどを使い果たしました。しばらくは、開くことができないでしょう」
「……これは、命令だ」
「不可能なものは、不可能です。リディス様ならば、王を懐柔して内側から国を開かせることができるでしょう。お待ちになってはいかがでしょうか」
「そうだよ、ラファエル。私たちにだってもちろん思うところはあるけれど、リディが帰ってくるのを待つと決めたんだよ」
ソレイユがのんびりと言った。
俺は、腹立ち紛れに側にあった机に拳を叩きつける。
「リディスが魔族の王のものになるなど、俺は認めない」
「仕方ないでしょう。ディスがそう決めたのだからね。それに、君には誰か、別の人が現れるってさっき言っていたじゃないか。もしかしたら、それが理由なんじゃないかな」
指摘されたことに、ぎくりとした。
全く心当たりがない、といえば嘘になる。もちろん、リディスの事は大切に思っている。
けれど、数日前に出会ったある少女が、脳裏にちらついた。
彼女の名は、シンシア。
ハミルトン・アンバーが連れてきた、王家で保護をする必要のある少女だ。
元々は、孤児院で暮らしていたシンシアの体に、女神の印があることが分かったのは最近の話らしい。
女神の印とは、エヴァンディア王国を造った神であるエルヴィーザ様を示す刻印のことだ。
シンシアの胸元に赤く浮かんでいるそれは、太陽を模したような形をしている。
過去になんらかの理由で命を落としたエルヴィーザ様の魂を宿した、女神の器に現れる刻印を持つ少女。
シンシアを保護するためまずは孤児だった彼女を、カッツェ男爵に頼み、彼の子として男爵家に引き取らせた。
貴族としては立ち振る舞に問題があり、知識にも乏しかったので、王立学園でシンシアは三年程学ぶ予定だった。
シンシアが女神の器だと知っているのは、俺と現王である父、アンバー家の者だけだ。父には、リディスとの婚約を白紙にし、シンシアと結び直せとまで言われた。
もちろん断ったが、シンシアの存在はそれだけ重要だということだ。
「ラファエル。心当たりが、あるみたいだね」
「そんなものは無い。俺は、リディスを愛している」
「そう? じゃあどうするの、ラファエル。魔族と戦争でもする?」
ソレイユが、冗談交じりに言う。
「……リディスを取り戻すためなら、何でもしてやる」
これ以上ソレイユと話をしても意味が無さそうだ。
俺は吐き捨てるようにそれだけ言うと、苛立ちながら公爵家をあとにした。
学園の新入生を迎える式典での挨拶は、公務の一つだ。リディスが居ないというのに、学園になど来たくはなかったのだが、そういうわけにもいかない。
式典が終わり、さっさと城に帰ろうとしていると、ハミルトンがシンシアを連れて来た。
「ラファエル様。リディス嬢は、どうされました?」
ハミルトン・アンバーはアンバー家の長男。次期宰相になる男だ。
必要以外はあまり話さない物静かな男だが、頭は良く回り、仕事も的確で早い。
リディスとは、まだ会ったことがない筈だ。ハミルトンは今後王家を支える重要な人物なので、学園で紹介しようと思っていた。
「あ、あの、ラファエル様、こんにちは」
ハミルトンの後ろで、おずおずとシンシアが挨拶をする。
どこにいても、凛とした大輪の花のようなリディスとは、シンシアは真逆だった。控えめな野花のような、可愛らしい少女ではある。
好感は持てるが、彼女に抱く感情は、リディスに対するそれとは違う。
「こんにちは、シンシア。今日から、学園寮に入るんだね?」
「は、はい。ラファエル様や、ハミルトン様には、良くしていただいて、ありがとうございます」
シンシアは、自分が女神の器だとは知らない。
刻印のことは、カッツェ男爵家の家系に浮き出るものだと、適当に説明してある。
まずは怯えさせないように、彼女が逃げないように親密にならなくてはいけない。
「……あ、の……、リディス様、という方は……」
「リディスは、私の婚約者だよ」
「気位の高い、まさしく公爵令嬢だと評判ですね。シンシアと同じで今日学園に入る予定だったのでは?」
「その話はあとで。まずはシンシアを、教室まで案内しようか」
俺は内心の焦燥を隠して微笑んだ。
シンシアの背に触れて歩くように促すと、彼女は緊張した面持ちで頬を染める。
リディスとは違う反応が、新鮮だった。
貴族の集まる学園では、シンシアは異端だ。俺に挨拶をしながら、すれ違う者たちは皆シンシアを気にしているようだった。
彼女が困らないように、極力側にいてあげないといけない。俺が庇護していると知れたら、余計な手出しをする者もいなくなるだろう。
本当は、シンシアに構う俺を見て、リディスがどんな反応をするか少し楽しみにしていた。
嫉妬を、してくれるかもしれないと、期待していた。
まさか俺の前から消えてしまうなんて、思ってもいなかった。
シンシアを教室へと送ったあとに、王家の者だけが使用を許されている貴賓室へ、ハミルトンと共に向かった。
扉に鍵をすると、ようやく話ができることに安堵する。
「ハミルトン。リディスのことだ」
「はい。朝から姿がありませんね。どうされましたか?」
「魔族の王に嫁ぐといって、魔族の国へ行ったらしい。俺に無断で、勝手に、いなくなった」
「そうですか。……それは、リディス嬢らしい。王家に叛意があると、考えても?」
ハミルトンは動じていないようだ。
何かを考えるように、口元に手を当てる。
「あぁ。……そうだな。王家に仇なそうと、しているのかもしれない。連れ戻し、牢に入れる必要があるな」
牢に入れ、どこにも逃げられないように、囲ってしまえば良い。
それはとても、良い考えだ。
「わかりました。……俺に、お任せください」
ハミルトンは、暗い笑みを浮かべた。
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