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ぬくもりとの出会い 2
しおりを挟む母と同じ毒を飲み、死ぬ。
だが毒など、どこで手に入る。
ある種の植物は毒を持つという。それを口にすれば死ぬことができるだろうか。
クリスタニア公爵夫妻には迷惑をかけたくない。
植物を口にして死んだらそれはただの事故。
オルフェレウスが愚かだったというだけだ。
オルフェレウスはクリスタニア家に来てからはじめて、まともに部屋の外に出た。
昼下がり。よく晴れた空に、薄い雲が浮いている。
秋風が涼しく頬を撫でる。陽射しが優しく肌に触れる。
その心地よさも、オルフェレウスには届かない。
ただ──目の前にぽっかりあいた深淵から手招きしている死に向かって、真っ直ぐに進んでいた。
公爵家の林の中に分け入る。何かないかと、視線をさまよわせた。
毒を持っている植物は多い。自生しているもので、ヘムロックやジギタリスなど。
うっかり口にすると、死に至る。
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無味無臭で、一滴口にしただけで死に至ると言われている、王族の暗殺によく使用される毒だ。
だから、母がマチルダを殺したのではないかという噂も流れた。
真偽の程は分からない。
その可能性も──あるのかもしれない。
林の中をふらふらとさまよい、オルフェレウスはしゃがみ込んだ。
美しい紫色の花が自生しているのを見つけた。
アルカステロと呼ばれる花の葉と根には、強い毒性がある。
オルフェレウスがそれを知っていたのは、マチルダが死んでから母が毒に対して執着を持つようになったからだ。
母は来る日も来る日も、毒について調べていた。
その姿はとても恐ろしく、悲しかった。
「あの、お腹が空いていますか」
花を手折って口にしようとした瞬間、背後から話しかけられた。
──見られた。
自死を、しようとしていたところを。
一体、誰だ。
それは、可憐な少女の声だ。
振り向くとそこには、美しい豊かな赤毛の、好奇心に煌めく大きな瞳をした愛らしい少女が立っていた。
少女は一歩踏み出して、オルフェレウスにぐいっと体を近づけると、くんくんと花の香りを嗅いだ。
「甘い匂いですけれど、これは毒です。有毒な植物の香りがします。食べてはいけませんよ」
「……君は」
「私はラーチェル。あそこにある家の娘です。あなたはとてもお腹が空いているのですね?」
じっと、オルフェレウスを真っ直ぐ見据えながら、少女は言った。
匂いだけで毒草だと言い当てて、オルフェレウスの姿を見て腹を空かせて花を食べようとしていたとすぐさま判断をした──不思議な少女だった。
クリスタニア家には娘がいる。名前はラーチェル。
いつも庭や林をうろうろしていると、クリスタニアの奥方が言っていた。
この少女が、ラーチェル。
「なんだかとてもやつれています。すごく怖いお化けにあった後、みたいに。それか、街角でおそろしい化け物とぶつかったあと、みたいに」
「……どちらも、違う」
「ではなにか悲しいことがあったのでしょうか? それともとても困ったことが? 分かりませんけれど、その花は美味しそうですが、食べたらだめです。毒ですから」
「何故わかる」
「匂いがすると言いました。毒は、少しですが、毒の匂いがするのです。食べたらいけない、甘く腐った匂いですね」
ラーチェルはそう言い切って、オルフェレウスの手から花を奪った。
そして自分の髪に飾って微笑んだ。
「食べるのはいけません。茎や花の汁に毒があります。でも、飾ると可愛いです。これは、観賞用です」
「あ……あぁ」
「お腹が空いているのでしたら、これを。バニラとシナモンのパウンドケーキです。おやつに貰ってきました」
ラーチェルは持っていたバスケットの中から、紙ナプキンに包まれた菓子をとりだした。
ふんわりと柔らかく、黄色い色味をした菓子である。
それを、オルフェレウスの口にぐいっと押し付けた。
「手が汚れていますから、どうぞ。美味しいですよ」
「必要ない」
「食べてください。バニラとシナモンには心を癒す力があるのです。幸せの香りなんですよ」
幸せなど、そんなもの。
得てはいけないのだ、自分は。
オルフェレウスはその菓子を、叩き落とそうとした。
けれど、ラーチェルの瞳があまりにも真っ直ぐで。
クリスタニア公爵夫婦と同じように、同情も野心も哀れみもなく、ただ、必要だから──オルフェレウスに菓子を差し出しているのだということがすぐにわかって。
──だから。
口を開いて、差し出された菓子をばくりと食べた。
「ふふ、よかった」
「甘い」
「いい香りでしょう? 私、バニラとシナモンの香りが大好きなんです。幸せの香りって、私が勝手に思っているだけなんですけれど。でも、甘くて、心が落ち着く香りです」
「……そう、だな」
「あなたもきっと、好きになります、きっと」
ラーチェルはバスケットをオルフェレウスに押し付けた。
「お化けも怪物もいません。ここにあるのは、植物ばかりです。植物たちは人に危害を加えたいと思っていません。ですから、むやみに食べてはいけませんよ」
「……そうかもしれない」
「毒草じゃなくても、生食は危険です」
「そうだな」
「お腹が空いたら私の家に来てください。バニラとシナモンのお菓子も、ご飯も、たくさんあります。行くところがないのなら、一緒に帰りますか?」
ラーチェルは、オルフェレウスを何処かから迷い込んだ子供だと思っているらしかった。
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「ありがとう。俺は、大丈夫だ」
「そうですか? よかった。悲しい日も苦しい日も、いつかは忘れます、きっと。お化けも怪物も、お菓子を食べて笑っていればいなくなるって……思っているのですけれど、お化けも怪物も怖いのです、本当は」
そう言って恥ずかしそうにはにかんで、ラーチェルは礼をすると林の奥へと消えていった。
まるで──森の妖精のようだ。
オルフェレウスは、ラーチェルに話しかけられなければきっと、毒草を飲み込んでいた。
バニラとシナモンの甘い香りで心がいっぱいになって──もう少し、生きようと思った。
彼女を見ていたい。
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兄のために、何ができるだろう。
少しでも役に立つことができるだろうか。兄に人生を捧げよう。それが贖罪だ。
深淵に落ちていくあと一歩で踏みとどまらせてくれた、妖精のような少女に感謝をした。
それからというもの、オルフェレウスはずっと、遠くからラーチェルを見ていた。
愛しい、恋しい、もう一度言葉を交わしたい。
あの時君と話したのは私だと、名乗り出たい。
その欲求を、募る思慕を、心の奥底に隠して蓋をし続けていた。
あの夜会の日。
二度の恋に敗れたラーチェルが「結婚をします」と言って、オルフェレウスの腕を掴むまでは。
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