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番外編

突然の帰宅

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 ◇

 ヨアセムさんが、子供たちを連れて出かけると提案をしてくださって、私は少し驚いていました。
 二人とも大喜びで出かけるというものですから、心配でしたが私も快く了承しました。

 シアン様がご不在で、きっと寂しい思いをしているでしょう。
 ですから、王都の海辺の宿に泊まるというちょっとした冒険は、二人にとっていい気分転換になるかと思ったのです。

 二人とも、ヨアセムさんを兄のように、アルセダさんを姉のように、そしてオランジットさんを祖母──というのは失礼ですね、ともかく家族のように慕っています。
 
 たまには私から離れるのも、いいことかもしれないと感じたのです。
 
 いつも賑やかな皆が出かけてしまうと、途端にお屋敷は静かになってしまいました。

 もちろんそこまで多くはないですが、使用人の方々や他の侍女の方々もいますけれど、子供達の声やヨアセムさんの明るい声がしないと、寂しいものです。

 シアン様が隣国に向かわれてから、一ヶ月と半月。
 皆がいるおかげで寂しさを紛らわすことができていましたが、静かになった途端になんだかとても心許なくなってしまいました。

 私ももう二十歳を過ぎました。
 十五で嫁いだ時、私にとって二十歳を過ぎているシアン様はとても大人に感じられましたが、実際自分がその年齢になってみると、立派な大人かどうかはよくわかりません。

 少なくとも、子供を産んだ分だけ強くなったでしょうか。
 それでも寂しさや不安と無縁になったわけではないようでした。

 静かなお屋敷の中でゆっくりとお茶を飲んで、刺繍をして、それから毛糸を編んで気を紛らわせて。
 そんなことをしていたら夜が訪れたので、休むことにしました。

 シアン様はこの一ヶ月と半月の間に、何度も連絡をくださいました。
 青い蝶が文字となって『元気か』『ラティス、変わりはないか』『詳しいことは言えないが、こちらは問題ない』と、シアン様らしい淡々とした言葉を紡ぎました。

 その文字を見ながら、私はシアン様の声を思い出していました。
 低く、冷静で、少し甘さのある声です。

「早く、お会いしたいです……」

 独寝のベッドは広くて、少し冷たく感じます。
 隣にシアン様がいないというだけで、こんなにもベッドも部屋も広かったのかと思うほどです。

 今日は子供たちもヨアセムさんたちもいませんから、余計にそうなのでしょう。

「……今日だけは、いいですよね」

 いつも我慢していました。
 母として、ウェルゼリア家の奥方として、しっかりしなくてはいけないと自分に言い聞かせていました。
 ですが、皆がいないことで少し気が抜けたのでしょうか。

 誰にも見られないという安心からかもしれません。

 私はクローゼットからシアン様の上着を持ってくると、ベッドに横になってぎゅっと抱きしめてみました。
 上着は大きくて、抱きしめるとほんのわずかにですが、シアン様の温もりを感じられるような気がしました。

 
『愛している、ラティス』
『今日は、何か楽しいことはあっただろうか』
『子供たちはもう寝たか』
『君に触れたい』

 シアン様の声が、耳元で聞こえるようです。
 かつてシアン様は、巣作りを不死鳥の本能だと言いました。
 それは、私を閉じ込めて、孕ませるまで愛したいという欲。

 あの時の官能の日々はもう今はありませんが、それでも──私を求めてくださいます。
 愛される幸せをたくさんくださるのです。

 穏やかな愛も、それから、熱に浮かされるような激しい愛も。

 シアン様の上着を抱き締めていると、愛された記憶が浮かんでは消えていき、私は甘い吐息をつきました。
 はしたないことです。
 罪悪感が胸をよぎりましたが、今は一人。
 私の他に誰もいません。

 子供たちが、怖い夢を見たと部屋に訪れることもないのです。

 いけないことだと思いながら、私は自分の下腹部へと手を伸ばしました。
 シアン様につけていただいた幻獣民の所有の印が、甘く疼くようでした。

「……だめ」

 指先で微かに触れると、背筋を甘くぞくりとした快楽が這い登ってきます。
 このまま耽溺に耽っても咎める人は誰もいないのでしょう。
 けれどそれは、異国の地でお仕事をしていらっしゃるシアン様に申し訳がない気がして、私は下腹部から手を離しました。

 物足りないと訴える体に気づかないふりをするように、きつく目を閉じます。
 シアン様の上着に顔を埋めると、余計にそわそわしてしまって──どうにも逆効果のようでした。

 眠らなくてはと自分に言い聞かせていると、いつの間にかうとうとしていたようです。

「……ラティス」
「……っ、し、しあ、シアン様……!?」

 唐突に響いた声に、私は警戒する猫のようにびくりと体を震わせました。
 今の声は、幻でしょうか。
 夢と現実の間で聞いてしまった、空耳?

「ラティス。ずいぶん、可愛らしいことをしてくれている」
「あ、あ……っ、こ、これは、その……」

 恐る恐る顔をあげると、そこにはシアン様が、幻ではなくいらっしゃいました。
 精悍な美貌は歳を経るごとに威厳が加わりさらに際立つようで、男らしい体つきと相まって、神話の戦神のように美しいのです。
 
 ベッドに膝をついて私を覗き込み、シアン様は口元に笑みを浮かべました。

「ただいま、ラティス」
「……本当に、シアン様ですか?」
「あぁ。偽物に見えるか?」
「……お帰りなさい!」

 私はシアン様の上着から手を離すと、本物のシアン様にきつく抱きついたのでした。



 
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