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婚約者の裏切り
しおりを挟む貴族学園の三年生としてあと一年で卒業を控えていたオリバーの隣には、シャロンの知らない女性がいた。
エミリアという名の、愛らしくも妖艶な女性である。
オリバーと同級の子爵令嬢で、オリバーが入学した当初から仲睦まじくしていたようだと、噂に聞いた。
シャロンとオリバーは険悪な関係ではなかったが、そこには婚約という契約があるだけの他人でしかなかった。
恋人というような甘い間柄ではない。
貴族の結婚というのは大抵の場合がそんなものである。
親の決めた婚約で、結婚後も夫婦仲は冷え切っていて、男性には愛人がいるのは珍しいことではない。
だからシャロンは、何も言わなかった。
王太子の浮気を咎められるような立場ではないこともまず一つ。
それに、シャロンの役割はオリバーに愛されることではないのだ。
ただ――嫁ぎ、子種をもらい受け、子を生み血を繋ぐ。それ以外は、余計な波風を立てない賢い女でなくてはいけない。
この賢いというのも、国政には口を出さず、余計なことをせずにただ微笑んでいることができるという賢さである。
シャロンの心には大きな水瓶がある。王妃教育がはじまってから、シャロンはその水瓶の中に様々なものを押し込んできた。
両親の期待にこたえたい。
フェルマー家の名を穢してはならない。
試験のできが悪く、家庭教師に叱られて辛い。不出来だと影で両親に呆れられて辛い。
妹のほうが優秀だと、比べられるのが苦しい。
少しでいいから、褒めてほしい。
認めて欲しい。
私を――愛して欲しい。
寂しい。オリバーに、愛されたい。私のどこがいけないのだろう。
顔立ちだろうか。それとも、性格だろうか。私は、誰にも愛されないのかもしれない。
もっと頑張れば。もっと、王妃として相応しい女になれば――オリバーは愛してくれるのだろうか。
いつしか水瓶はもう、水があふれるほどに一杯になっていた。
ピシピシと罅が入り、砕け散り、押し込めたものが波のように溢れて体を満たしていく。
「駄目だった。何もかも、駄目だった。頑張っても、頑張っても……なにも、ならなかった」
呟く言葉が、心の中に黒いインクの染みのようにぽつぽつと落ちて広がっていく。
オリバーの浮気など気にもしていないという顔をして、学園での日々を過ごしていた。
誰にでも笑顔で。上品さを、心がけて。心の痛みなど気づかれないように。
いつしかシャロンは陰で、『鉄の女』と呼ばれるようになっていた。
そのようなシャロンの態度は、オリバーに対する無関心さか、もっといえば無感情に見えたらしい。
オリバーが学園で人目を憚らず堂々とエミリアと愛を語り合っていても、素知らぬ顔で学園生活を送り、オリバーとすれ違うときでさえ、一歩下がって笑顔で礼をする。
シャロンのそのような態度は、『さすがはフェルマー公爵家のご令嬢』という賞賛の声と『彼女には感情がないのではないか』という懐疑的な声、双方があがった。
何も――褒められたことなどない。両親はオリバーの浮気の噂を聞きつけて、それはお前に女としての魅力がないからだとシャロンを叱責した。
感情が、本当になければよかったのに。
そうしたら、心臓がひりつくような痛みも、血液が逆流するような苦しさも、味わうことなどなかった。
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