上 下
37 / 86
属国の姫は皇帝に虐められたい

憧れの王子様

しおりを挟む


 ーー大丈夫ですよ、ティア様。いつか、王子様が助けにきてくれます。

 乳母は私の髪を撫でながら、よくそう言っていた。
 子供に聞かせる寝物語である。

 私は城の片隅で、乳母の膝の上に座りながら微睡むのが好きだった。

 私の記憶は大抵朧げで曖昧で、思い出そうとするとごちゃついてしまい混乱する。物覚えが良くないのだ。

 お兄様に言ったら「思い出せないことは、思い出さなくても良いことだよ、ティア」と優しく諭してくださった。

 幼かった頃の思い出というものに、私は乏しい。

 気づいたら乳母が消えてしまったことを覚えている。お母様にみつかってしまったのだ。お母様にみつかってしまうと、次の日には人が消えてしまう。

 優しかった乳母も、私に花をくれた庭師も、ご飯をこっそり分けてくれた料理人も、みんな。
 
 そうして、私の側には誰もいなくなった。

 乳母がいなくなったすぐ後に、滅多に顔を見せてくれないお兄様がやってきて、オルゴールをくれたことを覚えている。

 オルゴールはいなくなった乳母のかわりだった。
 城の中で聞くとお母様にみつかってしまうから、森の中に持って行ってこっそり聞いていた。

 やがて、戦争がはじまったらしい。
 城の中は相変わらずだった。たくさんの宝石やお酒や食べ物が毎日のように城には運び込まれて、お父様やお母様、大人達は昼間からお酒を飲んで大騒ぎしていた。

 その時の私は襤褸布のような服を着ていて、埃っぽくて薄汚れていたのに、どういうわけかリュシーヌ王家の血筋だと分かったらしい。

 気づいたら革命軍に攫われて、広くて快適な牢獄のベッドで眠っていた。

 そうしてーーそう。

 ちゃんと、思い出せる。ずっと忘れていたけれど、今なら思い出せる。

 革命軍に捕まって、快適だけれど窮屈な生活を送っていたある日の夜、私は王子様に助けてもらった。

 目覚めた私が見たのは、ジークハルト様の赤い瞳と、口元に浮かんだ柔らかな笑みだった。
 それから、頬に飛んだ返り血と、触れてはいけないと拒絶するようなどこか苦しげで怜悧な美貌。

 私の朧げな記憶に王子様の姿はこびりついていて、ずっと、ずっとその面影を追い求めていた。

「ティア、……あぁ、ティア。私の、燈。私の全て。あなたがいたから、……私は、今もこうして呼吸ができる。ティア、あなたがいなければ、私はずっと、水底で溺れ続けていた。溺れていることにも気づかないまま」

 ボートを岸に戻したジークハルト様は、桟橋へと私の手を引いて降ろしてくださった。
 そのまま強く抱きしめられる。
 掠れた低い声が、鼓膜を揺らす。

 私もジークハルト様の背中に手を回して、その服を指先で握りしめる。
 服の下に、硬い背中の感触がある。背骨や、筋肉の隆起の形は私のそれとはまるで違う。

 いつもの私なら笑いながら「大袈裟ですわ」と言っていただろうけれど、今はジークハルト様の体を切り裂かれるほどに切なく強い思いが愛しい。

「ジーク様……私も、私も、ずっと……、ジーク様を探していたような気がします。忘れていて、ごめんなさい。大切な思い出だったのに。でも、どうして帰ってしまいましたの? お話も、ご挨拶も、できませんでしたわ」

「リュシーヌの戦の混乱に乗じて、私は己の姿を隠す必要があった。……カルナには、帝国の王になり、必ずティアを私の妻にすると伝えていた。けれど、私の志が道半ばで途絶えてしまう可能性も十二分にある。だからあなたには何も話さず、私のことは忘れたままでいて欲しい。そう、願っていた」

「……それでは、ジーク様がもし帝国で倒れてしまっていたら、私はジーク様のことを知らないまま、生きていたということですの?」

「あぁ。あなたへの想いは、私の妄執。身勝手な執着だ。父や兄の命は、刺し違えてでも奪うと決めていた。こうして生き残り皇帝の座を手に入れ、あなたを抱けるだなんて……、まるで、奇跡だ」

「ひどいです」

 じわじわと、目尻に涙が溜まる。
 後から後から溢れるそれは、頬を伝ってぽろぽろとこぼれ落ちた。
 ジークハルト様は私からそっと体を離し、涙を拭ってくれる。

 私はジークハルト様の顔を、なるだけ怖そうに見える顔で睨んだ。
 ひとを睨むことなんてしたことがないから、上手くできているかどうかわからない。

 怒っていることを伝えたいのだけれど、そもそも怒った経験に乏しいのでよくわからなかった。

「私、ずっと、ジーク様の面影を追い求めておりましたわ。きちんと覚えていなかったから、お兄様と混同してしまっておりましたけれど……、今ならわかります。ジーク様は力強くて、雄々しくて、男らしくて。……だから私は、そういった男性ばかりが出てくる恋愛小説を読むようになってしまいましたの」

「すまない、ティア。泣いているあなたは美しいが、……恋愛小説の話が出てくるとは思わなかった」

 ジークハルト様は私の頬や髪を撫でながら、困ったように言った。

 私はジークハルト様の赤い瞳を見つめて、なるだけ分かって貰えるように事情を説明することにした。

「私、文字があまり読めませんでしたわ。十歳ごろまでは乳母がいましたから、少しばかりはわかりましたけれど……、だから、勉強のためにと侍女が色々な本を買ってきてくれましたの」

「色々な本というのが、恋愛小説だったのか」

「どんな本が良いかと聞かれたから、王子様が出てくる本が良いと頼みましたの。でも、本の中の王子様というのは私の理想とは違いましたわ。なんというか、女性的で、優しいばかりで、……そうではなくて、もっと雄々しくて強引な方が良いとお願いしましたの。それで、……侍女達はなるだけ私の望みを叶えようとしてくれて、……いつしかそれが、強引な男性ばかりが出てくる艶本へと変わっていきましたわ」

「……すまない、ティア。途中からよくわからなかった」

「良いですか、ジーク様。ごく普通の恋愛小説には、ジーク様のような雄々しくて乱暴で強引な男性は出てきませんのよ。でも、私、お兄様とジーク様を混同していましたから、兄妹の話ばかり読んでいましたけれど……、ともかく、私の理想とする男性というのは、私の趣味の艶本の中にありましたの」

「そうか……、いや、……私は、それほど強引で乱暴だっただろうか」

「はい! それはそれは素敵でしたわ。そのせいで私、私も艶本の中の女性達のように、ひどいことをされたいと強く願うようになってしまいましたの。全てはジーク様のせいですわ」

 ジークハルト様が全て悪いわけではないのだけれど、多少の責任はある気がする。
 よくよく考えると、幼い頃の私は純粋だった。

 当たり前だけれど、純粋だった。

 いじめられたいと積極的に願ったこともないし、王子様的な方に縛られたり嬲られたり飼育されたりしたいなどと考えたことはなかった。

 当たり前だけれど。

 その願望が欲求不満とついでに思い出すことのできないジークハルト様への憧れと思い出せない焦燥と重なり、更に深い深い嗜虐されたい欲求の沼へと落ちていってしまった気がするのだ。

「それなのにジーク様は、……お兄様もですけれど、私に何も伝えずに、こそこそして、ひどいです。ジーク様を思い出せなかったとしたら、きっと私はずっと満たされないままでしたのよ。ジーク様は、私の性癖の責任をとってくださいまし」

「……あぁ。……すまなかったな、ティア。どうか泣かないでくれ。責任は、……喜んでとらせてもらう。寧ろ、褒美のような気さえしている」

「ジーク様……、もう、私を残してどこかに行かないでくださいましね」

「ようやく、この手にあなたを抱くことができた。どこにも行ったりしない」

「大好きです。私の、王子様」

 私は怒るのをやめて、微笑んだ。
 甘えるようにその首に両手を巻きつけて、頬を擦り寄せる。

 ジークハルト様は私の体をしっかり抱き止めて、髪に顔を埋めた。

「ティア……、愛している。あなたを、抱きたい。……あなたの理想とは違うかもしれないが、私の思うように、して良いだろうか」

「なんでもしていくださいまし……、ジーク様にしていただけることなら、私、なんでも嬉しいです……」

 艶やかな声で囁かれて、心臓が跳ねる。
 触れ合う皮膚が熱を帯びる。
 風で揺れる湖面が橙色の灯に照らされている。夜更けが近いのだろう。月が真上にのぼっている。

 ジークハルト様の声や言葉だけで、私の体は期待に震えはじめていた。
 
 
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

最愛の番~300年後の未来は一妻多夫の逆ハーレム!!? イケメン旦那様たちに溺愛されまくる~

ちえり
恋愛
幼い頃から可愛い幼馴染と比較されてきて、自分に自信がない高坂 栞(コウサカシオリ)17歳。 ある日、学校帰りに事故に巻き込まれ目が覚めると300年後の時が経ち、女性だけ死に至る病の流行や、年々女子の出生率の低下で女は2割ほどしか存在しない世界になっていた。 一妻多夫が認められ、女性はフェロモンだして男性を虜にするのだが、栞のフェロモンは世の男性を虜にできるほどの力を持つ『α+』(アルファプラス)に認定されてイケメン達が栞に番を結んでもらおうと近寄ってくる。 目が覚めたばかりなのに、旦那候補が5人もいて初めて会うのに溺愛されまくる。さらに、自分と番になりたい男性がまだまだいっぱいいるの!!? 「恋愛経験0の私にはイケメンに愛されるなんてハードすぎるよ~」

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

処理中です...