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反逆者
しおりを挟むシグナス。またの名を、ラインハルト・ヴァークスという。
ヴァークス王国は、アルケイディス王国の隣国だった。
国土は、アルケイディス王国の王領にも満たない小さな国だ。
シグナスが十歳の時に、アルケイディス王国によって滅ぼされた。
多くの者は殺されたが、若い娘や子供たちは、奴隷にするために連れ去られた。
王太子だったシグナスは、ヴァークス王家の者たちは根絶やしにというアルケイディス王からの指示で、殺されるはずだった。
だが、臣下たちが命をはって、シグナスを逃がした。
一人逃げ延びたシグナスは、けれどすぐにアルケイディス兵に捕まり奴隷として売られた。
奴隷用の牢獄での扱いは、酷いものだった。
シグナスは同朋たちの怨嗟の声や苦しみの声を聞きながら、ひたすらに身分を隠し続けていた。
王子だと知られたら、命を奪われるだろう。
ヴァークス王国の、無残に命を奪われた両親や親類たち、家臣たちのために、なんとしてでも生き延びなくてはいけないと、泥水を啜り、それがどんなものでも口にした。
従順で、頭が足りない孤児のふりをしたのだ。
奴隷商は、様々な者たちを奴隷として売っていた。
その中にはアルケイディス人も、ヴァークス人も、その他の人種もごちゃ混ぜになっていた。
自国の者さえ食い物にするアルケイディス人たちは――きっと悪魔だ。
シグナスは、奴隷でいることに勝機を見いだすようになった。
どこかの家に買われれば、きっとアルケイディスを打倒するための足がかりになるだろう。
シグナスを買ったのは、レイドリック公爵だった。
思いがけない幸運に、シグナスの胸は打ち震えた。
公爵の傍でなら、王の寝首をかく機会もあるだろう。
アルケイディス人とは、人を奴隷のように扱う塵のような連中である。
全員殺し、ヴァークス人を救うのが残された自分の役割だと信じていた。
だから、どんな仕打ちにでも耐えるつもりでいた。
けれど――シグナスの主であるレフィーナは、とても悲しい少女だった。
レフィーナは、記憶を失い、言葉も話せない孤児のふりをしていたラインハルトに、シグナスという名をつけた。
それは白鳥座という意味だと得意気に言って微笑むレフィーナが、哀れだった。
誰にも愛されていない少女だ。
人を人とも思わない人間たちに囲まれて、清廉さを失わない、けれど愛されたいと願っている悲しいレフィーナのことを、シグナスは見捨てることができなかった。
だから、傍にいた。
レフィーナが公爵にシグナスを斬れと言われて、自身の死を望んでいることに気づき、シグナスは自分を斬れと視線で訴えた。
片目など、くれてやると思った。
何もかもを失ったシグナスを、人として扱ってくれたのは、レフィーナだけだったのだ。
撫でられるのも、褒められるのも。共にベッドで、秘密の話をするのも、失われた幸せを取り戻せるようで楽しかった。
レイドリック公爵に叱責されてからは、レフィーナが自分を守るために、冷たくあたり、奴隷として扱い、心を閉ざしたことにも気づいていた。
レフィーナが王太子の婚約者となったとき、シグナスは複雑な感情を抱えた。
これで、王家に近づける。
だが――レフィーナを、アルフレッドに奪われるのかと思うと、嫉妬でおかしくなりそうだった。
冷静に状況を見極めている己と、感情的になり衝動に身を任せようとする己。
その二人が、常に己の中で鬩ぎ合っていた。
レフィーナが学園に入学すると、レイドリック家から離れたことで、シグナスには時間ができた。
その時間で、仲間をあつめて、反逆の準備を行っていった。
『聖女』という女が現れたのは予想外だった。シグナスが目を離している間に、レフィーナの立場が厳しいものになっていたことに気づいたのは、アルフレッドがレフィーナの元を訪れてからのことだった。
アルフレッドは、レフィーナを抱こうとしているのだとすぐに気づいた。
あの王太子の仮面を被ったいやらしい男の手が、万年雪の底に隠されている氷のように美しいレフィーナに触れて、穢すことを考えただけで、どうにかなりそうだった。
今すぐこの場で斬り殺そうかという衝動をおさえて、聖女を呼びにいった。
聖女は取り乱した。未来を見る力があるのなら、アルフレッドの心ぐらい読めるだろうと、呆れた。
だから、この女は偽物ではないかと疑った。
確かに、王国には『聖女』という伝承がある。
五百年も現れていない聖女である。
未来視をし、最後には人柱になるのだという。
果たしてそれは、本当だろうか。
アルケイディス王国が栄えたのは、聖女と、そして、冥府の王ヘルグラシアに人柱を捧げるからだと。
レフィーナに出て行けと言われて素直に出て行ったのは、調べるためだ。
ミネアの目的と、人柱と、聖女とは何か、について。
けれど、シグナスは己の使命に心を注ぐあまりに、何もかも後手に回っていた。
アルフレッドの行動は迅速だった。
それほど、奴隷にレフィーナとの情事を邪魔されたことが気に入らなかったのだろう。
もしくは、レフィーナとシグナスの間に情愛があるとでも、勘違いしたのかもしれない。
奴隷の抱いた女を婚約者にしておくことは、我慢ができなかったのだろう。
国王にレイドリック公爵の悪事を伝え、レフィーナは悪女であるとした。
レイドリック公爵の存在が邪魔だった国王は、全ての罪を公爵に押しつけて、捕縛し処刑をすることを決めたようだった。
アルフレッドは、聖女の予言を後ろ盾としていた。
災厄が起る。人柱を捧げなくてはいけない。
自らを人柱とするというミネアを哀れみ、ならば罪人レフィーナを、人柱につかおうと提案をした。
果たして、そのもくろみは順調に進んでいった。
シグナスが反乱の準備を整え終わる頃には――レフィーナは捕縛され、レイドリック公爵とそれに連なる者たちは、処刑台の上へと並んでいた。
――手遅れだったのだ。
シグナスが牢獄に忍び込んだ時、そこにはレフィーナはすでにいなかった。
大神殿に押し入って、刃向かう兵を奴隷たちや王家や貴族に辛酸を舐めさせられてきた者たち、王家に弓引くことを賛同した一部の貴族たちと共に、切り伏せながら進んだ。
ヘルグラシアの祭壇に辿り着くと――そこには既に、クリスタルの中に閉じ込められたレフィーナがいた。
全て諦めたような、どこか安堵したような穏やかな表情で、彼女は眠りについていた。
「レフィ!」
彼女が一体何をしたというのだろう。
おそろしい家に生まれて、ただ愛されることを願っていた。
そして結局、自分もまた、彼女を利用したのだ。
彼女の奴隷であることを隠れ蓑にした。
レフィーナはシグナスを信頼していた。
金の管理もなにもかもを、シグナスに任せていた。
シグナスはその金で、武器を用意し、反乱の準備をしていたのである。
「レフィ……レフィ……!」
目の前が、真っ暗になった。
罪の意識と、愛しさと、悲しみと絶望で、頭がおかしくなりそうだった。
全てを失い絶望に心が黒く塗りつぶされていたシグナスに、レフィーナは手を差し伸べてくれたのに。
それがレフィーナの孤独からくる依存だったとしても、シグナスはレフィーナの存在に救われていた。
愛しかった。
『おやすみ、シグナス』
『ごめんなさい、シグナス』
『痛かったわね、シグナス』
『私を憎んで』
『いつか、私を殺して、シグナス』
――愛していたのだ。
「死ね……!」
シグナスは、その場にいる者たちを血の海に沈めた。
ミネアと王太子は殺さずに捕縛した。
レフィーナを救う方法を知っている筈だと考えたからである。
国王の首を掲げ、城を制圧した。
アルケイディス王国は、欺瞞に満ちている。
レイドリック公爵を悪だと断じた貴族たちも皆、秘密裏に奴隷を買っていた。
公爵はそれを知っていたからこそ、己が神であるように振る舞えたのだろう。
アルケイディスでは違法とされる人身売買に、手を染めている貴族たちが羅列してある名簿を手にしていたのだ。
飼い犬に手を噛まれたようなものである。
そして、一番弱い犬だったシグナスは、アルケイディスの城を制圧し、大規模な貴族たちの粛正を行い、王となった。
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