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解放への旅路

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 しばらくソファに座って、レオンハルトの残していった熱の中に体を深く沈めていたルティエラは、ノックの音で意識を浮上させた。

「レオ様?」
「クレスルードだ、ルティエラ」

 レオンハルトが戻ってきたのかと思った。時計の針は思ったよりも進んでいない。
 国王陛下が呼んでいるとレオンハルトを呼びにきたのはクレスルードだ。
 
 この部屋には今、レオンハルトがいないことをクレスルードは知っている。
 だとしたら、なんの用だろう。

 レオンハルトからは、誰も部屋に入れるなと言われている。だが、クレスルードならば構わないのではないか。
 彼が何か、よくないことをするとは思えない。
 ルティエラは立ち上がると、扉に近づいていった。

「どうされました、クレスルード様」
「扉を開けろ」
「レオ様から、自分が戻るまでは鍵を開いてはいけないと申しつかっております」
「そのレオンハルト様が大変なんだ。王弟派の賊に襲われて、怪我をなさった。お前を呼んでいる!」

 切羽詰まった声音には、嘘はないように思えた。
 クレスルードは冗談を嫌い、職務中には笑うこともない。
 真面目な性分の男だと、ルティエラは知っている。

 レオンハルトは、どれほどの怪我をしたのだろうか。大怪我かもしれない。

(だから、私を呼んでいる……?)

 喉元に氷塊を詰められたような不安と苦しさを感じる。
 あの方に何かあったらと思うと、冷たいものが背中を流れ、足が立たないような心持ちになった。
 それぐらいレオンハルトの存在は、ルティエラの中で大きなものになっている。

 彼からもらったものは大きくて、もう、レオンハルトに愛される前の自分には戻れそうにないほどに。
 ルティエラは急いで内鍵を開いて、扉を開けた。
 扉の前には、深刻な表情をしたクレスルードが立っている。

「クレスルード様、レオ様は……!」
「ルティエラ、開けてくれてよかった。逃げよう、今すぐ」
「逃げる……?」
「あぁ。お前は籠の鳥になる必要はない。お前に罪はない。今すぐ、逃げるぞ」
「ま、待ってください、離して……!」

 きつく腕を握られて、ぐいっと引き寄せられる。転びそうになったところを強引に引き寄せられて、二、三歩、勝手に足が進んだ。
 抵抗するルティエラの体を、クレスルードは簡単に抱えあげた。

「離してください、クレスルード様! 私は、逃げる必要は……!」
「レオンハルト様がお前を玩具のように扱っていることはわかっている。エヴァートン家の生まれのお前に、私怨があるのだろう。だとしても、このような振る舞いは許されるものではない」
「そうではありません、私は、レオ様のことが好きなのです……!」
「そう言うようにと躾けられたのだろう、大丈夫だ。私がお前を助ける」
 
 違うと否定しようにも、クレスルードは執務室での情事を知っている。
 レオンハルトは人前ではわざと、ルティエラを物かなにかのように扱っていた。
 そうする必要があったからだ。それは、アルヴァロやクラリッサからルティエラを守るためなのだろう。

 だからだろう。ルティエラがどんなに違うと否定しても、レオンハルトを愛しているのだと伝えても、クレスルードはレオンハルトに言わされているの一点張りで、聞く耳をもってはくれなかった。

「お願いです、離して……!」
「大丈夫だ、ルティエラ。私がお前を、しかるべき場所に連れていく。お前を守るためだ」
「しかるべき場所……?」

 ルティエラにとって安全な場所とは、レオンハルトの傍だけだ。
 一体どこに連れていくというのだろう。
 分からない。分からないけれど、このまま大人しくしているわけにはいかない。
 レオンハルトを待たなくてはいけない。鍵を開かないと約束したのに。
 クレスルードは知り合いだから、大丈夫だと思ってしまった。まさか、彼が嘘をつくなんて思わなかった。

 ルティエラはクレスルードの腕の中でもがいた。
 その顎を手で押し、腕を掴み、じたばたと足を動かす。
 クレスルードは不愉快そうに眉を寄せると「大人しくしていろ、お前を助けたいんだ」と呟いて、ルティエラの口に何かの薬品が染みこませてある布を押し当てる。

 眠り草の水薬である。眠れない夜に香にして部屋に焚くと、よく眠れる。
 ルティエラも何度か使用したことがある。
 あまりに眠れないときは水薬を飲むこともあるが、飲み過ぎると深い眠りについてしまう危険な薬だ。

 抗えない眠気に襲われて、ルティエラの意識はランプが消えるようにふつりと途切れた。

 ふと──意識が浮上する。
 そこは見知らぬ部屋だった。
 
 窓は人が一人通れないぐらに小さく、夕方の明りが部屋に小窓の形に落ちている。
 広くも狭くもない部屋には重厚感のある扉が一つ。
 それからベッドと、テーブルがある。牢獄のような部屋だ。その牢獄染みた部屋のベッドに、ルティエラは寝かされていた。

 ぼんやりする頭を押さえながら起きあがり、状況を確認する。
 ここは、どこだろう──。

「っ、出して! お願いです、ここから出してください! 帰らないと……!」

 ルティエラは跳ねるように起き上がると、扉に向かって走った。
 お仕着せを着ていた筈が、どういうわけか白いドレスに着替えさせられている。
 クレスルードがここに連れてきたのだろう。だとしたら、彼がどこかにいるはずだ。
 話しをして、分かってもらわないといけない。
 レオンハルトは、酷い人ではないということを。

「起きたか、ルティエラ」

 扉が開き、顔を出したのはどういうわけか──元婚約者の、王太子アルヴァロだった。
 扉に縋りつくようにしていたルティエラは、喉の奥で悲鳴を押し殺して、一歩後退る。

 クレスルードの言っていた、しかるべき場所。
 それは、アルヴァロの元にということだったのだろうか。
 レオンハルトからルティエラを守らなくてはいけないと考えるのなら、確かに権力者であるアルヴァロの元に身を寄せるのが正しいだろう。
 
 けれど、どうして。
 何が起こっているのか分からずに、ただ、本能的な危険を感じて、ルティエラはもう一歩後ろにさがった。
 アルヴァロは部屋の中に入り、扉を閉めて、カチャリと鍵をかけた。

 


 
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