上 下
47 / 48

はじめての夜

しおりを挟む

 もう一晩村に泊まり、出立は明日の朝ということになった。

 乗合馬車を乗り継いでここまでやってきたラーチェルだが、オルフェレウスは馬に乗って来たため、相乗りで──という話をしていたところ、宿の店主がやってきた。

「お二人は、ご夫婦だと聞いたよ。別の部屋なんておかしいだろうと思って、一部屋用意しておいた。どうぞ、使ってくれ」

 もちろん親切心からのことだろう。
 しかしラーチェルは焦った。オルフェレウスは少し酒に酔っているが、ラーチェルは素面だ。
 突然同室で夜を共にするなど、心の準備ができていない。

「そうか、感謝する」
「気にしないでください、騎士様。お世話になったお礼ですよ。料金もいりませんので」
「いや、金は払う」
「真面目ですね……。共同風呂ですが、お湯もあります。ゆっくり休んでいってくださいね」

 オルフェレウスは断るだろうと勝手に思い込んでいたラーチェルは、あっさり承諾したことに驚いた。
 生真面目な彼は、婚礼前に夜を共に過ごすことなど受け入れないと考えていたのに。

 ベッドぐらいしかない一人部屋から、店主の用意してくれた二人部屋へと荷物を運ぶ。
 ラーチェルの肩に乗っていたエルゥは、さっそくベッドの上に飛び乗ると丸くなった。

『ふかふか。苔ベッドよりもいいものだ』
「エルゥ、お風呂に入りますよ」
『お風呂?』
「綺麗にしましょうね。オルフェ様、湯あみをしてきますね」
「……あぁ」

 ウェストコートを脱いでいるオルフェレウスに話しかけて、ラーチェルはいそいそと逃げるように部屋から出た。
 ラーチェルの腕に抱かれているエルゥが『何故、慌てているの?』と、不思議そうに聞いてくる。
 
 そういえば──二人きりではない。
 エルゥが一緒だ。
 だとしたらきっと、何も起こらないだろう。

(よかったような……少し、残念なような……な、何を考えているのかしら、私は……)

 一人で想像して一人で慌てて、ラーチェルはそんな自分に呆れながら、共同風呂でいつもよりも入念に自分の体を洗った。
 何も起こらないとしても同衾するのだから、森の中を歩いたせいで泥臭い女だと思われたくない。

 ついでにごしごしエルゥの体を洗う。
 エルゥはずっと「にゃー!」と、笑っているのか怒っているのかよく分からない声をあげていた。

「戻りました。……オルフェ様?」

 さらにふわふわの艶々になったエルゥを抱えて、ラーチェルは部屋に戻った。
 つやつやの毛玉は、部屋に入ったとたんにソファのクッションの上で丸くなった。
 くわっとあくびをして、ぱたりと尻尾を振る。自分の尻尾にくるまれるようにしながら目を閉じる。
 すぐに眠ってしまったらしく、規則正しく体が上下しだした。

 オルフェレウスは、ベッドで横になっていた。
 飾り気のない寝衣を着ているが、オルフェレウスが着ると特別にあつらえた高級な服のように見える。
 いつもは綺麗に整えられているオールバックの髪の、前髪が降りて顔にかかっていた。

「今日は、疲れましたよね。おやすみなさい」

 部屋のベッドは一つしかない。
 ダブルにしては少し小さいぐらいだが、これはラーチェルが普段公爵家の大きなベッドで眠っているためにそう感じるだけだろう。
 
 それから、オルフェレウスの体格がいいのでそう感じるのかもしれない。
 
 ともかく、オルフェレウスは眠っているようだ。
 安心したようながっかりしたような妙な気持ちになりながら、ラーチェルはオルフェレウスの隣に体を滑り込ませた。
 
 出来る限り邪魔にならないように体を小さくする。
 オルフェレウスは横を向いているために、視線を向けると背中が見えた。
 よく鍛えられた背中は、ごつごつしている。布越しに、背骨や肩甲骨、筋肉の隆起が浮き出て見えた。

 オルフェレウスがいなければ──エルゥを助けることができなかったはずだ。
 オルフェレウスがエルゥと戦ってくれたから、ラーチェルはエルゥの状態を観察することができた。
 だから、アナベルのことも助けることができた。
 
 助けられてよかった。大切な人を失うのはいつだって苦しい。
 それが若い命だと、余計に。
 命に差異はないけれど──子供たちには元気に生きていてほしい。
 
 オルフェレウスの母や、ルーディアスの母はそう思わなかったのだろうか。
 彼らを残して自ら命を絶った。その気持ちが、ラーチェルには分からない。

 ベルカの願いを聞いて、ベルカを想い泣く家族の姿を見て、オルフェレウスはどう感じたのだろう。

 出来れば──あなたの世界が、これから彩に満ちて欲しい。
 その隣でずっと、笑っていたい。

「……好きです、オルフェ様」

 背中にそっと触れて、小さな声で囁いた。
 いつの間にか、ラーチェルの中でオルフェレウスの存在は大きなものに変わっていっている。
 ルイやルドランへの感情は、思い出せないぐらいに過去へと変わっていっている。

 目を閉じて眠ってしまおうとしたラーチェルの視界が、ぐらりと揺らいだ。
 いつの間に起きたのか、それとも起きていたのか。
 オルフェレウスがラーチェルに覆いかぶさっている。
 案外長い金の髪が、ラーチェの頬に触れた。真剣な青い瞳が射るように、ラーチェルを見つめている。

「お、オルフェ様、起きて……」
「酒を、飲み過ぎた。私は、酔っているのかもしれない」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。だが……君に触れたい。君が、悪い。可愛いことを、するのがいけない」

 啄むように、唇が触れる。
 ラーチェルはぎゅっと、シーツを握りしめた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そんなに私の事がお嫌いなら喜んで婚約破棄して差し上げましょう!私は平民になりますのでお気になさらず

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のサーラは、婚約者で王太子のエイダンから冷遇されていた。さらに王太子はなぜか令嬢たちから人気が高かった事から、エイダンに嫌われているサーラは令嬢たちからも距離を置かれている。 そんなサーラの唯一の友人は、男爵令息のオーフェンだ。彼と話している時だけが、サーラが唯一幸せを感じられる時間だった。 そんなある日、エイダンが 「サーラと婚約破棄をしたいが、その話をするとサーラがヒステリックに泣き叫ぶから困っている」 と、嘘の話を令嬢にしているのを聞き、サーラはさらにショックを受ける。 そもそも私はエイダン様なんか好きではない!お父様に無理やり婚約させられたのだ。それなのに、そんな事を言うなんて! よし、決めた!そこまで言うなら、何が何でも婚約破棄してもらおうじゃない!そしてこんな理不尽な貴族社会なんて、こっちから願い下げよ!私は平民になって、自由に生きるわ! ついに立ち上がったサーラは、無事王太子と婚約破棄し、平民になる事はできるのか?

自称ヒロインに「あなたはモブよ!」と言われましたが、私はモブで構いません!!

ゆずこしょう
恋愛
ティアナ・ノヴァ(15)には1人の変わった友人がいる。 ニーナ・ルルー同じ年で小さい頃からわたしの後ろばかり追ってくる、少しめんどくさい赤毛の少女だ。 そしていつも去り際に一言。 「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」 ティアナは思う。 別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか… そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。

【完結】結婚式当日、婚約者と姉に裏切られて惨めに捨てられた花嫁ですが

Rohdea
恋愛
結婚式の当日、花婿となる人は式には来ませんでした─── 伯爵家の次女のセアラは、結婚式を控えて幸せな気持ちで過ごしていた。 しかし結婚式当日、夫になるはずの婚約者マイルズは式には現れず、 さらに同時にセアラの二歳年上の姉、シビルも行方知れずに。 どうやら、二人は駆け落ちをしたらしい。 そんな婚約者と姉の二人に裏切られ惨めに捨てられたセアラの前に現れたのは、 シビルの婚約者で、冷酷だの薄情だのと聞かされていた侯爵令息ジョエル。 身勝手に消えた姉の代わりとして、 セアラはジョエルと新たに婚約を結ぶことになってしまう。 そして一方、駆け落ちしたというマイルズとシビル。 二人の思惑は───……

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

ありあまるほどの、幸せを

十時(如月皐)
BL
アシェルはオルシア大国に並ぶバーチェラ王国の侯爵令息で、フィアナ王妃の兄だ。しかし三男であるため爵位もなく、事故で足の自由を失った自分を社交界がすべてと言っても過言ではない貴族社会で求める者もいないだろうと、早々に退職を決意して田舎でのんびり過ごすことを夢見ていた。 しかし、そんなアシェルを凱旋した精鋭部隊の連隊長が褒美として欲しいと式典で言い出して……。 静かに諦めたアシェルと、にこやかに逃がす気の無いルイとの、静かな物語が幕を開ける。 「望んだものはただ、ひとつ」に出てきたバーチェラ王国フィアナ王妃の兄のお話です。 このお話単体でも全然読めると思います!

婚約解消された私は醜い公爵令息と婚約することになりましたが、今の方が断然幸せです。

しあ
恋愛
突然、婚約者である第2王子のルーファス様から手紙が届く。 内容は、真実の愛を見つけたので婚約解消をして欲しい、そして婚約者が居なくなる君にはワーズス公爵家の一人息子と婚約させてやる。との事。 容姿が良くないと噂されているワーズス公爵家の一人息子と婚約ですか。 いいですわ。むしろ、婚約解消は前々から望んでいたことですし、有難くこのご提案を受け入れますわ。 提案を勝手に受け入れたことでお父様からの家を追い出されましたが、婚約者となってくださったワーズス様に泊めていただけたので問題ありませんわ。 婚約早々屋敷を尋ねることになったのは予想外ですが、煩わしい人達と離れることが出来たので、好きに過ごさせて頂こうと思います。

前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています

矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜 ――『偽聖女を処刑しろっ!』 民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。 何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。 人々の歓声に包まれながら私は処刑された。 そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。 ――持たなければ、失うこともない。 だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。 『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』 基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。 ※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)

処理中です...