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ただひとつの美しいもの 1
しおりを挟む国王トーラスは、配下の部下や恋人を奪うことを好んでいる。
ルティエラにとってそれは、ただの誹謗中傷にしか過ぎなかった。
もちろん公爵令嬢時代はその話も耳にしたことがあるが、まさか──と、思っていた。
綺麗なものを信じていた。汚れたものを見ないようにしていたと言ってもいい。
トーラスに気に入られるためには、己の妻や恋人をさしださなくてはならない。
ルティエラの父ルドメクも、母アイシャをさしだしているのではないか。アイシャは、トーラスのお気に入りの情婦だったのではないか。
そんな聞くに堪えない噂さえ耳に入り、まだ子供だったルティエラは、おそろしくて仕方なかった。
なにもかもが、怖かったのだ。
生まれたときにはすでにアルヴァロの婚約者だったルティエラは、教育の一環として褥教育もされていた。
男女が交わるとはどういうことか知っていたし、もしかしたら自分はアルヴァロではなくトーラスに捧げられるのではという疑念もあった。
母が──トーラスに、捧げられたように。
両親の間には、愛がないように見えた。そして、ルティエラは両親には愛されなかった。
ルティエラはただの、駒だった。
それは自分の父が、ルドメクではないから、かもしれない。
自分は、罪深い存在なのではないか。
だから、母は私を嫌うのでは。父は私を道具としか見ていないのでは。
だから──弟や妹のことは大切にするのではと、ふとした瞬間考えそうになってしまい、心に蓋をし続けた。
忘れることも、感情を押し込めることも、本音を心の奥へと隠すことも。
いつの間にか、それがルティエラにとっては呼吸をするのと同じように、ごく当たり前のことになっていた。
いつしか、コップから注ぎ過ぎた水があふれるように、心がいっぱいになっていたのだろう。
──レオンハルトが声をかけてくれたのは、そんな時だったのだ、きっと。
本音を隠し続けていたのに。
ルティエラはレオンハルトに、アルヴァロの子を産むことは恐い、ここから逃げたいと、素直な気持ちを吐露した。
救いを求める心も隠さなくてはいけないものだ。
レオンハルトの存在は、ルティエラにとっての救いになった。
だから、隠した。忘れてしまった。記憶の箱の中に慎重にしまいこんで、鍵をかけた。
そうしないと、仮面のように顔にはりつけた笑顔を、つくることができなくなってしまう。
大切なことから目をそらし続けていた。
アルヴァロはトーラスによく似ている。そんなことにはとっくに気づいていた筈なのに。
たとえアルヴァロが、王の資質がないと言われていようと、それで悩んでいようと──その素行が悪いのは、アルヴァロ自身のせいでしかない。
侍女やメイドに手を出していた。それだけではない。他の貴族令嬢にも手を出していた。
孕めば、子殺しの薬を与えていたのだという。
それもただの噂だ。
聞きたくない。
何も、聞きたくなかった。
──私は、ただ与えられた役割をこなす、人形でしかないのだから。
王も王太子も、誰よりも偉い。だから、誰も彼らを咎めることなどできない。
咎める権利も与えられていない。そう、信じていた。そう育てられてきた。
それは言い訳だ。弱いから。逃げていたから。
自分で考えることさえ、できなかった。
「おやめください、殿下! あなたには聖女様がいらっしゃいます。私には、レオ様が……! ただそれだけのことなのに、どうして……!」
「心の病は、なおすことが難しいのだという。よほどレオンハルトに快楽を教え込まれたのだな、ルティエラ。体も心も、あの男に従順にならざるをえなかったのだろう。哀れだ」
「違います! 違うと言っているのに……! おやめください、触らないで……!」
白いドレスがたくしあげられる。
暴れるルティエラの手は頭の上でひとまとめにされて抑えつけられた。
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