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しおりを挟むジストとキールに甲斐甲斐しく世話をされながら、夕食を終え入浴をすませて夜着に着替えたルヴィがベッドに座ってぼんやりしていると、遠慮がちに自室の扉がたたかれた。
従者を連れずに現れたライラもまた、いつもよりも簡素な部屋着を着ていて、長い髪を首よりもすこし下で一つに結んでる。美しくも色香のある隙のある姿のライラを、ルヴィは自室へと迎え入れた。
既にいつもの執事服から夜着へと着替えているジストたちが、お茶の準備を整える。それから友人のライラといえども部屋で二人きりにしたらルヴィの身に危険があるかもしれないと、背後に控えた。
ライラは彼らが傍に居る事にやや戸惑った様子をみせていたが、ルヴィにとっては二人が傍に居るのは息をするよりも当然の事なので違和感はない。彼らに聞かせてはいけない話など、ルヴィにの中では存在していない。
たとえば犯罪の相談をするとしても、二人には包み隠さずに言うだろう。飼い犬に隠し事をするなどおかしな話だとルヴィは思っている
「ルヴィ、ごめんなさい。こんな夜に突然来てしまって」
「別に良いのよ。どうしたの、ライラ。侍女も連れないで出歩いたら、危ないじゃない
ライラは困ったように微笑むと、目を伏せた。
長い睫毛が頬に影を作っている。このところライラはずっと元気がない
「あのね、話があるのだけど」
「王太子殿下の事? やっと別れるつもりになったの?」
「……まだ、悩んでいますわ。婚約というのは義務ですから。ユリシーズ様がこの状況でニーナさんを第二王妃にすると言わないのは、私との結婚の大切さも分かっているのでしょうし。ユリシーズ様は私ではなく、クリシェ公爵家と結婚するのでしょう。今まで私に優しかったのも、義務感からだったのだと思いますわ」
「だったら、何なの。そんな最低な話ってないわ。ライラがどうしたいのかが大事なんじゃない
普段のルヴィなら、「面倒臭いわね、はっきりしなさい」と怒鳴っているところだが、ルヴィはライラには甘い。ルヴィにとってライラは唯一の友人だからだ。二人で過ごす時間は、それなりに楽しい。
こんなことで喧嘩をして険悪になどなりたくないと思うほどには、ルヴィはライラを大切に思っている。
だから、なるだけ優しく声をかけた。
「ルヴィは、王妃になりたいと思ったことはないのですか?」
唐突な質問に、ルヴィは訝し気に眉を寄せた。
「王妃?」
「そう。この国における最高の権力者ですわ。ルヴィは物怖じしませんし、思ったことははっきりと言えるでしょう。何も言えない私よりも、ずっと強い。私はルヴィこそ、王妃に相応しいと思いますの」
それは―――、そうだろう。
ルヴィは深く頷いた。メリアド家はお金はあるが、純粋な地位としては地方領主の立場でしかない。
これが王妃となったら、どうだ。王の妃なのだから、国の女性の中では一番偉い。
ルヴィ・メリアドに相応しい地位であると思う。
考えたことは無かったけど、それはその通りだと思いルヴィはにやにやする。
「……王家に貸し付けをしているほどのメリアド家の資金力ですから、王家としてはルヴィを第一王妃にするのは何の文句もないでしょう。公爵家の権力も欲しいでしょうから、私は第二王妃となりますわ。私、ルヴィと一緒なら王妃になっても頑張れるかもしれないって、思いましたの」
それはルヴィの自尊心を大変満足させる言葉だった。
ライラはルヴィが何を言われたら喜ぶのか良く心得ているのだろう。そうじゃなければ天然の人誑しなのかもしれない。ともかくその言葉は、ルヴィの心にそれはもう真直ぐに刺さった。
最高の権力者になって好きなように振舞うルヴィと、ユリシーズの相手を引き受けてくれるライラ。最高だ。気に入らない男の相手をせずに権力だけを手に入れられるなんて、すごく良い考えだ。
ジストとキールは背後でそっと顔を見合わせる。
きっとそんなことになれば国庫が枯渇するだろうというのは目に見えてる。派手好きで散財し借金を作った過去の国王と同じである。
「今のユリシーズの傍に、一人でいるのは心細いということね?」
「えぇ。私は、ルヴィと一緒に居たい。多分、ニーナさんも第二か第三王妃になるでしょうから。一人では、とても耐えられません。……だから私、愛の秘薬を手に入れようと思いますの」
それははじめて聞く単語だった。
ルヴィは魔道具に詳しいジストに視線を送るが、彼も知らないらしく首を振った。
「愛の秘薬とは、王家の保管する秘宝の一つですわ。秘薬を飲ませた相手を自分の虜にするという危険なもの。かつての国王が、西の魔女につくらせた魔道具です」
「西の魔女なんて、御伽噺でしょ」
「それはそうでもなくて、王家には西の魔女がつくった魔道具が多く保管されておりますのよ。そのうちのいくつかは、学園の地下倉庫に厳重に保管されておりますわ。ユリシーズ様に一度見せて貰ったことがありますの」
ライラは遠い目をして言った。
きっとそれは、まだユリシーズが優しかったころの話なのだろう。
「その、愛の秘薬をどうするわけ?」
「勿論、ユリシーズ様に飲ませます。私の虜になれば、なんでもいう事を聞くようになるでしょう? ルヴィを第一王妃にと頼めば、きっときいてくれますわ」
「でもライラ。ユリシーズがライラの虜になれば、何の問題もないじゃない」
どうにも理解できなかったので、不思議に思い尋ねる。
ライラは何かを思案するように目を伏せたあと、とても切なげに言った。
「……偽りの愛を受け入れながら第一王妃でいられるほど、私は強くありませんわ。それに、愛するニーナさんとの仲を引き裂くのは気がひけます。ニーナさんも、第三王妃に推薦するつもりです。薬の効果がきれることがあれば、きっと恨まれてしまうでしょうから」
「うーん……」
ルヴィは首を傾げる。
それは愛の秘薬の使い道としてはいかがなものなのだろうか。
愛してもらうためにユリシーズに飲ませるまでは良いのだが、ライラがそうまでしてユリシーズに愛されたいと願っているとは思えない。公爵家の事情は良く知らないけれど、婚約解消ができないとしたら、これからの生活についての心細さは理解できる。
ルヴィ・メリアドに傍に居て欲しいと願うのも分かるが、あの猫被りまでユリシーズの傍に居る事を許可するなんて、ちょっとどうかしている。
ライラはユリシーズの態度に傷ついて、正常な判断が出来なくなっているのではないか。
ルヴィは暫く考えると、両手をぽんと打った。
「ライラ、良い考えがあるわ」
「……良い考え?」
「えぇ。愛の秘薬を猫被りの部屋に隠すのよ。それをお金で雇った掃除婦にみつけさせて、告発するの。愛の秘薬でユリシーズを虜にしたと見抜かれた猫被りは、子爵家へと送り返される筈だわ」
「駄目よ。そんなことは、いけないわ」
「やられたら倍返しよ、ライラ。猫被りが先にライラのものを奪ったんだから、当然でしょ。愛の秘薬の仕業だと思い込めば、ユリシーズも目が覚めるでしょ。そうしたら、ライラはユリシーズの前で寂しかったと泣くだけで上手くいくわ」
「でも……、でも私、ユリシーズ様の事はもう信用できないもの。ルヴィが傍に居てくれないと、嫌なの」
ライラの美しい青い目が涙に濡れる。
頬に一滴、涙が零れるのが本当に宝石のようで綺麗だ。そしてライラのその言葉は、ルヴィの自尊心をこれ以上ないほど、大変満たした。
上機嫌になったルヴィは、ライラの手を取ると力強く頷く。
「大丈夫よ、ライラ。私に婚約者はいないし、ライラは私を第一王妃へと推薦してくれるだけで良いわ。王家はメリアド家の資金に目が眩むでしょ、どうせ」
「でも……、ルヴィ。これは私の我儘ですし。……ルヴィに好きな方はいないのですか?」
「そんなの居ないに決まってるじゃない。どのみち私に相応しい男なんているわけないのよ。お金は有り余っているし、私に足りないのは肩書だけだもの。ユリシーズには興味がないけど、ライラが相手をしてくれたら私は自由でいられるわよね。……一緒に、王妃になりましょうライラ」
「ルヴィ……!」
感極まって抱き着いてくるライラの背中を撫でてあげながら、ルヴィは王妃になった自分に想いを馳せる。
全ての人間が「ルヴィ様」といって跪く光景は、なんて自分に相応しいのだろう。
ジストとキールがいてくれたら何の不自由もないけれど、その立場になればニーナに取り巻きの多さで負けている、などといった些細な事で苛立たなくてすむ筈だ。
今と同じように、ジストとキールに世話をされながらライラと時々お茶をしたり、お城で優雅にお茶を飲んだり、新しい城を建てたり、新しい塔を建てたり、新しい邸宅を建てたり、新しく街を作ったり。それはそれは愉快な日々を送れるような気がした。
未来を想像すると、ルヴィは自分の思い付きがとても素晴らしく賢いもののように思えた。
そうしてルヴィ・メリアドは、『愛の秘薬』を盗むことを決意した。
ライラが帰った後に、ルヴィはジストとキールと共に作戦会議を開いた。
黒い夜着を纏ったジストの前髪は降りていて、いつもよりも隙があり艶やかだ。キールは白い夜着の前をだらしなく開いていて、浅黒い肌をした鍛え抜かれた筋肉の隆起が目に入る。その体にはいくつかの傷跡が残っている。
年頃の令嬢が目にするには少々毒がある光景だが、ルヴィは慣れているので気にした様子もなくベッドサイドに座って二人に声をかける。
「さて、どうしたら良いかしら?」
「……どの辺からなんていえば良いのか分からねぇんだが、お嬢は王家の秘宝を盗む訳だよな?」
状況を確認するために、キールが問う。
ルヴィは平然と頷いた。
「愛の秘薬とか言ったわね。ただの薬じゃない。ジストの魔道具と一緒でしょ?」
「私の魔道具には、人の心を操るものはありませんね。精神操作の魔法は、失われた秘術といわれていますよ」
「ふぅん。別にどうでも良いわ。実際に飲ませるわけじゃないんだし、ちょっと部屋に仕込むだけだもの。少し成績が良いからってちやほやされて、人の物に手を出した罰よ」
「ライラ様の為なのでしょう?」
ジストの問いに、ルヴィは視線を逸らした。
「……ライラには向いてないわ。私にはお前達がいるし。もちろん、私に従うわよね?」
「良いですよ、お嬢。盗めって言われたら、なんだって盗んできてやりますよ」
「はい、お嬢様。お嬢様が望むのなら、なんでも致しましょう」
二人の青年もまた、平然とルヴィの意向に従うと言って頷いた。
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