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新居について
しおりを挟むルイたちに礼をして彼らから離れたラーチェルは、そろそろ帰るよ──と挨拶をしにきてくれた両親を見送るために、立食パーティーが開かれている会場を離れた。
城の正面にクリスタニア家の馬車がとまっている。
両親と一緒に今日は兄夫婦もタウンハウスに泊まるようで、「ラーチェル、おめでとう。殿下、ラーチェルを頼みました」「ラーチェルさん、また今度ゆっくりお茶を飲みましょうね」と言って、先に馬車に乗った。
「殿下、娘と結婚してくれてありがとう。いや、よかった、本当に」
「何か困ったことがあれば、いつでも頼ってくださいね」
「ありがとうございます、義父上、義母上」
「殿下にそう呼ばれる日がくるとはね」
「こんなに男前な息子ができるなんて、嬉しいわ」
いつも楽しそうな両親だが、今日はいつにもまして嬉しそうにしている。
今日から私はオルフェ様と共に王都にある、王家所有の使われていない邸宅に住むことになる。
毎日一緒にいた両親とも、今日でお別れだ。
「お父様、お母様、今までお世話になりました」
「王都に住んでいるのだから、会うこともあるだろう? これからも君は私の娘だよ、ラーチェル」
「そうよ、ラーチェル。いつでも帰っていらっしゃい。殿下を連れてきてね」
少し寂しい。でも確かに、父の言う通りだ。
永遠の別れというわけではない
ラーチェルはせっかくの機会だからと、気になっていたことを聞くことにした。
「お父様。オルフェ様が私たちの家に来た時、お父様は私に紹介もしてくださらなかった気がします。私が忘れているだけかもしれませんが、記憶にないのです」
「それはそうだよ。だって、親戚の子だと皆には伝えていたからね。それに、あえて紹介することもないと考えていた」
「どうしてですか?」
「自分を救えるのは、自分だけだからね。殿下には一人の時間が必要だと考えていた。少し落ち着いたら皆に紹介しようとしてはいたんだ。殿下を我が家の養子にするつもりだったしね。結局、ルーディアス陛下の一声で、殿下は城に戻ったから、それはなくなってしまったけれど」
ラーチェルはオルフェレウスと顔を見合わせた。
もしかしたら、オルフェレウスは夫ではなく義兄になっていたかもしれない。
そう思うと、今こうして隣に立っていることが、不思議だった。
「養子にしていただかなくてよかったです。義妹に思慕を抱く、おそろしい男になるところでした」
「義兄妹であれば問題はないだろう。まぁ、それはただの在り得たかもしれない過去の話だ。ラーチェルは誰とも結婚をせず、君を選んだ。そういう偶然を、物語では奇跡と呼んで尊ぶんだよ」
「いくつかの奇跡が重なって、出会い結ばれた幸運に祝福を。二人とも、また会いましょう」
両親が馬車に乗って去っていき、誰もいない城の正面広場でラーチェルはオルフェレウスと向き合った。
いつもは賑やかな場所だが、もう日が暮れ始めている。
そろそろ皆、帰路につくだろう。
「オルフェ様と義兄妹になっていたら、私はもっと早く、オルフェ様に恋をしていたかもしれません」
「どうだろうな。少なくとも、酔って結婚すると言って腕を掴んでくれたりはしなかっただろう」
「そ、その恥ずかしいことは、できればあまり思い出してほしくないのですが」
「私にとっては、二度目の奇跡だった。……ラーチェル、君が掴んだ手が、私でよかった」
オルフェレウスはラーチェルの手をとって引き寄せる。
きつく抱きしめられて、目を閉じた。
「私は期待していたのかもしれない。いつか、君が私に気づいてくれることを。私は幸せを求めてはいけないと自分に言い聞かせながら、君を求め続けていた。……情けないな」
「そんなことはありません。私は、あなたの手を握ることができてよかった。こうしてあなたといられて幸せです」
「これからは、もう手をこまねいて見ているようなことはしない。私は君のために、生きたい」
ラーチェルはオルフェレウスの背中に手を回して、自分よりも大きなその体を、精一杯抱きしめ返した。
◇
婚礼の儀式が行われる、数日前のことである。
オルフェレウスはルーディアスの執務室で、ルーディアスと共に、王都の地図を見ていた。
「こちらの、ライアル邸はどうだ?」
「大きすぎる」
「では、こちらのアルディージャ邸は?」
「敷地が広すぎる」
「大きくて広い方がいいだろう? 大は小を兼ねる」
「二人で暮らすのだから、大きさも広さもさほど必要はありません」
「オルフェ、何を言っている? お前は第二王子で、ラーチェルは公爵令嬢だ。家が大きくて何が悪い」
それはそうなのだが──と、オルフェレウスは腕を組んで眉を寄せた。
「いいか、オルフェ。開き直れ。お前がどんなに自分を卑下しようが、お前は俺の弟だ。王家の血はお前の中に流れているし、俺はお前を大切に思っている。分かったか?」
「感謝は、しています」
「感謝を求めているわけではない。お前は自分が王弟だと、堂々としていればいい。威張れということではないぞ。今まで通りのオルフェで別に構わないが、金も屋敷もいらないと突っぱねるのはよせ。俺はあげると言われたら、それがたとえ石ころであっても喜んで貰うことにしている」
「それはどうかと」
何年経っても、この兄──ルーディアスのことはよくわからない。
不遇な環境で幼少期を過ごしているのに、暗さがまったくないのだ。
能天気で明るい。だが、その奥にある果てしないほどの優しさを、オルフェレウスはよく理解していた。
どうしてこんなふうになれるのかと、眩しく感じる。
「では、こちらのアストラ邸で手打ちにしよう。城からも王都の中心地からも近く、立地条件がいい。使用人に命じて掃除をさせて、調度品を整えておく。ある程度住めるようにしておくから、あとは自分たちで好きなようにするといい」
「……感謝します、兄上」
「本当は、領地と金を与えたいのだぞ! 譲歩してるんだ、こっちは。謝れ」
「すみません」
「素直が一番だ」
王都の邸宅には、それぞれ建てた王の名前がついている。
アストラ邸は、アストラ・レノクス──今から三代前の王が建てた家で、まだ新しい。
お忍びで街を散策するのが好きな王だったそうで、わざわざ城まで戻るのが面倒だという理由で立てて、別宅として使用していたものだ。
住む場所が決まると、いよいよラーチェルと結婚をするのだという実感が湧いてくる。
愛しい女性と朝も夜も共に過ごせることを考えると、そわそわと落ち着かない気持ちになった。
ふと、村で共に過ごした一夜のことを思い出す。
「兄上、少し問題が」
「問題? どうした、何かあったか」
「いや……たいしたことではないのですが」
「お前が俺に相談をしてくるなんて、珍しい。何でも話せ。聞きたい。兄らしいことがしたいのだ、俺は」
「それが……」
話すべきかどうか迷って、オルフェレウスは結局、口を開くことにした。
こんなことは他の誰にも言えない。
「エルゥを見つけた村で、ラーチェルと一晩共に過ごしたのですが」
「おぉ! そうか、長年の想い人と結ばれたのか、喜ばしいことだな」
「そうではなく。その時私は酔っていまして」
「酒が苦手なのに飲んだのか?」
「はい。それで……ラーチェルはなにもなかったと言うのですが、私はラーチェルに何かしたのではないかと思えてなりません。具体的には、胸を触ったような気がします。謝罪をしたいと思うのですが、ラーチェルは何もなかったと……どうしたものかと悩んでいるところで」
ルーディアスは一瞬真顔で黙り込んで、それからすぐに腹を抱えて笑い出した。
「これからいくらでも触ることができるのだから、気にする必要はないのでは?」
「兄上。その発言はどうかと」
「いや、お前の悩みもどうかと思うぞ。謝るのはやめておけ、ラーチェルが困るだろう」
そういうものかと、オルフェレウスは頷いた。
酩酊した自分がラーチェルに触れたこと自体許せないのだが──これ以上蒸し返すべきではないのだろう。
「ところで、オルフェ。ずいぶん可愛い弁当を食べていたと、皆が言っているのだが」
「うさぎですか」
「ほ、本当なのだな! 皆も俺に教えてくれたらよかったものを! 見たかったな、お前がうさぎ弁当を食べている姿が!」
何がおかしいのかと、オルフェレウスは眉をひそめる。
あのうさぎには特に意味はない──というよりも、シエラ姫のものと間違えただけだったらしい。
といってもラーチェルが作ってくれたものだ。どんな形をしていても有難いし、美味しかった。
笑うようなことではないだろうとルーディアスを睨む。
彼は両手を組んでじっとオルフェレウスを見据えながら「俺はからかっているわけではなくて、本気で見たいと思っている」と、真剣な顔で言った。
本当に──よく分からない兄だ。
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