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 私はジルベルト様を可憐ながら妖艶な色香と恋に溺れる少女の初々しさを醸し出す魔性の魅力で、骨抜きにした事に大変満足した。一瞬でもシンシアさんのような振る舞いをしてしまったことを反省する。私はリディス。カミ様からも愛された美少女なので誰かの真似などする必要はない。
 湖での休憩も随分と長くとってしまったので、そろそろ仕事に戻らないといけないと思い、ジルベルト様の膝の上からぴょんと飛び降りた。

「ちょ、おい、どこに行くんだ、リディス」

 ジルベルト様は私の愛らしさに折れて意地を張るのをやめたらしく、馬鹿女とは呼ばなくなったようだ。
 私はずり落ちそうになっている鞄を肩にかけなおした。

「私、今は料理長リディスという立場になりましたのよ」

「お前を掃除婦にしたのは悪かった。すぐに音を上げて泣きついてくると思ったんだよ。だからもう良いだろ、千年ぶりの客人として、それなりの対応をだな……」

「ジルベルト様、愛する私を傍に置いて、四六時中ねっとりと眺めまわし、二百年分の積もりに積もった欲望をぶつけたいお気持ち、よく分かりますわ。私としても、拒絶する理由などありませんから、いつでもそうしてくださって構いませんのよ。ですが、一度掃除婦となりジルベルト様のお城の惨状を知ってしまった今、私には私の為すべきことがありますの。ただ怠惰にあなたの傍に侍るわけにはいきませんわ」

「とこどころ聞き捨てならねぇが、まぁ良い。アスタロトからも聞いただろうが、確かにお前の言う通り城の中はここ百年ぐらいはどうしようもなくてな。クロネアが暴走して、皆消えていった。俺は、皇子なんて立場になりたくてなったわけじゃねぇから、何にもしなかったしな」

「ジルベルト様の悩みは、多かれ少なかれ上に立つ者なら一度は抱えるもの、なのでしょう。私、思うに王というのは産まれながらの気質なのです。私は、掃除婦であっても、誇り高いリディス・アマリア・フォンテーヌですわ。立場などは、飾りです。人はその飾りで他者を判断しますわね。大切なのは己を見失わない事だと思いますわ」

 私はジルベルト様のように自分の立場で悩んだことなどはない気がする。
 産まれた時から恵まれていて、私の様に恵まれていない人々がいることも知っていた。だから、恵まれた私は皆の為にその力を使う必要があると思って生きてきた。それが上に立つものの責務だからだ。
 少し前の私なら、ジルベルト様に何を甘えたことをと怒っていただろう。
 でも今は、そんな風に叱る気にならなかった。ジルベルト様は悪い方ではない。彼にも彼なりの理由があり、悩みがあるのだ。
 それに、こうして心情を吐露されるというのは、どこか甘えられているようで可愛らしく思う。

「けれど……、どうしてもその飾りの為に、自分を作り上げる必要がある、というのも、また真理かと。ジルベルト様は王になるべきですわ。それがあなたにとって苦痛なら、私が傍で支えて差し上げます」

 私は少し考えてから、そう伝えて微笑んだ。
 その立場が辛いのなら、苦痛とは思わない私がかわりに上に立てば良い。
 ジルベルト様は良き旦那様として私の傍に居てくれたら良い。後の事は私が全て行うので、何も問題はない。私の内政に口を出さず、王としてただそこに居てくれる旦那様。
 素晴らしい。
 これこそ、理想の夫婦といえるだろう。
 輝く湖を背に微笑む女神のような私を直視できないらしく、ジルベルト様はやや頬を染めながら視線をそらした。照れたり怒ったり、とても分かりやすくて良い。

「リディス。お前は、お前を地下室に落とした俺を恨むこともしねぇし、クロネアに殺されそうになってるのに、逃げようとも命乞いをしようともしなかった。……クソ蛇に先を越されちまったが、見殺しにする気はなかったんだ、俺も。お前は高慢で、自分勝手で、……あまりにも無謀だ」

「終わりとは、人の身であれば平等に訪れるものですわ。終わりを恐れて思うように生きられないのは、私ではなくなるということ。たとえばジルベルト様が今ここで私を殺めたとして、私は微笑んで自分の終わりを受け入れましてよ」

 私の事が心配だと伝えたいのだろう。
 すぐに手折れそうな麗しい花である私を鳥籠に入れておきたい気持ちは分かる。前回の人生でも私はあっけなく死んでしまったわけだし、人の命など儚いものだ。
 だとしても私は私のままでいることを望む。例えば私の存在が誰かにとって消し去りたいほど目障りなものになっているのだとしても、それで構わないと思う。
 いつかくる終わりを自分で選択する事などできないのだから、それを恐れるのはとても滑稽だと感じる。ひたすら部屋に閉じこもっていれば、不必要な苦痛を味わう事もないのだろうけど、私はそれを望まない。ただそれだけの話だ。

「ふざけるな、馬鹿女。俺は、……俺はお前を殺したりしねぇよ。なんでお前はそう、自分の命に無頓着なんだ」

「違いますわ、ジルベルト様。私は私を一番大切に思っております。けれど、いつか散るとき、もう駄目だと確信したときは、潔くそれを受け入れる、そう決めているだけですわ。立場のある者は知らず恨みをかうものです。王制が市民によって革命されるなどはよくある話、私もそうならないとは限りません。それでも自分の立場に誇りを持ち生きる事が、産まれながらに恵まれた私の責務というものです」

「あー……、くそ……っ、なんなんだ、お前は……!」

 ジルベルト様は頭が痛そうに額を押さえて薄暗い空を仰いだ。
 私の事が心配で心配で仕方がないのだろうが、私は私の仕事があるので邪魔をしないでもらいたい。料理長一日目で料理すら作れないというのは、私としては許されない。

「それでは、ごきげんよう、ジルベルト様。木の実やきのこや野草は採れましたから、あとはお魚かお肉が欲しいので、もう少し森を探索してみようと思いますのよ」

「…………付き合ってやる」

「ジルベルト様はお忙しいでしょうし、私ひとりで大丈夫ですわ」

「危ないだろ。お前が満足するまで、付き合ってやるって言ってるんだよ」

「ジルベルト様、……それほどまでに、私の傍に居たいのですね。私、あなたの愛情を察する事ができず申し訳ありませんわ。あなたの想いを拒否する理由などありません、どうぞ傍に居てくださいまし」

 私としたことが、素直ではない言い回しに気づけずに、私との逢瀬を楽しみたいという思いのたけをぶつけてきているジルベルト様につれない態度をとってしまった。
 申し訳なく思う。反省の意を込めて、私よりも一回りぐらい大きそうな手を取ってその顔を見上げると、ジルベルト様は疲れたように深く溜息をついた。

「もうそれで良い。……勝手についていくから、好きに動き回っていい。ただし、この湖から奥には行くなよ。ろくなことにならないからな」

「アスタロト様もそうおっしゃっておりましたわね。狼が、いるとか」

「あぁ、そうだな。狼、だな。……やつらとは、あまり揉めたくない。面倒だからな」

「分かりましたわ。でしたら、お城に戻りながらの探索にしますわね」

 先程ジルベルト様は私の事を無謀だと言っていたが、私は決まりごとをしっかりと守る質である。
「案外素直なんだな」と感心したように言われたのはきっと、私からどこか危うく放っておけない雰囲気が醸し出されているからだろう。美少女とは生きているだけで危うく思われるものなので、それも仕方ない。
 湖からお城に向かう方向の道は、迷わないようにある程度ナイフで草を刈って整えてある。
 私は同じ道を辿りもう少しだけ歩きやすいよう道を広げながら戻ることにした。
 歩く私の横を、ジルベルト様がゆっくりとついてくる。私がナイフで草を刈るのをしばらくしげしげと眺めていたが、彼は首を傾げて私に尋ねてきた。

「お前は、さっきから一体何をしてるんだ?」

「道を作っておりますわ」

「確かに、お前の歩いてきたところだけ草がなくなってるな。全部ナイフで切ったのか?」

「背の高い草むらをかき分けて森の奥に入ると、来た道が分からくなってしまいますから。私は採取に来たのであって、遭難しに来たのではありませんし」

「なるほどな。こういうのはお前の国ではどこかで習うのか?」

「えぇ、貴族の子供たちは、王立学園へ入りますわね。私たちは、ジルベルト様達とは違って不可思議な力を持っておりませんから、森へ入りナイフや道具を使って薬草を集め、薬にしたりしますわ。薬草学の授業では、採取実習の時間が多くとられておりましたわね」

「学園ってのは、お前みたいな子供達が集まって、学ぶ場所ってことだな」

「そうですわ。知識とは、力ですので。学んだからこそ、森の中で迷わずにいられますし、食べられるものと食べられないものを区別できますのよ。こちらの植物が、私の国のものと種類がそう変わらないので、良かったです」

 私が学園で学んだのは一度目の人生なのだが、それは言わなくても別に構わないだろう。
 隠しているわけではないのだが、積極的に説明するべき事柄でもない。

「あぁ、それは、……お前はこの国がどの程度の大きさで、どこにあるのか知ってるのか?」

「いいえ、知りませんわね。それも私の学ばなければいけない事のひとつです」

「そうか。まぁ、とりあえずは、だ。お前のやりたいことが理解できたから、ちょっとどいてろ」

 ジルベルト様はそういうと、私の前に立った。
 軽く指で示すと、見えない何かの力がそこに生まれたようだった。
 指先から突風が巻き起こり、私が広げた草むらを、切り裂く強い風が、人が二人並んで歩いてもまだゆとりのあるほどにさらに綺麗に刈り取ってしまった。
 湖から城まではあまり距離がなかったらしく、一本の道が出来た先に、城の裏庭と思しきものがかすかに覗いていた。

「まぁ、素晴らしいですわ!」

「…………余計な事をするなと、怒るのかと」

「私、便利なものは使う主義でしてよ。ありがとうございます、草刈りをする手間が省けましたわ。……あら?」

 森の異変に驚いたのだろうか、綺麗に草むらが消え去った道の両端の木陰から、ちらちらと視線を感じる。
 それは額の真ん中に小さな角のある、とても可愛い見た目ながら狂暴な牙をもったイッカクツノウサギの群れだった。ざっと見ただけで、十匹ぐらいはいるだろうか。
 因みに、食べると美味しい。
 私はごそごそと鞄を漁る。
 鞄の中から、採取してあったイッカクツノウサギの好物のクロハンテンダケを両手に掴むと、そっと道の端に放った。
 長い間放置されていたとあって、この森の動物たちは警戒心が薄いのだろう。
 すぐさまクロハンテンダケに寄ってくる。迂闊に手を出すと狂暴な牙に噛みつかれて酷い目にあうので、私は慎重に一番端の一匹に狙いを定める。

「まさか、お前……」

「生きるため、時には狩猟も必要なのです。分かりやすく言えば、美味しいお肉が食べたい。次回からはきちんと罠を仕掛けますので、今回は原始的な手法をとりますけれど、理解してくださいまし」

 私はナイフを投げた。
 それは綺麗な軌道を描き、狙いを定めたイッカクツノウサギにとすりと突き刺さる。
 他のイッカクツノウサギの青い目が、危険を察知したときの赤いものに変わる。私が突き刺さったナイフの端から血を流して倒れているイッカクツノウサギを拾い上げるのと、ジルベルト様が私を抱えあげるのは同時だった。

「お前、あの数相手に俺が居なかったらどうするつもりだったんだ!」

 ふわりと、体が空に浮かんだと思ったら、ジルベルト様に抱えられたまま城の裏庭へと戻っていた。
 抱えられたまま怒鳴られる私の手には、きちんと仕留めた獲物がおさまっている。途中で落としてこなくて良かった。奪った命はちゃんと糧にしなければいけない。

「走って逃げれば、なんとかなりましたわ。それに、もし何とかならなければ、ジルベルト様が私を守ってくださると、信じておりました」

「お前なぁ、そう言っておけば俺が納得すると思ってるんだろ」

「そんな事より、今夜は美味しいウサギシチューをご馳走しますわね。楽しみにしていてくださいまし」

 私に仕留められたイッカクツノウサギは、それなりに肉付きが良くてとても美味しそうだ。
 一度目の採集だったが、かなり良い成果と言えるだろう。
 嬉しくてにこにこしていると、ジルベルト様はもう怒るのをやめたらしく、深い溜息をついた。

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