上 下
34 / 62

オルフェレウスの想い人

しおりを挟む


 客がいなくなった食堂の片付けを手伝って、宿に戻ろうとしたラーチェルに、エウリアが声をかけた。

「ラーチェル、助かったわ、ありがとう! お礼といってはなんだけれど、ホットミルクでも飲んでいかない? それともお酒のほうがいいかしら」
「ありがとうございます。お酒はあまり得意ではなくて、最近も失敗したばかりなので、ホットミルクでお願いします」
「失敗?」
「え、ええ、酔って大失態を」
「お酒の失敗なんてしょっちゅうよ。気にする必要なんてないわ」

 エウリアはホットミルクをカップに入れて、ラーチェルにすすめた。
 誰もいない静かな食堂に、蜂蜜の甘い香りが漂った。

 カウンター席に座り、ラーチェルはホットミルクを口にする。優しい甘みが口いっぱいに広がって、疲れた体が癒やされる。

 カウンターの中に立って皿をふきながら、エウリアはラーチェルに微笑んだ。

「本当に助かっちゃった。中々一人じゃ、手が回らなくてね」
「人を雇ったりしないのですか?」
「雇うほどの余裕はないのよね。小さな村だから、お客さんがすごく多いってわけでもないし」
「エウリアさんはすごいですね、一人でお店を開いていて」
「元々は、両親の店だったの。それを継いだだけ」
「ご両親の……」
「そう。三年前に亡くなってね。魔物が出て、魔物の毒にやられてしまって。それで、魔物退治に来てくれたのが騎士様ね。たまたま傍を通りかかったとかで、噂をきいて助けに来てくれたのよ」

 ラーチェルの知らない、オルフェレウスの過去の話だ。
 オルフェレウスのいないところで勝手に聞いていいのかと思いながらも、興味を抑えられなかった。
 それに、ルアルアの香木の話も聞けるかもしれない。

「魔物の毒ですか……?」
「毒を吐く魔物……確か、シビレカガシと言ったかしら。それはそれは大きな蛇でね。そんなものが現れたのははじめてで……私の両親はその時、山で山菜をとっていて、襲われたのよね」
「それは、お辛かったですね」
「そうね……それで、騎士様がシビレカガシを退治してくれたのだけれど、その時足に怪我を負ってしまって。怪我が治るまでの数日、両親の仇を討ってくれた恩もあったから、ここで世話をさせてもらったの」

 食堂の二階が、居住空間になっているようだ。
 オルフェレウスは数日、エウリアと共に過ごした。その時に、香木を──。

「……エウリアさんは、その騎士様に、恋を?」
「あはは、いやね、ラーチェルまで。まぁ、少しは……素敵な人だったから。でも、そういう隙? みたいなのが、全然なくてね。心を全く開いてくれないっていうのかしら」
「隙、ですか」
「ええ。ルアルアの香木の香りを嗅いだ時だけ、表情が変ったかしら。確か、幼い時に……同じ匂いのするものを食べたっていっていたわね」
「バニラを?」
「あの香りは、バニラっていうの?」
「はい。バニラビーンズという植物の種子……加工が必要ですけれど、お菓子を作るときに使ったりしますね。甘くて独特な香りがするでしょう?」
「あぁ、だから、食べたということね」

 オルフェレウスは寡黙で、それ以上詳しいことは何も教えてくれなかったという。
 エウリアは木を食べたとはどういうことかと、しばらく悩んだそうだ。

「騎士様は……オルフェレウス様とおっしゃったかしら。すごく愛しそうな、懐かしそうな顔をしていて。きっと、忘れられない思い出があるのだと思うわ。香りと……誰か、に」
「誰か……」
「そう。ある人から貰って、食べたと。恋をしている顔だわ。それも、どうしても手に入れたいのに、手に入らない相手に恋い焦がれる顔をしていたの。いいわよね、あんなお堅い人に、そこまで思われるなんて」

 ──それが、ナターシャということだろうか。

(バニラとシナモンのお菓子……?)

 何か、心にひっかかるものを感じた。
 ラーチェルはバニラとシナモンの香りがするパウンドケーキが、幼い頃は特別好きだった。
 焼き上がるときに調理場から漂う香りが、外まで伝わってきて、心が踊った。

 あれは幸せの香りだと、幼い頃のラーチェルは信じていた。
 だからオルフェレウスから感じる微かなバニラとシナモンの香りが、ラーチェルはとても好きだと感じたのだ。

(でも……そんな、都合がよすぎるわよね……)

 幼い日のラーチェルは、オルフェレウスに、菓子を渡したのだろうか。
 それが自分だとは、とても思えない。
 思い出せない。

「今のラーチェルも、同じ顔をしてる。もしかして、オルフェレウス様の知り合い?」
「は、はい……その……婚約者です。つい最近、婚約をしたばかりですけれど」
「そうなのね! すごいわね、偶然。あの騎士様が結婚を決めるなんて……きっと、あの人の恋していた相手は、ラーチェルだったのね」
「まさか」
「だって、その人とじゃないと絶対に結婚しないって、そんな顔をしていたわ」

 ラーチェルは曖昧に笑った。そんなわけがない。
 けれど、そうだったら──どんなに嬉しいだろう。

 今になって、逃げるように王都を経ってしまったことが悔やまれた。
 きちんと、会って話をするべきだった。出かけると伝えるべきだった。
 逃げないで、話をすればよかった。
 ナターシャのことが好きなのかと直接尋ねれば、きっとオルフェレウスは答えをくれただろう。

「実は私、王都で香水の研究をしていまして。オルフェ様からルアルアの香木について聞いて、村に来たのです。神聖なものだとお聞きしましたので難しいかもしれませんが……可能ならば採集をして、商品にしたいと考えていて」
「ルアルアの木を?」
「はい。やはり、難しいでしょうか」
「明日、村長にかけあってみるわね。騎士様には恩義があるし、ラーチェルはその婚約者だもの。信用できる」

 ラーチェルは立ち上がると、「ありがとうございます!」と礼を言って、深々と頭をさげた。
 




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

収容所生まれの転生幼女は、囚人達と楽しく暮らしたい

三園 七詩
ファンタジー
旧題:収容所生まれの転生幼女は囚人達に溺愛されてますので幸せです 無実の罪で幽閉されたメアリーから生まれた子供は不幸な生い立ちにも関わらず囚人達に溺愛されて幸せに過ごしていた…そんなある時ふとした拍子に前世の記憶を思い出す! 無実の罪で不幸な最後を迎えた母の為!優しくしてくれた囚人達の為に自分頑張ります!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜

しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。 高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。 しかし父は知らないのだ。 ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。 そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。 それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。 けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。 その相手はなんと辺境伯様で——。 なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。 彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。 それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。 天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。 壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

転生先がヒロインに恋する悪役令息のモブ婚約者だったので、推しの為に身を引こうと思います

結城芙由奈 
恋愛
【だって、私はただのモブですから】 10歳になったある日のこと。「婚約者」として現れた少年を見て思い出した。彼はヒロインに恋するも報われない悪役令息で、私の推しだった。そして私は名も無いモブ婚約者。ゲームのストーリー通りに進めば、彼と共に私も破滅まっしぐら。それを防ぐにはヒロインと彼が結ばれるしか無い。そこで私はゲームの知識を利用して、彼とヒロインとの仲を取り持つことにした―― ※他サイトでも投稿中

処理中です...