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ラーチェル、謝り倒す 2
しおりを挟むオルフェレウスの長い指、黒い手袋。それから、式典警備用の白い軍服。
すぐ隣にオルフェレウスが座っているという事実をまざまざと感じて、酩酊とは違う目眩を感じた。
こくりと飲み干すと、口角から滴が垂れる。
黒い手袋がそれを拭う。申し訳なさといたたまれなさで、泣きたくなった。
ラーチェルは、オルフェレウスと同じようにとはいかないまでも、公爵令嬢として恥ずかしくないように、品行方正に過ごしてきたつもりだ。
婚約者ではない男性と二人きりで部屋にいるというのは、初めてのことである。
「ありがとうございます。少し、落ち着きました。後日、正式にきちんと謝罪をさせていただきます。皆様にも、誤解を解くためにお手紙を書きます。私の事情に巻き込んでしまい、申し訳ありません」
「君は私と結婚をすると言いましたが」
「それは、その、酔っていましたので……今も、酔ってはいるのですが。申し訳ないです」
「先ほども言ったように、私は嘘が嫌いです。結婚とは、神聖なもの。王国の法では、契りは永遠とされています。何が起きても、離縁は許されていない。そうですね?」
「は、はい」
確かにそうなのだ。
女神ルマリエに婚姻を誓うと、それは生涯の誓いとなる。
離縁は許されず、生涯お互いを唯一無二の存在として、愛し合うのが結婚である。
もちろん例外もある。当然だ。人間、品行方正に生きられる者の方が少ない。
離縁は許されないが、離縁をしないまま別の相手と暮らす──実質の離縁のようなことは、当然起こっている。
それら全ての人々に厳罰を与えることなどできないし、その法律は正直、あってないようなものだ。
しかし、オルフェレウスは規律を遵守する。
悪魔と呼ばれる所以であるが、規律を遵守するのに、悪魔というのもおかしな話である。
悪魔というのは、規律を守らない存在ではないのかしらと、ラーチェルは常々思っている。
それはともかくとして、オルフェレウスはラーチェルの結婚宣言を受け入れた時点で、結婚に関するこの法にすでに縛られているようだった。
「で、ですが、酔った上でのことですし、口約束です。騎士団長様にご迷惑をかけられません」
「酔っていようが口約束であろうが、私たちの結婚は成立しました。私は今日からあなたの夫です」
「怒ってらっしゃいますよね……」
「何故そう思うのですか?」
「私と結婚すると言い張っているのは、騎士団長様が怒っていらっしゃるからだと」
「それはあなたの認識が間違っています」
間違っているのだとしたら、なんだというのだろう。
ラーチェルはさらに泣きたくなった。
尻を叩かれるよりも、この押し問答の方がよほど辛い。
いっそ尻を叩いて、これで仕置きは終わりだ、以後気をつけるようにと部屋から追い出してほしい。
「ラーチェル。前言撤回はできない。君と私は夫婦になりました。……そうだな、これからは夫として君に接する必要がある」
口調が変わると、余計に距離が近くなったような気がした。
ラーチェルの知らないオルフェレウスがそこにはいて、それは夫として振る舞おうとしているからだ。
──本当に、結婚するつもりなのか。
「騎士団長様、どうか、許してください」
「許すも何も、私は怒っていない。君から結婚を申し込まれて、喜んで受け入れたのだ。怒る必要がどこにある?」
怒っている。どう考えても。
オルフェレウスに限って、ラーチェルをからかうというようなことはないだろう。
だが、部屋から逃してくれないことに彼の激しい怒りを感じる。
「ラーチェル。私のことは名前で呼べ」
「……ごめんなさい、本当に」
「夫婦の契りとは永遠だ。君が、酔っていたことを言い訳にして逃げることができないように、今から体を──契ってもいい」
オルフェレウスは冷たい無表情なまま、ラーチェルの腰に触れる。
大きな手で抱かれた腰を引き寄せられて、ラーチェルは世界がぐらぐら揺れるのを感じた。
「……ぁ、う」
──悪魔だわ。
髪が艶々で、皮膚も艶々で、歯が白くて綺麗で、鼻が高くて、まつ毛が長い。
悪魔は綺麗な顔をしているというけれど、本当にそうだ。
顔が近づいてくる。唇が触れそうなほどに、近い。
多少紅茶を飲んだとしても、大量に摂取した葡萄酒が体から抜けるわけではない。
その上、オルフェレウスの体があまりにも近く、ラーチェルの好きな香りがするものだから、余計に体温が上がってしまい、ラーチェルは見事に意識を手放したのだった。
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