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クラリッサの秘匿
しおりを挟むレオンハルトとロネはたった二人だが、クレスルードを筆頭としたアルヴァロの私邸を守る兵は、ざっと見て数十人ほど。
見張りの砦がいくつかあるために、全て合わせるともっと多い。
普段からアルヴァロは多くの兵士に身辺警護をさせている。
王弟の反乱の噂を聞いてからというもの、慎重になっていた。
だが、切り抜ける自信はある。百万の兵を相手にしても、愛した女性を救いに行く。
それぐらいのことができなくては──ルティエラを、巻き込むべきではないのだ。
レオンハルトはそれを十分理解している。
「私はルティエラ様にずっと脅されていて……っ、ルティエラ様は自分を哀れに見せるために、私に自分を虐めろと言うのです。雪も雨も、命じられたから降らせたのです」
「何故ティエがそのようなことをする必要がある」
「哀れな姿を見せれば、誰かが手をさしのべるでしょう。多くの男性を味方につけるため……レオンハルト様も騙されたでしょう?」
ルティエラと少しでも言葉を交わせば、そんな女性ではないことはすぐに分かる。
少なくとも、レオンハルトはそれを知っている。
あの健気さも、真面目さも、真っ直ぐさも──哀しさも。
誰よりもよく知っている。
生まれながらに不遇な立場に身を置いて、少しも穢れない清廉な心を、レオンハルトは愛している。
ルティエラはただ一人で、その心を、壊れないように砕けないようにずっと守っていたのだ。
エヴァ―トンの花という仮面を、王太子の婚約者という仮面を被り続けていた。
今はその仮面は剥がれ落ちてしまっている。
誰にでも分け隔てなく優しく、明るく、生真面目な彼女を皆に知られることに嫉妬を感じないでもないが、彼女は一途にレオンハルトを想ってくれている。
──ただひとりの愛する女性だ。
今更、その程度の言葉で揺らぐとでも思っているのか。
全ての人間を自分の支配下におけるとでも、自分の味方になるとでも思っているのか、聖女は。
聖女ではない。
クラリッサは、ただの、魔女だ。
「私は、レオンハルト様の悩みも苦しみも理解しています…! ルティエラ様もきっと、あなたを甘い言葉で騙したのでしょう? けれど、私のほうが、あなたを分かっているの!」
「……俺の何を分かっているというのか、聖女」
はらはらと涙を流しながら、クラリッサは言いつのる。
「あなたには呪いがかかっているでしょう? その仮面の下にあるのは醜くなどはない、誰よりも美しい顔だわ。強く、気高く美しい、あなたは魔女に呪いをかけられた。私なら、その呪いをといてあげられる。だって私は、聖女だもの!」
「呪いをといてあげられる、だと? それは異なことを言う。俺がそれを、お前に頼んだか?」
「怖がる必要はないの。私に全て任せて、レオンハルト様。あなたは呪いのせいで顔を隠さなくてはいけなくて、苦しい思いをしてきたのよね? 私なら、レオンハルト様を救えるわ! 私はあなたの味方よ」
アルヴァロは、クラリッサは己の苦悩を分かってくれたと言っていた。
なるほど、こういうことか。
自分の過去も立場も抱えている事情も話したわけでもないのに、クラリッサには知られている。
そして、訳知り顔で「救える」と言うのだ。
私にならあなたが理解できる。
私はあなたの味方。
あなたを分かってあげられるのは、私だけ。
救ってあげる。
どの言葉も、胸糞悪い救世主気取りの、性根の腐った女のものだ。
その救済の言葉は、児戯に等しい。
下手な役者が自分の演技に酔いながら、台詞を棒読みで口にしているようだった。
醒めた苛立ちがレオンハルトをより冷静にさせていた。
「俺がお前に救済を願ったか? 思いあがるな。ただの雨乞いの分際で。そこを退け。お前の言葉に従うのは、頭の悪い愚か者だけだ」
「そんな、酷い……っ」
「全ての者が、お前を聖女と敬い傅くと思うのは大きな間違いだ。邪魔だ、雨乞い。俺のティエを返してもらう。俺の忠誠は、すでに王家にはない。歯向かいたい者は剣をとれ、切り捨てられる覚悟があるのならな!」
レオンハルトが剣の柄にてをかけると、クレスルードが青ざめた。
クラリッサに説得をされるとでも思っていたのか。
それとも、剣を重ねるまでに至らないとでも、レオンハルトが愛する女を奪われて、奪ったものに忠誠を誓い続けるとでも、甘い考えを持っていたのか。
「どうして……!? どうして何もかも、うまくいかないの! 私は聖女なのに! やっとレオンハルト様をみつけたのに、どうして私を好きになってくれないのよ!」
「何を、愚かなことを」
「ここは物語の世界で、あなたは私の一番好きな登場人物だったのよ!? あなたは王に捨てられた第一王子で、魔女の呪いがかかっている。その呪いをとくのは私。それなのに、いつもルティエラが私の邪魔をする!」
「……頭がおかしくなったか」
「皆が私を、愛さなくてはいけないの。愛してくれるはずなのに……! 私は聖女、雨乞いなどではないわ!」
意味の分からないことを叫ぶ聖女から、兵士たちもクレスルードもやや怯んだように距離を置いた。
クラリッサが両手を広げると、突風が起こり森の木々がざざざと音を立てて揺れた。
晴れた空に稲光が光り、鋭い破裂音を響かせながら雷が木々を切り裂き、火の手があがる。
「あなたなんていらない。聖女の力を思い知って! 皆、ここにいるのは悪女に心を売った反逆者よ、殺しなさい!」
「しかし……!」
「クレスルード様、私を信じてくださらないの……!? アルヴァロ様と私に従うのが騎士でしょう? 私も共に戦います、だから、反逆者を始末しましょう……!」
──魔女とは、皆、このような者たちなのだろうか。
だから過去、聖女は国王に取り入り、他の魔女を殺せと命じた。
全ての人間が自分の前に跪かないと我慢ができなかった。自分が魔女だと知る者がいては、聖女を名乗った魔女にとっては都合が悪かったからか。
レオンハルトは剣を抜いた。
ロネも、嵐にも雷にも怯えることなく、馬上で槍を抜く。
雷にうたれれば無事ではない。だが──おそろしいのは、天候を操るその力だけ。
目の前にいるのは、ただの女。
それも、弱い女だ。
「──調子に乗るな、魔女め」
レオンハルトは馬上から鐙を蹴って跳躍すると、クラリッサの間合いへと一瞬で入った。
瞬きをする間にその喉元へと剣をつきつける。
クレスルードは動かなかった。鈍器で頭を殴られたように呆然としながら、棒立ちになっている。
向かってくる兵たちを、馬を駆りながらロネが長槍で弾き飛ばした。
落ちる雷に打たれる者もあれば、地を舐める炎に体を焼かれる者もある。
呻き声と悲鳴と、逃げ惑う声がごうごうとなり続ける嵐の中に亡者の声のように広がった。
クラリッサの力は、暴走しているように見えた。
だがあえてそうしているようにも思える。
人を人と思っていないような傲慢さが、彼女からは感じられた。
「喉を突かれて死にたいか、魔女。死にたくなければ、力を止めろ」
「どうしてよ……っ、どうしてうまくいかないの、せっかく、聖女になれたのに!」
「──逆らうのならば、死ね」
だが、それには早い。
恨みに鈍る剣で処刑をするのは、違う。
レオンハルトは剣を逆手に持ちかえると、クラリッサの鳩尾を容赦なくその柄でついた。
その体は大きく震え、くぐもった声をあげてぐったりと弛緩する。
クラリッサが気絶したからだろう、雷と嵐がやんだ。
ぐったりと動かないクラリッサを、レオンハルトはロネに渡した。
そしてあらためて、剣を向けてくる兵士たちに向き直る。
「お前たちの命を石ころとも思っていない聖女を、お前たちは本当に聖女だと考えるのか? 魔女は天候を操る。王の心ひとつで、己の家族が旱魃で飢え、水害で、天災で死ぬことを考えろ!」
人死には、少なくあるべきだ。
兵は、王に雇われている。金のために働いている者も多い。
彼らにも家族がいる。生活がある。そんなものたちを切り捨てたくはない。
「トーラスもアルヴァロも、俺からティエを奪おうとした。娘をさしだせ、妻を、恋人をさしだせと言われて拒絶をすれば、反逆者の汚名をきせられ、聖女によって苦しめられる。そのような世を、地獄と呼ばずになんと呼べばいいのか! 道を開けろ、俺はティエを救う!」
雷に打たれ、炎に巻かれた兵士たちを庇うようにしながら、まだ無事であった兵士たちは、レオンハルトのために道をあける。
クレスルードは地に片膝をついて、深く頭をさげた。
「申し訳ありません。私の目が、曇っていました。……レオンハルト様、どうかこの首を落としてください」
「そのようなことはしない。クレスルード、俺と共に来い。ロネを援護し、俺をアルヴァロの部屋まで導け。ティエを救う手伝いを頼む」
「は、はい……っ、御意に……!」
ロネはクラリッサの体に縄を打っている。
その口に布を噛ませて、馬に乗せた。
「兵たちは、傷の手当てをしておけ。炎の消火もだ。このままでは森が焼け、民に被害が出る。ロネ、クレスルード、行くぞ」
レオンハルトはそう冷静な声音で伝えると、前方に姿を現しているアルヴァロの屋敷へと再び馬を駆けさせた。
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