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属国の姫は皇帝に虐められたい

ジークハルト様の出立

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 翌朝私は城の城門で、ジークハルト様を見送った。

 黒曜の背に跨る黒い軍服とマントを身に纏ったジークハルト様は、静謐な森を思わせる荘厳で玲瓏な姿で、私は感嘆の溜息を吐くばかりだった。

 ジェイクさんと数名を共に連れて行くようだ。

 私はルルとアルケイド様と並んでご挨拶をした。寂しいし不安だったのだけれど、精一杯の笑顔を浮かべた。ジークハルト様が私を思い出してくださることがあれば、それは笑顔の私が良い。

 ジークハルト様も微笑んで「すぐに戻る」と言ってくださった。

 きっと大丈夫。

 私は出立前の黒曜の顔をそっと撫でた。「ジーク様をお願いします」と黒曜に頼むと、理知的な黒い瞳がまるでわかったとでも言うように、ゆっくりと瞬きをした。

 黒曜が歩き出す。徐々に駆ける速度があがっていく。

 黒曜の後を、ジェイクさんや他の方々の騎馬が続く。馬車ではなく騎馬で行くのは、もしもの時のために身動きが取りやすいからなのだと、アルケイド様が遠のいて行くジークハルト様たちを見送りながら教えてくれた。

「恐らくは問題はないと思われますが、……少々、気になることがあります。陛下もずっとそれを気に病んでいるようでした」

「気になることですの?」

 アルケイド様に促されて、私はルルと共に城に中に戻るために歩き始める。
 ルルは私の少し後ろに従い、私はアルケイド様の横を歩いている。

 アルケイド様は細身で背の高い方だ。長いさらさらの黒髪を、赤いリボンで耳の下でひとまとめにして胸の前に流している。

 ジークハルト様よりも一つ年下で、まだ十九歳。前宰相は子供が出来にくい方であったらしく、かなりご高齢になってから出来た一人息子なのだという。
 「可愛がられ、甘やかされて育ちました」そう、以前ご挨拶した時にアルケイド様は言っていた。

 けれどアルケイド様は自分に使われている金も、ライタイド家の派手な暮らしぶりも、全て国費に手をつけている故だと知っていた。幼い頃から聡明な方だったのだろう。

 ーー遠くの景色を見るように、自分自身についても世界についても、良く見ている。

 それが、ジークハルト様からのアルケイド様への評価だ。
 間違ったことを正さなければ、自分の居場所はない。ジークハルト様に協力をすると決めた時に、アルケイド様はそう言ったらしい。

 もちろん、ジークハルト様が間違うことがあれば、アルケイド様はそれも正そうとしてくれるだろう。だから信頼しているのだと言っていた。

「はい。……今のオリアス家の当主である、テオドール・オリアスはどちらかといえば保守的な人間です。自らが皇帝になりたいと望むような野心家ではない。どうにもこの反乱の噂自体が、きな臭い気がしてならないのです」

「……でも、そのようなお話があるのでしょう?」

「あくまでも、噂です。帝国の土地は広大ですし、古くからの貴族が治めている領地も多い。それらを全て管理下に置くと言うことは、なかなかに難しいことです。陛下の息のかかかった者を派遣して、監視下に置いたとしたら、それこそ反乱の火種になってしまうでしょう。ですから、できることといえば各地に斥候を散りばめて、情報を手に入れるぐらいです。情報の真偽を判断するのは、難しい」

「そうなのですね。私、地図でしか知りませんけれど、帝国はリュシーヌの国土の、倍以上の大きさがありますわ。リュシーヌや、エルハイム、グラスランド、シズニア山岳地帯ーー属国を含めると、想像もつかないぐらいの広さです」

「良く学ばれていますね、ティア様。良い事です」

「ありがとうございます、ルルに教えてもらっておりますわ。あまり無知では、ジーク様の妻として情けないので」

「陛下は少し雰囲気が柔らかくなりました。ティア様のお陰です。……陛下のご不在の間は、僕が命を賭してもティア様をお守りします。ご安心を」

 アルケイド様はそう言って、優しく微笑んでくださった。

 気安いジェイクさんと違い、アルケイド様はいつも不機嫌そうで、なんとなく声をかけ難い雰囲気があったのだけれど、私の思い違いだったのかもしれない。

「あら……、珍しい。アルケイド様も笑ったりするのですね」

 ルルが、揶揄うように言った。
 アルケイド様はチラリと後ろを歩くルルに視線を送り、困ったような表情を浮かべて、嘆息する。

「実を言えば、陛下にティア様を怖がらせるなときつく言われているのです。できるだけ優しくするようにと。冷たい態度や言葉は絶対にいけないと、それはもう熱心に言われてしまって……、僕は自分に愛想がないことについての自覚はあったので、陛下の気持ちも分かるのですが。随分と信用されていないのだなと、思って」

「まぁ……」

 私は口元に手を当てた。
 ルルもジークハルト様の意図が分かったらしく、両手で口元を押さえて肩を震わせている。

 徐々にだけれど、ルルは私の趣味を理解し始めてくれているようだった。
 ルルの話では、私のことがあまりにも心配で、ジークハルト様に直談判に行ったらしい。

 「ティア様は、褥についてとても心配されているようです。大丈夫だと言っても、風変わりな褥の教本を捨てようとしないのです」と訴えるルルに、ジークハルト様は「あれはティアの趣味だから心配する必要はない」と生真面目に答えたそうだ。

 そんなわけで、少しづつルルの私に対する誤解が解け始めている。
 ジークハルト様はアルケイド様の態度に、冷たくされると興奮する性癖のある私がときめくことを心配しているのだろう。
 
「アルケイド様は怖いですからね、雰囲気。陛下が心配するのもわかりますよ。ティア様は、陛下の大切な世界に一つしかない宝石なのですから」

 とりなすようにルルが言った。
 流石に私の性癖について触れることは避けてくれたらしい。

 私も最近はジークハルト様の妻としての恥じらいと節度を意識しているので、声を大にしてそれは私のせいです、とは言えない。

 それに、私はジークハルト様を愛している。

 他の方に心を奪われたりしない。
 いじめられるのも、優しくされるのも、ジークハルト様だからときめくのであって、他の方に同じようにされたいとは思わない。

「僕はそんなに怖いと思われていたのですね……、そんなつもりはなかったのですが、気をつけます」

「アルケイド様が優しい方だということは、お話しさせていただいて良くわかりましたわ。私、なるだけ迷惑をかけないように、言いつけを守って後宮で大人しくジーク様を待っていますわ。……でも、もしジーク様に何かあったら、教えて欲しいのです。……私にできることは少ないですけれど、……もしもの時は、お兄様の力を借りたいと考えております」

「カルナ・リュシーヌ様ですね。リュシーヌは、我が国よりも三年早く国力を回復させています。確かに、有事の際に力を借りることができるというのは、心強いですね」

「はい! 私は何も出来ませんが、兄に頼ることはできます。ジーク様の身に危険があるとしたら、少しでも役に立ちたいのです」

「ありがとうございます。ティア様、そうならないことを祈っていてください。ですが、……そうですね、何かあれば、あなたに隠したりせずにお伝えすることを約束します」

 アルケイド様とは、後宮の入り口で別れた。
 自分の部屋に戻る間、押さえつけていた感情が溢れ出してしまい、突然降り出した俄雨のようにぼろぼろと涙が溢れた。

「ティア様……!」

 ルルが慌たように、私の手を握る。
 顔を覗き込まれた私は、片手でごしごしと目尻を擦った。

「どうしました? 具合が悪いのですか? アルケイド様が怖かったのですか?」

「違うの、ルル、違うの……、ジーク様に会えないことが、寂しくて、何かあったらと思うと、不安で……」

「ティア様……」

「ごめんなさい……、泣いても、仕方ないのに。ごめんなさい」

「良いのですよ、ティア様。悲しい時は、泣いても良いのです。無理をして笑う必要はありません。それに、見ているのはルルだけなのですから、遠慮することはありません」

 ルルが私を引き寄せて、優しく抱きしめてくれる。

 お母様には抱きしめて頂いたことなんて一度もなかった。
 けれどお母様の代わりに私には乳母がいてくれた。

 優しかったのにーー今はもう、どんな顔をしていたのか、どんな声だったのか、記憶は朧げだ。

「ふ……っ、ぅう……っ」

「ティア様、大丈夫です。ティア様に会えないことに耐えられなくなって、陛下はすぐに戻ってきますよ」

「ルル……、ありがとう」

 ルルは私の髪を撫でてくれる。
 体の柔らかさや、暖かさ、優しい香りに、今はもういない乳母をどうしても思い出してしまった。

 大切なものが失われてしまうのは嫌だ。

 それなら私一人が不幸である方がずっと良い。私はどんな目にあっても良いから、ジークハルト様はご無事であって欲しいと、心の中で懇願するように祈った。


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