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新生活
しおりを挟む王都の街に用意された邸宅は、フラストリア家のタウンハウスと同じぐらいかそれ以上の大きさがある。
大きな鉄の門を開くとその先には煉瓦造りの道が続いている。
道の左右には針葉樹が並んでいて、木々の間にはラベンダーやコスモスがのびのびと咲いている。
三階建ての邸宅の中は長い間使用していたとは思えないぐらいに綺麗に整えられていて、婚礼の儀式を終えたラーチェルたちを使用人たちが出迎えてくれた。
ラーチェルとどうしても一緒に行くといってきかなかったクリスタニア家の侍女たちが、ラーチェルを浴室に誘い、婚礼着を脱がせて体を丁寧に洗ってくれる。
「当初の予定とは違うが、君に不自由をさせたくない。家の管理費や使用人への支払いなどは、私の給金で十分賄えるはずだ」
などと、オルフェレウスは馬車の中で少しすまなそうに言っていた。
実を言えばラーチェルも、父から「支度金だよ」と、とてもラーチェルの一生を費やしても使いきれない額の金を貰っている。
それに、調香府の給金も、ルーディアスが研究職を大事にしてくれているためにかなり高い。
あまり金を使うような生活をしていないラーチェルは、二年間働いた分がほぼ残っている。
爵位も領地もいらないと言っていたオルフェレウスにそれを伝えるのがなんだか忍びなく、申し訳なくなりながら白状した。
オルフェレウスは「豊かに暮らすことに罪悪感を抱かせてしまったのは、私の責任だ」と、ひとしきり反省していた。
「兄に叱られた。王弟として、堂々としていろと。……私は長い間、血の呪縛に縛られていた。だが、君を幸せにするためにはまず、自分を許さなくてはならないのだろうな。義父上が、自分を救えるのは自分だけだと言っていた。その通りだな」
「オルフェ様、私もあなたの支えになれるように努力しますね」
「もう、十分支えられている」
そう言って笑んだオルフェレウスは、気難しそうな表情は変わらないが、心のつかえがとれたかのように以前よりも晴れやかに見えた。
初夜のための下着と寝衣を身に着けたラーチェルは、オルフェレウスの訪れを待った。
ややあって部屋に現れたオルフェレウスは、部屋の入口でオルフェレウスを出迎えたラーチェルをすぐに抱きあげた。
湯あみをすませたオルフェレウスは、前髪がさがっているせいでやや幼く見える。
彼はまだ二十五歳。ラーチェルよりも五歳年上というだけだ。
もっと、大人の男性だと思い込んでいた。
けれど、たった五歳。
ラーチェルと同じように悩んだりするのだと思うと、ただその清廉な姿に尊敬を抱いていた以前よりも、ずっと彼が好きだと思う。
「美しいな、ラーチェル」
「恥ずかしいです、少し」
言葉少なく、すぐにベッドに優しく降ろされる。
邪魔そうに上着を脱いでベッドに乱暴に投げ捨てたオルフェレウスから余裕のなさを感じて、ラーチェルはどぎまぎしながら視線をさまよわせた。
ランプの明りに照らされた彼のむき出しになった上半身が、とても逞しく、直視することができない。
筋肉の隆起がはっきりとわかる太い腕に、引き締まった腹。
くっきりと浮き出た鎖骨や、分厚い胸板。
その立場に相応しく、とても鍛えているのだろう。
その姿は古の戦神のように美しい。
もしかしたら、女神の伴侶であった鷹王は、オルフェレウスのような姿をしていたのかもしれないとさえ思えた。
「手を繋いで、口付けをして。君に触れることができて、私はそれだけで十分幸福だと感じていた。だが、人は貪欲なものだな。それでは足りない。君が欲しいと、夜ごとその欲求は強まるばかりだ」
「オルフェ様……貴族の女は、相手に好意を抱いていないままに、初夜を迎える場合が殆どです。けれど私は……あなたが好き。こんなに幸せな気持ちで、この日を迎えられて、嬉しいです」
ラーチェル・クリスタニアには男運がない。
──なんて、馬鹿げた冗談だと笑ってしまうほどに、幸せだ。
オルフェレウスは驚いたように俄かに目を見開いた。
それから、照れたように目を細めると「愛している」と、低く囁いた。
オルフェレウスは寡黙だったが、その指先も熱のこもる瞳も全て優しく、おそろしさはひとつも感じなかった。
はじめてのことで当然不安はあったが、途中から熱に浮かされるようにして何がなんだかわからなくなってしまった。
断片的な記憶が蘇る度に、顔が赤くなってしまう。
恥ずかしい姿も顔も、彼だから見せることができた。
──なんてことを考えながら、ラーチェルはオルフェレウスの寝顔を見つめていた。
こんな日でも目覚めのいい自分に呆れながら。
今日は休日。仕事は明後日まで休みだ。
しばらくゆっくりするようにと、ラーチェルはルルメイアから休みを貰っていて、オルフェレウスも部下たちから休めと言われたらしい。
だからどれほど寝ていても構わないのだが、ラーチェルはオルフェレウスは早起きなのだろうなと、なんとなく考えていた。
けれど、ラーチェルが目覚めても尚、一向に起きる気配がない。
「……オルフェ様」
日頃の疲れがたまっているのだろうか。
一人で部屋を出るのは申し訳ない気がしたので、名前を呼んでみる。
うっすらと瞼が開いて、ぼんやりとした青がのぞいた。
「ラーチェル……?」
「はい。おはようございます」
「ラーチェル、好きだ」
「え……」
目覚めて一番に好意を伝えられて、ラーチェルは目をぱちぱちとしばたかせた。
「……うさぎの、あれは……かわいかったな」
「オルフェ様」
「ラーチェルは、うさぎににている」
「オルフェ様?」
「森の、うさぎ……」
「オルフェ様……もしかして、寝ぼけていますか?」
ラーチェルは笑いながら、いつもとは違うぽやぽやとした様子のオルフェレウスの頬を撫でた。
いつもきりっとしている、凛々しい彼のこんな姿を知ることができるのは、自分だけなのかもしれない。
そう思うと、何故だかとても嬉しく、少し、誇らしかった。
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