悪魔だと呼ばれる強面騎士団長様に勢いで結婚を申し込んでしまった私の結婚生活

束原ミヤコ

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ルイ・オランドルの苦渋

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 ◇

 妻が騎士団に拘束されたと聞いて、ルイは深い溜息をついた。

「一体何をしでかしたんだ?」
「そ、それが、研究棟の発表会に毒を持ち込み、ご令嬢たちに危害を加えたとか……」

 タウンハウスの執務室で母親から送られてきた叱責の手紙を呼んでいたルイは、従者の報告に眉を寄せる。
 それだけでいつも穏やかで優しい彼の顔は、ひどく冷たい印象になった。
 この国の大半の人間がそうであるように、ルイも女神ルマリエを信奉している。
 平和と調和。それが教義の一つだ。
 それ故に、争いごとや面倒ごとを嫌う。

 怒らず、声を荒げず、人と争わない。
 それがルイの信条だった。
 そのため人前では常に穏やかな笑みを浮かべるように心がけていたし、感情をあらわにしないようにもしていた。
 だが、つい──苛立ちを表情に滲ませてしまう。
 
「毒……!?」
「はい。ナターシャ様に同行をした者たちからの報告では、ナターシャ様は生命の樹というもので、香水を作らせていたのだとか。それを皆に見せびらかして自慢をしたら、実はそれは毒で……」

 要領を得ない従者の報告を辛抱強くルイは聞いた。
 要領を得ないのは仕方ない。従者にとっても同行をしたオランドル家の侍女たちにとっても、ナターシャの行動は寝耳に水のものだったのだ。

 ルイも知らなかった。
 生命の樹とは、ラーチェルから新しい香水作りのための素材にしたいと言われたものだ。
 ルイは二つ返事で了承をした。
 当然である。調香府の開発をした香水は、一種のブランド品で、皆が欲しがる。
 そうなれば、辺鄙な場所にある村に産業ができ、村が潤う。
 オランドル家の領地が豊かになれば、オランドル家の税収が増えて、家が豊かになるのだ。

 もちろんラーチェルが友人だから──ということもある。
 それに、ラーチェルはルイの初恋の相手だった。今はその思いは胸に秘めていかなくてはならないものだが。

 その生命の樹を使って香水をつくり、研究発表会で見せびらかすとは、どうかしている。
 その上その香水に、淀みの鈴蘭が入っていたとは、オランドル家の家名に泥を塗るどころの騒ぎではない。

「皆は無事だったのだろうか」
「はい。ラーチェル様がすぐに毒の正体に気づき、調香府の方々や殿下が皆で治療をしたようで、命に別状はなく、怪我もすぐに治ったとのことです」
「令嬢たちの家には謝罪をしに行かなくてはいけないね。賠償金も必要だ」
「はい、そうですね」
「それから、ナターシャについても」
「故意ではなかったとはいえ、数人の令嬢に危害を加えて、王城の敷地内に許可なく毒を持ち込んだのですから大罪だと、オルフェレウス殿下の判断の元拘束をされて、投獄されたようです」
「それはそうだなるだろうね。まったく……困ったものだ」

 ルイは母の手紙の文字を指で辿る。
 ルイの母も穏やかな人格者である。その母からの手紙はこのところずっと怒りに満ちていた。

 内容は、ナターシャの散財について。そしてルイの不甲斐なさについて。
 領地に戻りなさい。それがオランドル侯爵としての務め。
 王都のタウンハウスにばかりいて遊びほうけていては、領民たちからの信頼を失います。
 お父様は呆れています。あなたはナターシャではなく、勤勉なラーチェルさんと結婚をするべきだった。
 クリスタニア家のご両親も大変すばらしい方々で、ラーチェルさんも調香府ではとても期待されているとききました。昨年の海の魔物という香水も素晴らしかったです。

 それ比べてナターシャさんは、確かに顔立ちは美しいかもしれませんが、ただそれだけではないですか。

 ──云々と。
 つらつらと書かれている言葉を眺めているだけで、頭が痛くなる。

 そもそもルイがナターシャと結婚を決めたのは、ナターシャに相談を受けているうちに彼女に惹かれたからだ。

『ラーチェル様の噂をご存じですか? 私は信じていなかったのですが、見てしまったのです。ラーチェル様が見知らぬ男性と歩いているところ。まさかと思ったのですが、二人は街にある宿に入っていって……』 
 
 まさか、ラーチェルが──と、信じられない気持ちだった。
 しかしルイは、その当時はとても若かった。まだ十代の愚かな時期で、ナターシャの涙や戸惑いや動揺を信じてしまったのだ。

 平和と調和、人を疑わない、生涯でただ一人を愛する。
 幼い頃から信奉している女神ルマリエの教えに則り生きて、ルイは失敗をした。

 結婚するまでのナターシャは、非常に大人しい女だった。
 ルイの言葉に笑顔で頷き、出しゃばったことをまるでしない。皆が言うような妖精令嬢そのものだった。
 だが結婚をしてからは、我儘になった。
 オランドル領には何もないから行きたくない、ルイの両親は恐いから苦手だと言い、王都から離れたがらない。
 華やかなことを好み、友人を伴っては観劇をしたり茶会を開いたりと、遊んでばかりいる。
 それが悪いことだとは言わないが、度を越しているのだ。

 夜の営みも、まだ子供は欲しくないの一点張りで、拒絶ばかりだ。
 
 母の言うように、ラーチェルと結婚をしていたら。
 そう、思わずにはいられない。
 ラーチェルが男好きという噂も、結局は嘘だった。
 つい先日。ルイはラーチェルの元婚約者のルドランに、男性たちの交流の場であるチェスのゲーム会で呼び止められた。

 オルフェレウス殿下はラーチェルのような男好きと結婚をして大丈夫なのか。
 あなたの嫁が、わざわざ俺に教えてくれたんだ。ラーチェルと結婚したら不幸になるって。
 おかげで、目が覚めた。権力よりも愛が大切なんだとわかった。感謝している──。

 ──などと、ルドランは言っていた。
 どうにもおかしい。ラーチェルがもっと若い頃ならわかるが、調香府に入ってからのラーチェルは、悪い噂など一つもない。
 調香府は優秀な研究者の集まりで、素行の悪い者は入ることなどできない。
 だからおかしいなとは感じていた。部下に命じて調べさせると、ラーチェルは真面目に働いていた。

 毎日、職場と家の往復ぐらいしかしていない。
 男の影など、微塵もなかった。
 ナターシャは嘘をついたのだと気づいた。
 当然だ、そんなことよくわかっていた筈だ。ラーチェルとは幼いころからずっと一緒にいた。
 彼女の優しさも聡明さも、少し変わっているところも。
 例えば何かを考えていると夢中になって、転んだり木にぶつかったりするところも。

 ──好きだった、はずなのに。

「騎士団本部に、ナターシャを迎えに行く。しかるべき謝罪をして、賠償金を払おう」

 ルイは深い溜息と共に、重い腰をあげた。

 
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