27 / 62
バニラとシナモン
しおりを挟むオルフェレウスはラーチェルの頼みに、嫌な顔一つせずに頷いた。
「私でできることなら。だが、私は香水にも装飾品にも詳しくはない」
「ありがとうございます、無理を言ってしまって申し訳ありません」
「以前、謝罪を禁じたはずだ。君は私に気を使いすぎだ。私は、怖いか?」
ラーチェルは慌てて両手を振った。
怖いと感じたことはないのだ、本当に。
「申し訳……ではなくて、その、怖くはありません。オルフェ様は真面目な方だと思っています。以前から、尊敬をしておりました。そのせいでしょうか、迷惑をかけたくないと、感じてしまって」
「尊敬?」
「はい。オルフェ様ほど清く正しく、真面目な方はいらっしゃらないでしょう。不正を嫌い、信仰に背くことを嫌い、まっすぐで」
「私はそんなにいい人間ではない。……だが、君は私を憎からず思っていてくれたのだな」
「そうなってしまうでしょうか……まるで、気が多い女のようで、恥ずかしいです」
ラーチェルは無意識に自分の服を掴んだ。
ラーチェルはつい最近まで婚約者のある身だった。それなのに、オルフェレウスにまで秋波を送っていたと思われたらと、不安になる。
「そんなふうには思っていない。ラーチェル、私は……いや、なんでもない。それで、私に何が手伝える?」
「は、はい! あのですね、オルフェ様。オルフェ様からはいい香りがするのです」
「香り……?」
オルフェレウスは不思議そうに繰り返した。
自分の袖を鼻に持っていく。それから、軽く首を傾げた。
「自分ではわからない。指摘されたこともないな。香水を使っているわけでもないが、服の匂いか?」
「あの、少し失礼していいですか?」
「あぁ」
ラーチェルはぐいっと、オルフェレウスに体を近づけた。
香りの出所を探るように、オルフェレウスの軍服の襟や、胸元、指先や腕に鼻を近づける。
首筋や、髪まで真剣な表情で鼻を近づけて探っていると、ぱちりと、至近距離でじっとラーチェルを見つめている美しい碧玉と目が合った。
「……も、もうしわけ」
「ラーチェル」
「ではなくて、わ、私、夢中になってしまって……」
「構わない。むしろ、役得だった」
「え……?」
「それで、わかったのか? 何の匂いだろうか。そう言われると、気になるな」
無遠慮に距離を縮めて、口付けでもしそうな距離まで顔を近づけてしまった。
なんて恥ずかしいことをしてしまったのだろう。
けれど、オルフェレウスは平静なままだった。
自分だけ意識しているのが恥ずかしく、これではまるで男性に惚れやすい恋多き女のようである。
そんなことは、なかったはずなのに。
ラーチェルは高鳴る胸に手を当てて、心を落ち着かせるために深く息をついた。
赤くなっている顔を見られないように俯いて、視線を彷徨わせた後、ラーチェルは隠すのを諦めてオルフェレウスに向き直った。
もう、見られてしまった。真っ赤になって狼狽えているところを。
どういうわけか、恥ずかしいところばかりを見せてしまっている。
普段はこんなことはないのに。多分。
「わかったような、気がします。香りは、髪と、軍服から。布や髪は、匂いが染み込みやすいのです。でも、香水ほどに強くはなくて。香りは、やっぱりバニラとシナモンですね。それから、珈琲でしょうか」
「あぁ、なるほど」
オルフェレウスは得心がいったように頷いた。
「珈琲に、淹れている。シナモンスティックと、バニラの枝だ」
「枝?」
「バニラの香りのする香木だな。エディクス地方にある森で取れるもので、あまり流通していない。香りだけつくが、味はしないために重宝している」
「そうなのですね! シナモンスティックは知っていましたが、バニラの香木は……」
「その地方のものたちは、ルアルアと呼んでいるな。生命の樹という意味だ。彼らにとっては神聖なもので、あまり乱獲はしない。そのため、一般には知られていないのだろう」
「オルフェ様は、どうして?」
騎士は遠征にいくことがある。それは領主からの依頼で、どうしても手に負えなくなった大規模な盗賊の討伐や、人里に害を及ぼす魔物退治、それから、災害時の人命救助などを行うためである。
だが基本的には王都の守護をするために、王都にいることが多い。
戦さがなくとも、騎士が騎士として在住していることが他国からの侵略の抑止力につながり、また、貴族の離反の牽制にもつながるのである。
遠征の時に、エディクス地方に行き、ルアルアの香木を持ち帰ってきたのだろうか。
「数年前に、エディクス地方での魔物討伐で怪我をおってな。魔物の森の手前にある村で世話になった。その時、鎮痛剤として使われたのがこの香木だった」
「鎮痛剤になりますか?」
「どうだろうな。精神を落ち着ける作用はあるのだろうが、香木を焚いた所で痛みが取れるわけでもない。ただ……よい香りがするから、もらってきた」
「オルフェ様は、バニラとシナモンが好きなのですか?」
「あぁ。……好きだな」
オルフェレウスはテーブルの上に置かれているラーチェルの手に、自分のそれを重ねた。
ラーチェルは再び自分の顔が真っ赤に染まるのがわかる。
顔が熱くて、言葉が出てこない。
「オルフェ様、あまり、お戯は……っ、私、慣れていないのです。ですから」
「リュシオンには、手に触れられなかったのか?」
「リュシオン様に?」
「……彼がよくて、私が駄目だというのは、奇妙な話だろう」
「オルフェ様……?」
どうしてリュシオンの名前がここで出てくるのかと疑問に思う。
ラーチェルが尋ねる前に「あ! ここにいた!」という、可愛らしい声が響いた。
1,022
お気に入りに追加
3,083
あなたにおすすめの小説
【完結】緑の手を持つ花屋の私と、茶色の手を持つ騎士団長
五城楼スケ(デコスケ)
ファンタジー
〜花が良く育つので「緑の手」だと思っていたら「癒しの手」だったようです〜
王都の隅っこで両親から受け継いだ花屋「ブルーメ」を経営するアンネリーエ。
彼女のお店で売っている花は、色鮮やかで花持ちが良いと評判だ。
自分で花を育て、売っているアンネリーエの店に、ある日イケメンの騎士が現れる。
アンネリーエの作る花束を気に入ったイケメン騎士は、一週間に一度花束を買いに来るようになって──?
どうやらアンネリーエが育てている花は、普通の花と違うらしい。
イケメン騎士が買っていく花束を切っ掛けに、アンネリーエの隠されていた力が明かされる、異世界お仕事ファンタジーです。
*HOTランキング1位、エールに感想有難うございました!とても励みになっています!
※花の名前にルビで解説入れてみました。読みやすくなっていたら良いのですが。(;´Д`)
話の最後にも花の名前の解説を入れてますが、間違ってる可能性大です。
雰囲気を味わってもらえたら嬉しいです。
※完結しました。全41話。
お読みいただいた皆様に感謝です!(人´∀`).☆.。.:*・゚
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!
水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。
シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。
緊張しながら迎えた謁見の日。
シエルから言われた。
「俺がお前を愛することはない」
ああ、そうですか。
結構です。
白い結婚大歓迎!
私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。
私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

【完結】契約の花嫁だったはずなのに、無口な旦那様が逃がしてくれません
Rohdea
恋愛
──愛されない契約の花嫁だったはずなのに、何かがおかしい。
家の借金返済を肩代わりして貰った代わりに
“お飾りの妻が必要だ”
という謎の要求を受ける事になったロンディネ子爵家の姉妹。
ワガママな妹、シルヴィが泣いて嫌がった為、必然的に自分が嫁ぐ事に決まってしまった姉のミルフィ。
そんなミルフィの嫁ぎ先は、
社交界でも声を聞いた人が殆どいないと言うくらい無口と噂されるロイター侯爵家の嫡男、アドルフォ様。
……お飾りの妻という存在らしいので、愛される事は無い。
更には、用済みになったらポイ捨てされてしまうに違いない!
そんな覚悟で嫁いだのに、
旦那様となったアドルフォ様は確かに無口だったけど───……
一方、ミルフィのものを何でも欲しがる妹のシルヴィは……

【完結】精霊姫は魔王陛下のかごの中~実家から独立して生きてこうと思ったら就職先の王子様にとろとろに甘やかされています~
吉武 止少
恋愛
ソフィアは小さい頃から孤独な生活を送ってきた。どれほど努力をしても妹ばかりが溺愛され、ないがしろにされる毎日。
ある日「修道院に入れ」と言われたソフィアはついに我慢の限界を迎え、実家を逃げ出す決意を固める。
幼い頃から精霊に愛されてきたソフィアは、祖母のような“精霊の御子”として監視下に置かれないよう身許を隠して王都へ向かう。
仕事を探す中で彼女が出会ったのは、卓越した剣技と鋭利な美貌によって『魔王』と恐れられる第二王子エルネストだった。
精霊に悪戯される体質のエルネストはそれが原因の不調に苦しんでいた。見かねたソフィアは自分がやったとバレないようこっそり精霊を追い払ってあげる。
ソフィアの正体に違和感を覚えたエルネストは監視の意味もかねて彼女に仕事を持ち掛ける。
侍女として雇われると思っていたのに、エルネストが意中の女性を射止めるための『練習相手』にされてしまう。
当て馬扱いかと思っていたが、恋人ごっこをしていくうちにお互いの距離がどんどん縮まっていってーー!?
本編は全42話。執筆を終えており、投稿予約も済ませています。完結保証。
+番外編があります。
11/17 HOTランキング女性向け第2位達成。
11/18~20 HOTランキング女性向け第1位達成。応援ありがとうございます。

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。
ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。
俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。
そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。
こんな女とは婚約解消だ。
この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

夫から「余計なことをするな」と言われたので、後は自力で頑張ってください
今川幸乃
恋愛
アスカム公爵家の跡継ぎ、ベンの元に嫁入りしたアンナは、アスカム公爵から「息子を助けてやって欲しい」と頼まれていた。幼いころから政務についての教育を受けていたアンナはベンの手が回らないことや失敗をサポートするために様々な手助けを行っていた。
しかしベンは自分が何か失敗するたびにそれをアンナのせいだと思い込み、ついに「余計なことをするな」とアンナに宣言する。
ベンは周りの人がアンナばかりを称賛することにコンプレックスを抱えており、だんだん彼女を疎ましく思ってきていた。そしてアンナと違って何もしないクラリスという令嬢を愛するようになっていく。
しかしこれまでアンナがしていたことが全部ベンに回ってくると、次第にベンは首が回らなくなってくる。
最初は「これは何かの間違えだ」と思うベンだったが、次第にアンナのありがたみに気づき始めるのだった。
一方のアンナは空いた時間を楽しんでいたが、そこである出会いをする。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる