ルヴィ様と二人の執事

束原ミヤコ

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 炎を纏った狼のような魔物の足をジストの魔法で氷漬けにし、キールの一撃が地に沈めた。
 魔物とは、各地に湧く瘴気から生まれる害意がある存在の総称といわれている。
 瘴気とは人の悪意の塊やら、世界の生み出す老廃物とも言われているが、実際に何なのかは未だにわかっていない。
 ともかく瘴気溜まりは魔物を生み出した後に消えては新しく生まれることを繰り返していて、生み出された魔物は人を襲うために、瘴気溜まりの発生を認めると騎士団を派遣したり冒険者に討伐の依頼を行うのも領主の務めの一つである。

 王国の西の端にある魔女の森に辿り着くまで、結局一ヶ月以上の時間がかかった。
 本来なら半月で来ることのできる場所であるのだが、新しい街に辿り着くたびに物見遊山をしたがったり、もう歩けないといって一にちだらだらと宿で寝ていたりしているルヴィに合わせた結果、倍以上の時間がかかってしまった。
 旅をする時間が長くなればなるほど、歪ではあるがルヴィと恋人のような関係でいられるので喜ばしくはあった。けれど、流石に一ヶ月を過ぎたあたりで一度ジスト達は彼女に「今の状況は不本意な筈なのに何故急がないのですか」と聞いてみた。彼女は「私がどうして急がなくてはいけないの? 私がどうするかは私が決める事であって、魔女の呪いなんかで制約されるものじゃないわ」と言って怒っていた。
 毎夜体を繋げることをルヴィがどう思っているかなど、聞くことができない。自分たちの思いを告げる事もできない。ジストにとってもキールにとっても、ルヴィの地雷を自ら踏み抜きにいって、彼女の側にいられなくなる事を一番恐れている。ルヴィが今の状況に何も言ってこないのなら、粛々と彼女の振る舞いに従う。
 それが、ルヴィの従者として正しいのだと二人ともよく分かっていた。

 好き好んで魔女の森に足を踏み入れる者はいないのだと、西の果ての村人は言っていた。
 魔女の森には魔物が多く沸いている。森から出てくることは滅多にないが、森に足を踏み入れると容赦なく襲ってくるのだという。
 その話通り森に入ってからというもの、ひっきりなしに魔物が姿をみせている。
 とはいえジストとキールがさっさと倒してくれるので、ルヴィは彼らの後ろで優雅にそれを眺めながらついて行くだけだ。

 炎の狼を倒して細い道を進んでいく。森に入る時には晴れていた空だが、今は鬱蒼と覆いしげる木々に日差しが隠れてしまい、当たりはどんよりと薄暗い。
 ややあって、開けた場所に辿り着いた。そこには蔦で覆われた、いかにも怪しげな家がぽつんと一軒建っていた。

「魔女の家だわ」

 ルヴィが呟く。
 ジストは無表情で頷き、キールはなんともいえない表情を浮かべた。
 ルヴィには申し訳ないが、旅の間とても楽しかった。終わってしまうのは、とても寂しいと思う。
 それでも、体の関係が失われてしまっても、ルヴィの傍にいることができるのが一番重要だ。良い思い出として心にしまって、かつての日常に戻る覚悟はとっくにできていた。

「ようやく、ですね、お嬢様。これで愛の秘薬の呪縛を解いてもらえますよ」

「そうね。さっさと行きましょ。呪いがとけたら、ジストの魔法で家に帰れるのよね?」

「そうですね。懲罰の呪いがとけたら、転移魔法を使用しても問題ないかと思います」

「これで不自由な生活も終わりだわ。いくわよ、二人とも」

 立ち止まるジストとキールの間を、ルヴィが通り抜ける。
 彼女が率先して先に進むのはこれが初めてだ。一末の寂しさを感じながら、二人はその後ろを追いかける。
 魔女の家の前に立ったルヴィは、物怖じせずに躊躇無く扉を叩いた。
 返事こそなかったが、扉は勝手にルヴィ達を出迎えるようにぱたんと開いた。

 然程広くない家だ。
 小さなテーブルと椅子だけが置いてあり、部屋のあちこちに魔道具と思しき用途のわからない様々な形の物が、無造作に置かれている。
 椅子にはフードを目深に被り、口元をヴェールで覆った女が座っていた。
 全身を覆っているローブのせいで、年寄りなのか若いのかもわからない。恐ろしい魔女という割には、特に威圧的な雰囲気もない。
 威圧的という単語でいえば、ルヴィの方が余程相応しい。
 彼女は魔女の前に、両腕を腰において、胸をそらせてそれはもう偉そうに仁王立ちした。

「西の魔女ね。愛の秘薬の効果を解いて頂戴」

 不躾な物言いだが、ルヴィにしてはかなり譲歩した方だ。特に、「ときなさい」ではなく「といて頂戴」と言ったあたりが、しおらしい。
 ルヴィなりの遠慮だが、それが分かるのは執事の二人ぐらいのものだろう。

「事情は知っているわ。懲罰の呪いを受けたお馬鹿さんを、遠くから見ていたからね」

 若い女の声で、西の魔女は言った。
 あまり感情が篭っていない声音だ。ルヴィに危害が加えられる事を警戒して、キールは一歩足を踏みだし、ジストは指先に魔力を込めた

「誰が馬鹿ですって!」

「愛の秘薬を頭から被る子がいるなんて、思わなかったから、かなり笑わせて貰ったわ。薬の効果は絶大だったでしょう、めくるめく官能の日々はどうだったかしら?」

「余計な話は良いのよ。私は効果を解いて貰いに来たのよ」

「……まぁ、別にいいけど。あなたに恨みがあるわけでも、興味があるわけでもないし、困っているのなら呪縛から解放してあげるわ。……でも、ただというわけにはいかないわね」

 魔女は逡巡するように一度言葉を区切る。
 ルヴィは得意げに口角を吊り上げた。

「お金なら、いくらでもあげるわよ。こんな森の中に住んでるんだもの、お金に困ってるんでしょ。いくらでも良いわよ」

 とてつもなく失礼な事を言うルヴィに、魔女は怒るでもなく小首を傾げる。

「お金なんて要らないわ。……そうねぇ、私、美しい男が好きなのよね。呪縛から解放してあげるから、そのかわりにそこの二人を置いていきなさいな」

 魔女の細く白い指先が、ジストとキールを順番に示した。
 ジストは眉を潜め、キールは口元を歪める。冗談じゃないとキールが怒鳴る前に、ルヴィはあっさりと頷いた。

「良いわよ」

「……お嬢様」

「お嬢、それはちょっと酷くねぇか?」

 流石に、ジストの言葉には殺気が篭り、キールは苛立って吠えるようにルヴィに言う。
 ルヴィは不思議そうに彼らの顔を見上げると、非難されている事を漸く理解したかのように、じっとりと睨みつけた。

「主人のために身を捧げるのが飼い犬というものでしょう。私にかけられた呪いが解けるのだから、喜んでそこの魔女の元に残るべきだわ」

「……本当に、それで良いのですか、お嬢様」

「どうして、ジスト。私が自由になるのよ、何の問題もないじゃない」

 当たり前だとルヴィに言われ、ジストは悲しげに目を伏せる。

「お嬢、俺達がお嬢の傍から離れても、お嬢は平気なのか?」

「何を言ってるの、キール。お前達以外にも、飼おうと思えばいくらでも飼い犬はいるわよ」

 ルヴィに肩を竦められて、キールは絶望に色取られた暗い笑みを浮かべる。
 彼らのやりとりを静かに見ていた魔女は、そっとルヴィを指さした。

「取引は成立したわ。呪いを解いてあげるから、一人でお家に帰りなさい」

 魔女が指を一度ふると、きらきらとルヴィの体に粒子のようなものがまとわりつく。
 それは彼女をくるりと一度取り囲み、強く輝いた後に消えていった。
 ルヴィは自分の体をきょろきょろと見下ろす。特に何が変わったといった感覚はない。体が軽くなった訳でもないし、大きな変化はないように思われる。

「今ので、本当に効果がなくなったんでしょうね?」

「えぇ、そうね。呪いは解いたわ。……さぁ、二人を置いて帰りなさい」

 思ったよりも、あっけない。
 これで、やっと自由になれた。もう歩く必要もなければ、毎夜の体の変化を煩わしく思う必要もない。
 ルヴィはもう用は済んだと言わんばかりにくるりと回れ右をして、扉に向かって足を一歩踏み出す。

 もう一歩。

 もう一歩とすすみ、扉に手をかける。

 外に出ようとしたところで、激しい違和感を感じた。

 足音が、聞こえない。
 
 今までルヴィの側にはジストとキールがずっと居た。
 命じなくてもルヴィの背後に従って歩く彼らの足音が、聞こえない。
 それはその筈だ。ルヴィが魔女に『あげた』のだから。
 彼らはこれから、西の魔女の飼い犬になるのだ。
 ルヴィのために。

「なんだか、納得いかないわ」

 ルヴィは苛々と呟いた。
 早く自由になりたかったから、どうかしていた。
 何故、この程度の事のために、自分のものを初対面の魔女なんかにあげる必要がある。
 ルヴィは扉から手を離すとくるりと振り向いて、魔女に向かってずかずかと歩き出した。
 魔女の正面でぴたりと足を止めると、眼前に指を突きつける。

「なんで、お前なんかに私の飼い犬たちを渡す必要があるのかしら?」

「あら、約束を破るの?」

「そもそも、お前があんなろくでもない魔道具を作るのがいけないわ。私は被害者じゃない。呪いを解くのは、お前の義務だわ。責任をとるということよ。私のものをあげる必要なんてないわ」

 はっきりと、いつもの調子でルヴィは言う。
 無駄に胸を張り、足を広げて堂々と立つ彼女を、魔女はフードに隠れた顔で見上げた。

「二人に未練があるのね? 毎夜体を繋げていたのでしょう、惜しくなったのね?」

「未練? 馬鹿なことを言わないで。ジストもキールも、私が拾った私の物。それだけのことよ」

「好きでもない男に抱かれるなんて嫌だから、私の元に来たんでしょう?」

「……よくわからない質問ね。嫌なのは、自分の体が思い通りにならなくて不自由なことよ。飼い犬は、主人に奉仕するものよ。嫌だったら死んでも触らせたりはしないわ。ともかく、それは私の物なの。ジスト、キール、帰るわよ」

 ルヴィに命じられて、ジストは目を細め、キールは笑みを浮かべる。
 すぐに魔女の側から離れて、ルヴィの元へと向かう。
 元通り側に寄り添う彼らの顔を、ルヴィは満足げに見上げた。

「……ねぇ、お嬢さん。ひとつ、良いことを教えてあげるわね」

「なによ。用が済んだから、私は帰るわよ」

「……愛の秘薬の効果は、長くても一週間よ。私が解いたのは、懲罰の呪いだけ。秘薬の効果は、とっくにきれてるのよ」

 魔女はそう言うと、くすくす笑った。
 魔女の笑い声と共に景色が歪む。気づいた時には、ルヴィたちは魔女の家を追い出され、森の入り口へと戻されていた。

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