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しおりを挟む人生に絶望したような表情で黙り込んでしまったジルベルトを私はしばらく見つめていた。
何に傷ついているのか知らないが、こういうときは見守るのが一番である。傷ついている男性を静かに支えて、そっと励ましその心を癒すというのが良妻賢母であり、賢き王妃というものだ。
ジルベルトの妻になるのだから、正しく言えば皇妃だ。私にかかれば粗野なくせに繊細で若干面倒臭さが感じられる魔族の皇子など、掌でころころ転がすことは簡単だ。
「くそ、どいつもこいつも、俺の身分目当てでがっついてきやがって、本当に嫌だ、だから嫌なんだ、皇子なんてものは!」
ジルベルトが吠えるように言った。
正直、呆れ果てた。
皇子なのだから、そんなものは当然である。身分というのはその人物の持ち得る力なのだから、一番位が高い皇子に見初められたい女が山のようにいるは当たり前の話で、むしろ皇子であっても誰からも関心が向けられないとしたらその方が問題だろう。
「あなた、百歩譲って皇族としてのその言葉遣いの乱れや服装の乱れ、全体的な汚らわしさについては目をつぶりましょう。けれど、皇子が嫌だ、とはどういうことですの。いまどき、赤子でももう少し聞き分けが良いですわよ」
「なんだお前、急に人の家に上がり込んできたと思ったら偉そうに! 俺に貰って欲しいんじゃなかったのか?」
「えぇ、私はあなたの妻となる女です。けれど、それとこれとは別の話。何を落ち込んでいるのかと思えば、あまりにも愚かで驚いてしまいましたわ」
ジルベルトは怒気を孕んだ表情で私を睨む。
相手の表情で萎縮するような私ではないが、流石に魔族の皇子とのこともあってか、ぴりぴりと頬が痺れるような奇妙な迫力を感じた。此方を射すくめるように睨む金の目は、瞳孔が小さくなっている。今にも私をくびり殺しそうな様相だ。
「てめぇ、無力な人間の子供だと思って多少優しくしてやったら、調子に乗りやがって」
「まるで教養のない罪人のような言葉遣いですこと。魔界の皇子が聞いて呆れますわ。良いこと、ジルベルト様。王族というのは、国を治めるだけが仕事ではありませんのよ。なるだけ多くの世継ぎを持ち、教育し、争いが起こらないようにそれぞれの価値を高めその生き方を諭しながら次世代へと繋いでいく、それもまた皇子たるあなたの役割です。求婚する女性が多いなど、結構なことではありませんか。それだけジルベルト様に魅力があるということなのでしょう、誇るべきですわ」
「お前のような子供に何がわかる? 魔族の女たちはなぁ、外出先だのその辺の廊下だの、俺の寝室だので、俺の子が欲しいとそりゃあもうしつこく……、って俺は子供に何を話してるんだ。今のは、忘れろ」
ジルベルトは話の途中で慌てたように視線を逸らし、頬を赤く染めた。
一体彼は何歳なのだろう、彼にとって私は年端もいかない子供にみえるのだろうか。
安心して欲しい、私は麗しの雪の妖精のように純粋無垢な見た目でありながら、酸いも甘いもかみわけた立派な淑女なのだ。恋愛相談などお手の物、男女のあれそれも知識としてはかなりある方だろう。
もちろん、相手の好みにあわせて何も知らない無垢な少女を装うこともできる。そのあたりの大切さは心得ている。私に死角はない。
「私はジルベルト様が思うような子供ではありませんわ。王国では、十五で婚姻を結ぶ事を許されておりますの。私は十六、婚姻に耐えられる程には成熟しておりますわ」
「お前、……、お前、なんて事を言うんだ、犯罪だろ!」
ジルベルトは目を見開いて、信じられないものでも見るように私を見る。
それから信じたくないとでも言うように首を振った。
「人の国とは残酷だな……、こんな子供に」
「私のような華奢で儚く愛らしい花を摘んでしまう事に罪悪感を感じてしまうそのお気持ち、お察しいたしますわ。野蛮なあなたの隣に並んだ私は、さながら悪魔に捧げられた無垢な子羊に見える事でしょう」
「俺の同情を返せ。ほんっとうに失礼な女だな、お前」
「私、知っていますのよ。愛しい者を貶める言葉を使い、気を引こうとする男性もいらっしゃるとか。ジルベルト様もそういった性質をお持ちですのね」
なるほど、ジルベルトは追われるよりも追う愛を求めていたのかもしれない。
それでは確かに魔族の女性たちがどれほど迫ったとしても、彼の心は離れていく一方だろう。
彼は私に会えて僥倖だ、私ほど追い求めるのに相応しい価値のある令嬢はいないのだから。
「ジルベルト様、私を女、とお認めになりましたわね」
「あ……、認めてねぇよ、お前は子供だ」
「そういうあなたは、おいくつでいらっしゃるの?」
年齢なんてものは大した問題にならないとは思うが、ジルベルトが気にしているようなのでしかたない。
一応尋ねておくことにする。
「あんまり覚えてねぇが、俺が作られたのはそうだな、今から二百年前、ぐらいか」
「つまり、二百歳。……二百年間も子を成さず、子種を無駄にしてきたと、そういうことですのね」
「お前、人のことを野蛮だとかなんだとか言っておきながら!」
先程からジルベルトは随分興奮気味だ。
天が与えた祝福のような美少女である私を前にしてついつい興奮してしまうのはわかるが、少し落ち着いて欲しい。二百年も生きている成人男性なのだから、心のゆとりを持って欲しいものだ。
「そうなんだよ、お嬢さん! その通りだよ、人間の可愛らしいお嬢さん! 若君は、先代が眠りについてから二百年、新しい魔族を増やすこともせずに、愛だ恋だとそこらの夢見る少女のようなことを言って、城に引きこもってるんだ。だから魔界の童貞皇子と巷では評判で……」
「消滅させるぞ、アスタロト」
背後から新しい声がしたと思ったら、足元からずるずりと太く長い大蛇が這い上がってきて、私の体に絡み付いた。
真っ白な肌に、金色の紋様が刻まれている美しい蛇だ。悪意は感じられないので、頭を撫でてあげると、蛇はちろちろと赤い舌を入れたり出したりした。
まさか蛇が話したわけではないだろう、少しだけ首を動かして振り向くと、そこにはすらりとした細長い印象の男性が立っていた。
彼の白い肌は、ところどころ蛇によく似た鱗状になっていて、踊り子の衣装のような布の少ない服に、重たそうな装飾品をたくさんつけている。薄紫色の長い髪はゆるく編まれて、真っ赤な瞳の中央には瞳孔が縦に長く走っていた。
「長い長い話を聞いてくれるかい、お嬢さん。最近の魔族ときたら芸術を愛でず優雅さを失い、ただひたすらに怠惰に生を貪っていて、僕はとても退屈だったんだ。やっと話がわかってくれそうなお嬢さんが来てくれて、とても嬉しいよ」
「おい、小娘、騙されるなよ。そいつは蛇だ、嘘しかつかない」
「酷いなぁ、魔界の王の忠実な部下、傀儡師のアスタロトとまで呼ばれている僕を、嘘つき呼ばわりするなんて。ねぇ、お嬢さん?」
「私はお嬢さんでも小娘でもありませんわ。リディス、という名がございます。礼節を弁えず信用ができないという意味では、ジルベルト様もアスタロト様も同じでしてよ」
「ふふ、これは手厳しいね。良かったねぇ、若君。君の理想の、無垢な女の子が来てくれたじゃない。これで魔族も安泰だね」
アスタロトは優しげな笑みを浮かべると、私の横を通り過ぎる。
通り過ぎるかれを追いかけるように、私の元から蛇が去って、彼の細長い体に巻き付いた。
あの蛇はアスタロトの愛玩動物なのだろう。敵意も悪意もなさそうで、悪い感じはしなかった。大蛇に巻き付かれたのははじめてだが、しっとりとして冷たくて、案外心地よいものだった。
「お前も、何をいってるんだ。こいつは子供だ」
「じゃあ、魔族の女たちで手を打っておこうよ、若君。クロネアなんて、いつでも準備万端だよ」
「嫌だ。あんな服を着てるんだか着てないんだかすらよくわからない、がっついた女は嫌だ」
「あのねぇ若君、魔族は寿命が長いんだよ。君の言うような花も恥じらう少女だなんて、いないに決まってるだろう。ひと目会った瞬間に恋に落ちて、清い恋愛がはじまるなんておとぎばなしの世界なんだよ。おまけに魔族同士じゃ子供はうまれないし、そうなってくると新しい魔族をうみだせるのは、魔族の王しかいないんだから、若君が魔族の女たちを囲い込まなきゃ、魔族はゆるゆると滅んでしまうよ」
アスタロトがいうことを聞かない子供にいいきかせるように、ゆっくりとした声音で言う。
ジルベルトは聞きたくないとでもいうように耳を塞いで、彼から視線をそらした。
「数の利と、人の知恵……、あぁ、そういうことですのね」
「どうしたの、お嬢さん。今の話で、若君が夢見る童貞だってこと以外に何かわかった?」
「えぇ。王家に伝わる伝承では、かつての大戦で人は魔族に勝ったのだと、伝えられておりますわ。魔族の方というのは人にはない力を持っているのに、何故なのかと思っていたのですけれど、魔族同士では子ができないとあってはその数は減る一方だったと、そういうことでしたのね」
「うん、賢いお嬢さんだ。これはきっと、魔力が強すぎて永遠の時を生きられることと、人にはない力が使えることの代償なのだろうけど、僕たちは数を増やす力に乏しいんだよ。数を増やすには、人と契って半魔を生むか、王と契って新たな魔族を生むしかない。とはいえ、前王も、若君もあまり欲がなくてねぇ」
「それは困りましたわね。皇族の責務とは、恋愛に勝るものでしてよ。けれど、ご安心くださいまし。私に愛を捧げる権利を、ジルベルト様にはさしあげますわ」
ジルベルトはアスタロトを恨みがましい目で睨みつけた後に、私に視線を向ける。
「お前みたいな小娘に、俺が惚れるわけがねぇだろうが」
「良いのですよ、ジルベルト様。大人と子供、それ以上の歳の差があったとしても、責める者はおりませんわ。どうぞ素直に、私が欲しいとおっしゃってくださいまし」
「お前、……お前の魂胆は分かってるぞ、俺を手に入れて魔界を占領し、挙句人の世を滅ぼそうと思ってるんだろう。人の世になんの恨みがあるのか知らねぇが、手を貸さないからな、俺は」
「あらあら……、あなたの若君は、ずいぶんと想像力が豊かでいらっしゃいますのね」
アスタロトが苦笑して、肩を竦めている。
本当は半分ぐらい当たっていたが、私は誤魔化した。
交渉を上手く運ぶためには、ついていい嘘もあるのだ。
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