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加害者
しおりを挟む「レフィーナ! どういうつもりだ! 奴隷を夫にでもするつもりか!?」
天蓋が、乱暴に開かれる。
布が剣で切りさかれて、白刃が安全であるはずのベッドに突き刺さった。
シーツが破れ、羽根が舞う。
レイドリック公爵が、シグナスの細い首を掴むと片手で持ち上げた。
苦しげにうめくシグナスを床にたたきつける。
そして、レフィーナの背を馬用の鞭で打ち据えた。
「レイドリック家の面汚しが! 薄汚い淫売め! その年で、男をくわえ込むとは!」
「やめて、お父様……っ、違うの、私は、何も……!」
「それなら、何だ!? 奴隷を人間のように扱うとは、レイドリック家の血筋を何だと思っているのだ!」
鞭で打ち据えられるレフィーナを、シグナスが覆い被さるようにして庇った。
レイドリック公爵は冷酷に口角をつり上げると、その手を止めた。
「なるほど。主人を守るとはよい心がけの犬だ。レフィーナ。一度だけだ。もしお前が自分の犬に己の物だという証をつけられるのならば、許してやろう」
「お父様……」
「剣を持て。その犬の腹を、切れ。お前程度の力で斬ったところで、死にはしない」
――とても、できない。
そんなことをできるはずがない。
レフィーナはただ、震えていた。
「できないのならば、その犬の首とお前の首を並べてやろう。レイドリック家に捨て犬と交わる女の血など不要だ。お前が死んでも、マリスがいる」
妹がいるから、レフィーナの血は不要になった。
これは、脅しではない。父はそうと決めたら、身内でも斬るような男である。
それを咎める者はいない。この家では、父が法だ。
「……そんな」
「……」
シグナスの瞳が、強い光を帯びてレフィーナを見据える。
――そうしろと、言っているのか。
――そんなことはするなと、言っているのか。
ここで二人で死んだほうが、いいのかもしれない。
ここでシグナスを傷つければ、それはひどい裏切りだ。
二人だけだと。家族は、二人だけだと言ったのに。
けれど、裏切りはずっと続いていたのではなかったのか。
レフィーナはシグナスを奴隷にしている。父に与えられて、逃がすこともせずに、支配している。
部屋から一歩外に出れば、話しかけることも微笑むこともせずに、首輪をつけて犬のように連れ回しているではないか。
きっとシグナスは――そんな私を、嫌っていた。
父に脅されて、瀬戸際に立たされて、はじめて己の欺瞞に気づいた。
何が家族だ。
本当にそう思うのなら、シグナスを解放すればよかったのに。
鞭を打たれた背中の傷よりもずっと、その事実がレフィーナの全身を鋼の刃で突き刺した。
「――分かりました」
死にたくないと思ったのかもしれない。
それとも、絶望に心がまみれて、投げやりになったのかもしれない。
レフィーナは、震える手で剣を受け取った。
剣を持つのははじめてだった。
それはあまりにも重く、持ち上げることさえやっとだ。
ふらつきながら、シグナスの前に立つ。
シグナスはただ静かに、レフィーナを見つめ続けている。
「……っ」
ごめんねと、叫びたかった。
こんなことはしたくないという言葉は、喉の奥につかえて出てこない。
この剣を、父に向ければ――。
ここで、終わることができる。きっと楽になれる。
けれど、死は、あまりにも、おそろしい。
剣を持ち上げるだけで腕が震えた。足がふらつき、振り上げた剣は――シグナスの顔をその鋭い刃で傷つけた。
うめき声をあげることもなく、シグナスは顔をおさえる。
その手の、指の間から、鮮血がだくだくとこぼれて、床を赤く染めた。
ガランと、硬質的な音を立てて剣が床に落ちる。
レフィーナはシグナスに駆け寄ることもできずに、ただその場に立ち尽くしていた。
レイドリック公爵は笑い声をあげながら「そうだ、レフィーナ。それでいい」と満足げに頷いた。
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