23 / 62
リュシオンの研究室
しおりを挟むルルメイアからの研究発表会についての話を受けたラーチェルは、早速リュシオンの元へ向かった。
ヴィクトリスは「リュシオンは苦手です。私は選ばれなくてよかったと思ってしまいました」とすまなそうに言い、アベルは「泣かされた女性は多いらしいよ、ラーチェルも気を付けて」と心配そうに言っていた。
服飾府は扱っているものが装飾品やドレスの類で、女性と関わることも多い。
必然的に女性との浮名が増えてしまうか、噂になりやすいだけだろう。
実際──悪魔と呼ばれているオルフェレウスは、誠実で生真面目な人だ。
元々ラーチェルはそんな風に思っていなかったし、その清廉さを尊敬さえしていたのだが、関わってみてその印象はもっと強くなっている。
だからきっとリュシオンも──。
そう、思っていたのだが。
「ラーチェル、来てくれたんだね! 君と一緒に研究発表会に参加できるなんて嬉しいな」
調香府と同じ研究棟にある服飾府に顔を出すと、リュシオンは開口一番嬉しそうにそう言って、ラーチェルの手をぎゅっと握りしめるとその体を引き寄せて、知人にしては近すぎる距離感で抱きしめてきた。
──たしかにこんな人だったわね。
何度かモデルをして欲しいと話しかけられた時も、ずいぶんと人懐っこい人だなと感じた。
とはいえその時は、廊下を歩いている時に話しかけられて「遠慮させていただきます」とお断りをして立ち去った程度だったので、ここまで距離は近くなかったのだが。
まぁでも、これは挨拶だ。
オルフェレウスも挨拶だから抱きしめたのだと言っていた。
ルーディアスもこのような感じの人なので、そう珍しいわけでもない。
すらりとして背が高く、手足の長いリュシオンにぐいぐい抱きしめられながら、ラーチェルは自分を納得させた。
少なくとも、常に不機嫌な相手と共同発表をするよりは、人懐っこい方が話がしやすいのでありがたい。
「リュシオン様、今日は共同研究のご挨拶に伺ったのですが」
「うん。君が来てくれるんじゃないかなって、ずっと思っていたんだ。ヴィクトリスとアベルは去年発表をしているし、ルルメイアは君に期待をしているからね」
「それは、光栄です」
「それを見越して、共同研究の話を持ち掛けたんだよ。君とは個人的に話をしたかったし」
「私と……?」
「そうそう。とりあえず、こちらに来て。二人きりで話がしたいな」
──こういう風に、思わせぶりな話し方をするのはもしかしたらこの方の癖なのかもしれない。
体を離してラーチェルの手を引いてどこかに案内するリュシオンに連れられて歩きながら、ラーチェルはそう考えていた。
手入れの行き届いている長く美しい金の髪、ざっくりと胸元が開いた珍しい異国風の服、細身だが鍛えられている体つきに、やや目尻のさがった美しい顔立ち。
こういう方が、まるでこちらに気があるようなことを口にしたら、それは勘違いしてしまう女性も多いだろう。
王国の教典には反しているが──結婚さえしなければ、男性の場合はある程度の火遊びは許される。
だが、女性の場合は、男性に捨てられたり弄ばれたりした場合、恥となる。
ラーチェルもそうだった。
その上恥に恥を塗り重ねたような行動をした。あまりにも恥知らずな女を妻にしてくれるというのだから、オルフェレウスは優しいという一言では片付けられないぐらいに優しい。
「ここはね、俺の個人的な研究室。服飾府には俺を含めて五人働いているんだけど、人がいると集中できないらしくて、一人一部屋、個別に部屋が与えられてるんだよ。別に仲が悪いわけじゃないんだけどね」
「その気持ちは少し、分かる気がします」
ラーチェルはルルメイアたちが好きだが、それはそれとして、皆が出かけている時に研究室に一人でいると、いつもよりも集中できるような気がしている。
一人でいるのも、皆でいるのもラーチェルは好きだった。
「分かってくれる? 嬉しいな。俺たち、きっとよく似ているよ」
「そうでしょうか。私はリュシオン様のことをよく存じあげませんけれど……」
服飾府のあるフロアには、いくつかの扉が並んでいる。
その一室が、リュシオンに与えられた部屋だった。
広い部屋の中央には大きなテーブルがあり、鮮やかな布が何枚も重ねられている。
壁際に並ぶトルソーには、可愛らしいものから美しいものまで、目を奪われるようなデザインのドレスが着せられていた。
机にはデザイン用の巻紙が広げられていて、絵具や筆、インク壺や羽ペンなどが所狭しと並んでいる。
部屋の様子を見ただけだが、熱心な人なのだろうということが理解できた。
口調は軽薄だが、仕事には情熱がある。
ラーチェルはソファに案内された。
部屋の端に置かれている湯沸かし用の魔鉱石で湯を沸かして、リュシオンは珈琲をいれてくれた。
最近は、火を入れると安定して熱を帯び続ける魔鉱石が料理などにも使われているが、ラーチェルはアルコールランプの炎が好きだった。
暖炉の炎も蝋燭の炎も好きだ。見ていると気分が落ち着く気がするからだ。
植物から香りを抽出する時には、魔鉱石よりはアルコールランプを使用した方が抽出が安定するということも理由の一つである。
それは魔鉱石の火力は安定しているが、炎の方がより高い火力が出るからだと、ルルメイアがいつか教えてくれた。
「ラーチェルは、珈琲は飲める?」
「はい、ありがとうございます。いただきます」
「砂糖は?」
「何もいれなくて大丈夫です」
「いいね、俺も同じ。甘ったるいのが苦手なんだ」
リュシオンはラーチェルの前に珈琲が入ったカップを置くと、ソファの正面に座った。
カップには、可愛いペンギンが描かれていた。
996
お気に入りに追加
3,088
あなたにおすすめの小説
転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです
青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる
それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう
そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく
公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる
この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった
足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で……
エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた
修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た
ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている
エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない
ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく……
4/20ようやく誤字チェックが完了しました
もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m
いったん終了します
思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑)
平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと
気が向いたら書きますね
婚約破棄をされた悪役令嬢は、すべてを見捨てることにした
アルト
ファンタジー
今から七年前。
婚約者である王太子の都合により、ありもしない罪を着せられ、国外追放に処された一人の令嬢がいた。偽りの悪業の経歴を押し付けられ、人里に彼女の居場所はどこにもなかった。
そして彼女は、『魔の森』と呼ばれる魔窟へと足を踏み入れる。
そして現在。
『魔の森』に住まうとある女性を訪ねてとある集団が彼女の勧誘にと向かっていた。
彼らの正体は女神からの神託を受け、結成された魔王討伐パーティー。神託により指名された最後の一人の勧誘にと足を運んでいたのだが——。
国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。
ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。
即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。
そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。
国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。
⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎
※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!
所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜
しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。
高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。
しかし父は知らないのだ。
ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。
そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。
それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。
けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。
その相手はなんと辺境伯様で——。
なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。
彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。
それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。
天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。
壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。
妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています
今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。
それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。
そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。
当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。
一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。
愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす
リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」
夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。
後に夫から聞かされた衝撃の事実。
アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。
※シリアスです。
※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~
柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。
家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。
そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。
というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。
けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。
そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。
ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。
それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。
そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。
一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。
これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。
他サイトでも掲載中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる