虐げられた公爵令嬢は辺境の吸血伯に溺愛される

束原ミヤコ

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 奥にあるのは見たことのない複雑な彫り物のされた木枠のあるベッドだった。
 その手前には浴室に続く扉と、衣裳部屋があり、ソファセットと踏み机、ひとりがけ用の椅子などが置かれている。
 ルカ様は私をソファへと降ろしてくれた。青い天鵞絨のソファはなめらかで座り心地が良い。
 楼蘭は中には入らずに、入り口で待っている。
 鈴音は私が纏っていたローブを脱がそうとして、一度手を止めるとルカ様を見上げた。

「扉を閉めて、向こうにいっていてくださいルカ様。入浴と着替えがすんだら、また呼びますから」

「扉の外で待っていたら駄目だろうか……」

「駄目ですよ、近くでそわそわしていられたら、落ち着かないじゃないですか。正面に政務室があるでしょう、楼蘭と仕事でもして、時間を潰していてください。マリスフルーレ様とルカ様の結婚式の準備だってまだできていないし、この部屋だってまだ全然迎え入れる用意ができなかったんですから。身の回りの事は私が全て行いますので、ルカ様は自分の仕事をしてください。楼蘭、きちんと見張っていて」

 鈴音に言われて、ルカ様は名残惜しそうに私の手を握った。

「マリィ、離れたくはないけれど、仕事をしてくる。何か困ったことがあったらすぐに俺に言うんだよ。……マリィ、すぐにまた会いに来るからね。あぁ、マリィ……」

「ルカ様。政務室は、正面の部屋です。入浴と身支度で一時間程ですよ。今生の別れのような雰囲気を出すのはやめてください」

 とても悲しそうなルカ様を、鈴音がその背中を押して部屋から追い出して、楼蘭が引きずって正面の政務室へと連れて行った。
 部屋の扉をばたんと閉めた鈴音は、大きく溜息をつく。

「なんて……、残念なの……、マリスフルーレ様、ごめんなさいね。まるで初恋に浮かれる少年みたいだわ……、ルカ様は、本当は優秀な方なのよ。必死過ぎて見ているこちらが恥ずかしくなってしまうわね……」

「……優秀だということは、分かります。王都が戦火の渦に巻き込まれなかったのは、ルカ様の御蔭でしょう。そのせいか、……王都の貴族たちはまるで戦争の事を他人事のように語っていましたけれど。……ルカ様は私の緊張を、解して下さっているのだと思います。だから、鈴、心配しなくても大丈夫です」

「マリスフルーレ様! ありがとうございます。あぁ、私ったら、ここで話し込んでしまったらルカ様と同じになってしまいますね。さぁ、入浴の準備はできています。その最低な衣服を脱いで、体を清めて髪を整えましょう。私、マリスフルーレ様に着て頂きたいドレスが山ほどあるのですよ」

 鈴音に案内されて、私は浴室へと向かった。
 着替えなどは今まで全て自分で行っていたのだけれど、鈴音はローブを脱がせて体に纏わりついていた白いウェディングドレスを脱がせてくれた。呪いのように体にはりついて重たかったドレスを脱ぐと、それだけで胸につかえていた苦しさが楽になるような気がした。

「まずはゆっくりお湯に浸かりましょうね」

「鈴、私は、自分でできます」

「今日だけは鈴に世話を焼かせてくださいな。なるだけマリスフルーレ様のご希望に添えるようにしますけれど、今日だけで良いので、全て鈴に任せてください」

 真剣な表情で鈴が言った。
 せっかくの好意を無下にはできないので私は頷いた。
 たっぷりお湯が張られた白い浴槽には、赤い花びらが散りばめられていた。とても贅沢で、入るのが勿体ないと思ってしまう。

「薬用に栽培されている、ロゼ・オフィキナリスです。分かりやすく言えば、薬用薔薇ですね。傷を癒す効果があるのですよ。ルカ様はあんな感じですけれど、内心ではマリスフルーレ様の受けた傷に腸が煮えくり返っているので、傷跡を残さないように綺麗に治します。鈴が、約束します。だから、安心してくださいね」

「ありがとうございます……、とても良い香りがします」

 暖かいお湯につかったのは、いつが最後だっただろう。
 じんとした痺れが体に染み渡る。全身を包み込む温もりに、私は小さく息を漏らした。
 首元にタオルをあてられて寝転ぶような姿勢にされる。鈴の手が私の顔に触れる。ゆっくりと泡で綺麗に洗浄されたあとに、少しだけぬめり気のある油のようなものを顔に塗られて、手のひらが肌の上を何度も滑っていくのが心地良い。

「女性の顔に傷をつけるだなんて、最低ですね……、マリスフルーレ様の敵は、私の敵。マリスフルーレ様を傷つけた方たちは全て万死に値します。絶対に許せません」

「私が……、迂闊だったんです。いつか何かが変わるかもしれない。すこしは良くなるかもしれない。そんな希望を、どこかで抱いていたんです。だから、単純な罠にはまってしまったんです」

「希望を抱くことの何が悪いのですか。希望が無ければ、生きてなどいられません。いつかは良くなる、良い日がくると思わなければ、明日を迎える事さえ苦痛になってしまいます。……マリスフルーレ様、これからのマリスフルーレ様には、私達がいます。ルカ様が、います。止まない雨はありませんよ」

「私の雨は……、もう止んだのでしょうか」

 お母様が亡くなった日は、生温く熱い雨の日だった。
 あの日から、多分私の景色にはずっと雨が降り続けている。

「えぇ、勿論。これからは日照りが続きますよ。農家の方々が困るぐらいぐらいに、晴れた日しかありません」

 鈴音はきっぱりと言い切った。
 それが当然だと言うように、自信に満ち溢れた声だ。
 戦乱の最中王国に亡命してきた鈴音の方が私よりも余程苦労しているのだろうに、その苦労を微塵も感じさせない鈴音はとても強い。
 私も失ってしまった強さを、思い出したい。
 絶望ではなく希望があると、信じられるようになりたい。

「……鈴。……私には義理の母と、妹がいるのです。……私は全てを奪われました。……だから、思ってしまうのです。ルカ様もいつか、そうなるのではないかと。この幸福は、儚く消えてしまう泡沫ではないのかと」

「ルカ様が? まさか、そんなことにはなりませんよ! どうかマリスフルーレ様、ルカ様の傍にいてあげてくださいね。マリスフルーレ様のことが本当に必要なのは、ルカ様の方なのですから」

「私が、ですか……?」

「はい。我が主がどんなに残念で面倒な男でも、許してくれると良いのですが……、あまり度が過ぎるときは私が叱りますので、いつでも言ってくださいね」

「いえ、そんな事は……」

「それから……、ご家族の事は大丈夫ですよ。……悪事には、相応の罰が下るものです。相応の、相応しい罰が」

 だから大丈夫ですよ、と鈴音はもう一度言って微笑んだ。
 罰が、と私は心の中で反芻する。
 天罰が、下る。
 誰に、だろう。
 お母様を裏切ったお父様と、アラクネアに。私を罠に嵌めた、クラーラに。
 ――メルヴィル様は、被害者なのだろうか。
 分からない。デビュタントの時に私を助けて下さったメルヴィル様は、正義感の強い良い方のように見えた。
 クラーラに騙されているとしたら、哀れな事だと思った。

 浴槽の洗い場で、鈴音は私の伸びすぎていた髪を切ってくれた。
 どんな髪型が良いのかと問われたので、「なるだけ短く」とお願いした。
 髪も服も身に纏うもの全てが、ミュンデロット家で起こった出来事の残滓のように感じられて重たかったからだ。
 鈴音は「美しいのに勿体ない」と言いながらも、首元までで切りそろえてくれた。
 前髪も目の上までの長さに切ってくれたので、それだけで頭が軽くなった。
 風呂からあがって体を乾かすと、丁寧に香油を肌や髪に塗り込んでくれる。
 鏡に映った私の顔の傷は思ったよりも薄く、思ったよりも酷い顔ではなかったので安堵した。
 綺麗に手入れをしてもらったからだろうか、薄汚れた襤褸布とばかり思っていた私の姿は、肉付きの少し悪いだけの普通の女のように見えた。どことなくお母様に、似ている気がした。 

 鈴音は薄青い綺麗なドレスを衣裳部屋から取り出してくると、私に着せながらサイズを合わせるために所々縫い直してくれる。
 その手つきは手早く、とても器用だ。
 関心していると、「針は、それがどんな針であっても、得意なんですよ」と言っていた。
 針仕事以外の針を私は知らないけれど、きっと世の中には他の針があるのだろう。
 短く切ってしまったひとふさを編み、水色のネモフィラを模した髪飾りをつけてくれる。

「王国の人々はコルセットをするでしょう? 私はあれを一度嵌めてみたことがあるのですが、何かの拷問かと思いましたよ。マリスフルーレ様は細すぎる程細いので、あんなものは無用です。下着だけで十分です。下着と言えば、最近ワーテルの街に美しいレースの下着屋が増えてきたのですよ。素敵なデザインの寝衣も売っていて、あぁ、マリスフルーレ様に何を着ていただこうかしら、お買い物が楽しみです」

「あの、鈴……、私、動きやすい服が一枚あればそれで……」

「何を言ってるんですか。あいにく私の子供は男の子なんですよね。ルカ様も男、楼蘭も男、息子も男。男ばかりです。私の可憐な姫様に何を着せるのか、私はそれを楽しみに生きているのですから。ルカ様にはどれ程お金を使っても構わないと言われてるんですよ。大きなお城に馬鹿みたいに貯め込んでますからね。使ってこそのお金です。使わないと経済というのは回らないのですよ。ほら、いうでしょう、金は天下の周り物。マリスフルーレ様の衣服や装飾品や靴が、ワーテルの街を活性化させるのですよ」

「でも、あまり贅沢をするのは、良くないです」

「尊い身分の方は贅沢をして良いのですよ。贅沢をした分、働いてもらいますのでね。マリスフルーレ様には、ルカ様の仕事を見守るという大切な仕事があるのです。そうしてくれたら楼蘭の手があくので、兵の訓練に時間を割くことができます。国境付近ではまだ揉め事が起こることがありますので、けして治安が良いとはいえないのですよ。だからマリスフルーレ様、ひとりで出歩いてはいけませんよ。贅沢は、していただきます。ウェディングドレスも作らないといけませんね、楽しいですねマリスフルーレ様」

 ルカ様といい、鈴といい、口を挟む隙がまるでない。
 ルカ様の仕事を見守るのが、私の仕事。
 それだけで、良いのだろうか。
 もっと他になにかできることがあれば良い。助けていただいた分の恩を、返したいと思う。

「マリィ! なんで美しくて可憐で愛らしいんだ! まるで湖に舞い降りた妖精のようだ!」

 扉が開いたと思ったら、ルカ様の明るい声が響き渡る。
 鈴音は私の首に首飾りをつけていた手を止めると、真っ直ぐに私の元へと駆け寄ってきて抱き上げようとするルカ様に、「そろそろ本当に怒りますよ」とにこやかに言った。


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