虐げられた公爵令嬢は辺境の吸血伯に溺愛される

束原ミヤコ

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吸血伯ルカ・ゼスティア 1

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 結局いつものように、食事は城の食堂でとることにした。
 小麦粉とバターと砂糖を買って、ついでにお店の店頭にあったマフィンもいくつか買って帰ってきた私たちは、まずは昼食を食べようということになり、鈴音は木の実が沢山は入ったものを、私はベリーが沢山入ったものをひとつづつ食べた。
 それはかつて晩餐会で食べたものより甘さがかなり抑えられていて、果物の甘酸っぱさをしっかり感じることがでるものだった。苦手意識があった私でも、最後まで苦痛に感じることなく食べることができた。
 食事をとりながら先程の女性についてを尋ねてみると、鈴音は「あれはエミリア・エンリケ様。ハワード・エンリケ様……ワーテルの街の首長の一人娘です。ルカ様の前では借りてきた猫のように大人しいですし、直接言葉を交わしたのは今回が初めてですね」と言っていた。
 エミリア・エンリケ二十歳。今まではルカ様が必要があって首長の家を訪れるときは、ハワード様の後ろに控えるように静かにしていたらしい。
 あのような言動をする人だとは知らなかったと、鈴音は言った。
「私の住む難民街では東国人の方が数が多くて、市場や大通りの商店街では差別的な言葉をきいたことはありません。でも、エミリア様のように思っている人も少なくないのだと思います。戦争は終わったばかりですからね」
 そう寂しそうに鈴音が言う。
「それでも、マリィ様に守っていただいて鈴は幸せです。全ての人に好かれようなんて思いませんし、全ての人が私を好きな世界とか気持ち悪いじゃないですか。私の家族と、ルカ様と、マリィ様。もう十分です。だから、エミリア様の事なんてもう忘れました」
 私もそうだと頷くと、鈴音は「それじゃあ元気になったところで、焼き菓子を作りましょうか!」といつもの調子で言った。

 ルカ様と楼蘭が王都から帰ってきたのは、夕食の片づけが終わった後の事だった。
 作りたての一口大の焼き菓子はひとつふたつ抓んだけれど、昼食にマフィンを食べてしまったのであまり食べる気にはならず、作り過ぎた分は鈴音の子供へのお土産に袋に入れて包んだ。
 鈴音は私をひとりで残せないと言って、帰らずに城に一緒に居てくれた。自宅に残しているという鈴音の子供が心配だったけれど、「あの子は私よりも私の母に懐いてるぐらいなんですよ。今日一日ぐらいは大丈夫です」と言っていた。
 入浴と着替えをすませてしまおうというので、二階にあがろうとしている最中、玄関の扉が開いたのである。
 本当に今日中に帰ってきたことに驚いて正面玄関まで迎えに行くと、ルカ様は私を抱き上げてくれた。

「マリィ、会いたかった! マリィのいない一日は寂しくて辛くてまるで地獄のようだったよ!」

 嬉しそうな笑顔を浮かべて、ルカ様は言う。

「ルカ様、お帰りなさい」

 朝と変わらない様子のルカ様に内心安堵した。
 ルカ様が王妃様の葬儀でメルヴィル様やクラーラに会っていたら、クラーラに何かを言われていたらと思うと、不安だった。
 メルヴィル様も見栄えの良い方だったけれど、ルカ様の色合いは王国の者としては珍しい。黒い髪は東国の方々のようだけれど、顔立ちは王国の民のものだ。赤い瞳をもつものは少なく、希少な宝石のようだ。
 私の貰いてとなってくださったルカ様が吸血伯という噂とは違い、容姿に優れた優しい方だと知ったら――きっとクラーラは私から奪おうとするだろう。

「マリィ、変わりは無かった? 大丈夫だった?」

「私は大丈夫でした。ルカ様の方は、……王都では何か問題はありませんでした?」

「特にはないよ。ルネスと話して、マリィとの挙式が一週間後に決まったよ。祭壇の準備も間に合いそうだ。あとは、招待状を送って、マリィのドレスを作ろう。祝いの手配を整えれば、あとは一週間後を待つだけだよ。これでマリィと俺は正式な家族になれるね!」

「王妃様が亡くなったばかりなのに、良いのですか……?」

 抱き上げられていた私は、床に降ろされると今度はぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
 体の大きなルカ様にすっぽり抱き込まれながら、私は疑問を口にした。

「ルネスの即位も行う必要があるし、いつまでも喪に服しているわけにはいかないからね。目立つ祝い事は多ければ多いほど良いそうだよ」

「そうですか……、ルネス様はいらっしゃるのですか?」

「駄目だよ、マリィ。ルネスは独身だけれど、マリィは俺の奥さんになるんだからね? まさか、ルネスの方が顔が好み、とか。ルネスの方が若いし……、どうしよう、負ける未来しか予想できない」

 私が着になったこととは違う心配をルカ様がし始めるので、私はルカ様の服を引っ張った。

「違います、ルカ様。顔の好みで言えば、私はルカ様が好きです」

「マリィ……!」

 ルカ様は感動したように私の名前を呼んで、更にきつく抱きしめてくる。
 ルカ様の顔が好きだというのは事実だし、安堵してくれたのなら良かった。ルネス様の顔は、一度遠目でお会いしただけなので、よく思い出せない。美しい方だったという記憶はあるけれど。

「ルネス様は、私に会いたくないだろうと思って」

「それはこちらの台詞だよ、マリィ。本当は俺はマリィをルネスなんかに会わせたくない。可憐なマリィをルネスなんかに見せるのは勿体ない。マリィが減ってしまう」

「ルカ様、人に見られても私は減りません」

「いや、減る。俺が見る分が減る」

「……じゃあ、ルカ様の分が減らないように、どうぞお好きなだけ、沢山見てください」

 いったいこれは何の話だろう。
 あまりの内容のなさになんだか気が抜けてしまって、私は少し笑った。

「良いの? 四六時中いろんな角度から見ても怒らない?」

「怒ったりはしませんよ。お好きになさってください」

「じゃあ今日はもう何もせずにマリィを眺めていよう。可憐なマリィを見ていると、中央の貴族たちを沢山見てしまったせいで荒んだ心が癒されていくようだね」

「ルカ様は、社交の場に出るのがお嫌いでしたでしょう。王都までの往復でお疲れでしょう? ゆっくり休んでくださいね」

「うん、ありがとう。……楼蘭も、鈴音も今日は遅くまでありがとう。下がって良いよ」

 ルカ様に言われて、楼蘭と鈴音は立礼をすると城から出ていった。
 ワーテルの街の難民街にあるという自宅へと帰るのだろう。「おやすみなさい」と私が言うと、二人とも優しく微笑んで「おやすみなさいませ、マリィ様」とかえしてくれた。

 夕食は適当にすませてきたとルカ様は言った。
 先に入浴をして良いといわれたので、お風呂をすませて白い頭からかぶるだけの寝衣に着替える。
 ベッドに横になって天蓋に泳ぐ魚をぼんやりと見つめていると、私の隣に滑り込んできたルカ様が私の体を抱き込んだ。

「今日はひとりにして、悪かったね。心細くはなかった?」

「大丈夫です。鈴が一緒にいてくれましたから」

「鈴音がいても、俺がいなくて心細かったと言ってくれると嬉しいんだけれど……」

 残念そうにルカ様が言う。

「……ごめんなさい、私……、素直じゃないですね。ルカ様がいなくて、不安でした。……心配も、していました」

 ルカ様が求めていた言葉を察することができなくて申し訳なく思い、私は眉を寄せる。
 メルヴィル様に素直に助けを求めなかったのは、私は大丈夫だと、どんな苦境もひとりで乗り越えることができると――強がってしまったからだ。
 今なら分かる。
 お母様が亡くなった時に現われたお父様に、子供らしく泣きじゃくって縋って、悲しいと言っていれば、あそこまで酷い扱いを受けなかったのかもしれない。
 激しい怒りと憎悪と自尊心と矜持。それが私から、素直さを奪った。
 お父様たちに阿ることを考えると嫌悪感が心を満たすけれど、ルカ様にまで意地を張る必要はないだろう。素直に気持ちを伝えることで何かが変わるのなら、意地を張り続けて失ってしまうよりはずっと良い。

「……話はしなかったけど、メルヴィルにも会ったよ。随分と印象が変わっていたね」

「そうですか……」

「それから、マリィの義理の妹。……クラーラと言ったかな。仲睦まじそうにしていたよ。ルネスと話をしていたら二人が来たから、さっさと逃げてきた。心配しなくても大丈夫。何も、言われていないよ。それにあれに比べたら、俺のマリィの方が数百倍可愛い。比べるのはマリィに失礼だというぐらいに、マリィの方が愛らしい。マリィが湖の妖精だとしたら、あれは……なんていうのかな、石の裏にこびりついている苔のようなものだね。……苔に失礼か」

「ありがとうございます。お世辞だとしても、嬉しいです」

「お世辞じゃないんだけどな。……さぁ、マリィ。今日はそろそろ休もう。……明日は久々にちゃんと仕事をしないといけないからね。挙式の準備というのは中々大変らしい。書類関係の仕事は苦手なんだけど、マリィの作ってくれた焼き菓子があるから、頑張れそうだよ」

「……美味しいかどうかはわかりませんよ?」

「マリィの作った料理ならなんでも美味しいから問題ない」

 ルカ様は私の背中をゆっくりと撫でてくれる。
 目を伏せると、髪に口付けられるのが分かった。

「……ルカ様。……もしよければ、昔話の続きをしてくれませんか?」

 もう少しだけ声を聴いていたい。
 大丈夫だと自分に言い聞かせても、やはり心には鋭い刃物で切り付けられたような傷が残っている。エミリアに嘲られて、私はそれを思い出してしまった。
 ルカ様や鈴音を貶められた時に感じた激しい怒りが通り過ぎてしまえば、弱く無力な私が残る。だから無性に、甘えたくなってしまった。

「ん。良いよ。……じゃあ話をしようか。……返事はいらない、眠ってしまって良いからね」

 長く武骨な指が髪を撫でた。
 私は体の力を抜いた。ぱたりとベッドに落ちた手に、じゃれるように手のひらが絡みついた。

「――長らく続いた戦乱に決着がつかなかったのは、黒い棺の国の方が、隣国よりも発展していたからでした。隣国は切り立った山の多い地形で、大軍を送り込むのも困難だったということもあります。やがて武器は弓から銃となりました。馬止めの柵に足をとられている間に、銃撃の雨が降る。――勝てる見込みなどある筈がありません。それでも、隣国は侵略をやめようとはしなかった」

 東国では沢山の人が命を落としたのだろう。
 戦争には多額の資金が必要だ。武器を買い、軍を維持するだけでもかなりの費用がかかる。
 その分のお金を自国の民のために使えば良いのに。
 多くの領土を求めずに、今あるものだけを大切にしていたら、血が流れずにすんだのに。

「隣国は考えました。力推しが無理なのなら、内側から――壊してしまおうと。隣国には魔女と呼ばれる不思議な力を持った女が産まれる事がありました。彼女たちの力は様々でしたが、皆良い魔女でした。彼女たちは、人を助けるために力を使っていました。隣国の王は魔女たちに命じました。黒い棺の国の人々の中に紛れ込み、内側から崩壊させろ、と」

 鈴音は、自分を魔女だと言った。
 人見の力がある、と。それは人の真実を見抜くだけの力だという。嘘か本当かを判別するだけのもの。
 鈴音も王からそれを命じられたのだろうか。だから、東国から逃げてきたのだろうか。

「魔女たちはそれを拒みました。—―王の命令には従わなかったのです。彼女たちは投獄されて、実験に使われました。そうして出来上がったのが、魔女とは名ばかりの、偽物の魔女だったのです」

 偽物の、魔女。
 鈴音は、最近は魔女という呼び名の意味合いが変わったと言っていなかっただろうか。
 それは戦争のために作られた、魔女だから?
 私はルカ様に尋ねようとした。けれど「さぁ、おやすみ」とあまりにも優しい声でルカ様が囁くから、髪を撫でる手が心地よくて、私は深い眠りへと落ちていった。


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