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属国の姫は皇帝に虐められたい
眠り姫と皇子様 4
しおりを挟む包囲を振り切り、西の別邸まで数刻。
青かった空には夕闇が差し迫り、あたりの景色も平野から森へと変わっていった。
まだ明るいうちに森を抜けられて良かった。
先が見えないほどの暗闇の中、森に入るのは危険である。土地勘があるものでさえ迷う可能性がある。
蜜蠟の蝋燭が中に入ったランプがあると兵士たちが言ったが、屋敷に侵入してティアを助けるのならばなるだけ目立たない方が良い。
西の別邸は森を抜けた先にあるというので、馬から降りて森の木々の中に紛れさせて繋ぎ、見張りの兵を数人残した。
ティアを救出した後に逃げる足がなければ、そこで終わりだ。
屋敷に連れていくのは自分を含めて数人で良い。
ジークハルトの判断にすぐに兵士たちは従った。どうやら先程の騎馬での戦いと指揮を見て、彼らも此方を信頼してくれているらしい。
多くを話したわけではないが、それが彼らの態度から伝わってくる。
城が革命軍により攻められる間際にありながら、カルナは自分に精錬された兵を与えてくれた。
必ずティアを助けなければ。
それが自分に与えられた運命のようにジークハルトには感じられた。
母が自分の命を生かしたのは、そしてここまでどんな目にあっても生きようと思ってきたのは、このためだったのかもしれない。
そんな使命感に突き動かされるようにして、ジークハルトは宵闇に紛れながら静かに館へと向かった。
ドミニク公爵家の別邸は、森の中の唐突に開けた場所にあるさほど大きくない屋敷だった。
入り口に松明の明かりが煌々とともされている。
扉の前に兵士が二人。裏口にも兵士が二人。
それだけで判断するのは困難ではあるが、厳重な警備のようには見えなかった。
裏口と正面、二手に分かれる算段をした。
年嵩の、顔に深い皺の刻まれた兵士長と思われる者に正面突破をするように頼み、裏口にまわったジークハルトは、共に二人の兵士を連れていくことにした。
正面は囮である。単純な計略だが、単純であるほど案外ひとというのは陽動されやすいものだ。
ジークハルトは後宮で嫌と言うほど、ひとを見てきた。
全ては己が生き延びるためだった。相手を知ればより優位に立ち回ることができる。そう思っていた。
だからーー多少は、ひとがどのように動くかについては詳しいつもりだ。
後宮からまともに外に出たのもこれが初めてである。どの程度通用するのかは分からないが、何も考えずに正面突破するよりはまだ良い筈だ。
木の影に隠れて時を待つ。
屋敷の正面が騒がしくなったところで、異変に気付いた兵士たちの背後を素早くとって、その首を絞めた。
殺すためではない。静かにさせるためだ。叫び声などあげられたら厄介なので、背後から剣の鞘に巻いてあった紐で首を締め上げて黙らせる。
見張りの兵士たちが意識を失い人形のように地面へと転がる。
裏口の鍵を力任せに扉を蹴って壊した時には、正面玄関は大きな騒ぎになっており、怒声と剣戟、何かが破壊される音が辺りに響き渡っていた。おそらく裏口での破壊音は騒音に紛れて目立たなかった筈。
ジークハルトたちは屋敷の中へ侵入し、ティアの居場所を探した。
革命軍は、ティアを保護しているつもりだというのは本当のようだった。
屋敷の一階にある広い客間のような部屋に、ティアはいた。
広いと言っても、ジークハルトの自室程度の大きさである。
部屋の前に立っていた見張りの兵士達を斬り伏せて、再び扉を蹴破る。
質の良いベッドの上で、まだどことなく幼さを残す年齢ながらも、見たこともないほどに美しい少女がすやすやと安らかな寝息を立てていた。
「ティア……!」
一瞬、息をしていないのかと思った。
襲撃を受けた革命軍が血迷って、ティアの命を奪ってしまったのかと。
ジークハルトが慌てて駆け寄ると、ただ眠っているだけだったので安堵の溜息をついた。
この状況で眠っていられるなど、剛気なことだと思う。
連れ攫われて、状況に怯えて震えながら、泣いているものかと思っていた。
けれど眠っていてくれるなら好都合だ。恐ろしさに泣き叫び、混乱して手がつけられなくなってしまったら、連れて逃げるために余計な時間を割かなければいけなくなる。
ティアを抱き上げようとすると、不意にばたりと共に連れていた兵士が倒れた。
部屋の外で待機を命じていた兵である。
ジークハルトはティアに伸ばしていた手を素早く戻し、立ち上がりざまに剣のつかに手をかけて刀身を引き抜いた。
連れていたもう一人が二、三度襲撃者に剣を弾かれた後、鎧の繋ぎ目に剣を突き立てられる。
僅かなうめき声と共に床に膝をついた兵士の背中を踏みつけて、男が兵士の首に剣を突き刺した。
守る間も、割って入る間もなかった。
こときれた亡骸を男は邪魔だというように蹴って転がし、扉の前からどかした。
「……どこの誰かな。知らない顔だけれど」
カルナと同じ程度の年齢に見える若い男だった。
長い銀の髪を一つに縛り、甘い顔立ちをしている。
ジークハルトは眉間に皺を寄せた。カルナから借りた兵士の名前も顔も判別ができるほどに親しい訳ではなかったが、痛みに呻く騎士の体を踏みつけ、亡骸を冒瀆するなどはーー許されるべきではない。
深い怒りが湧き上がるのを感じる。
己の中に騎士道などといったものがあるのを意識したことは、一度もなかった。
正義について考えたこともない。
けれど、嵐のように沸き起こったこの感情は、正しさとしかいえないものだ。
敵兵を斬りつけたときにさえ感じなかった情動に、戸惑う。
あまりにも――不愉快だった。
「倒れた者を足蹴にする必要がどこにある? 外道が」
ジークハルトの言葉に、男は嘲るような笑みを浮かべた。
「王家の軍勢に外道と呼ばれるとは。リュシーヌ王家が今までどれほどのことを行なってきたのか、知らないわけではないだろうに。お前は姫を奪いにきたんだね。その方は、俺のものにすると決めている」
「お前も姫君をものだというのか」
だとしたらこの男も、ジークハルトの二人の兄と同じだ。
「我が父が王家を打ち倒したら、王となるのは我が父フリッツ。俺は、王子になるのかな。だから、ティアは俺がもらうと決めた。可哀想な姫を、幸せにしてあげないといけないからね」
「姫君は、私が連れて行く。約束は果たす」
ジークハルトは剣を構える。
部屋の中での戦闘は、ティアに危害を与える心配がある。
部屋から出るべきだと思い一歩踏み込む。
けれど先に中に走り込んできた男が振り下ろした剣を、ジークハルトは受けた。
「俺は、ゲイル・ドミニク。お前は?」
振り下ろした剣にじりじりと力を込めながら、男は言った。
「ジークハルト」
短く名乗り、剣を弾き飛ばす。
ゲイルという名の男は素早いが、剣撃は軽い。
殺された二人の兵士の方が力量は確かなように思える。
だとしたら、ゲイルの立場に怯み、剣が鈍ったのだろうか。
剣を弾き飛ばされた衝撃でよろめくゲイルを、ジークハルトの持つ刃の切先がとらえる。
その喉を抉るようにして突き出した切先は、けれど皮膚を浅く裂いただけでぴたりととまった。
ゲイルは、床に腰が抜けたように座り込む。
ジークハルトを見上げる青い瞳に、僅かな恐怖が浮かんでいる。
「お前も、……革命軍に降らないか? その強さを見込み、我が軍はお前を歓迎しよう。正義はこちらにある。わかっているだろう?」
「勝った者が正義だ。そして、死者を踏みつけるような者に、正義はない」
ジークハルトは、先程の兵士への冒瀆をやり返すように、ゲイルの腹を蹴り上げて壁に叩きつけた。
軽々と宙に浮いて、家具を薙ぎ倒しながら壁に飛んだゲイルは、ずるりと床に沈み動かなくなった。
ジークハルトは剣をしまうと、今度こそティアを抱き上げる。
ティアの体は羽のように軽く、痩せすぎているように思われた。
髪もぱさつき、手入れはあまりされていないような印象だ。
それでも美しいことには変わりない。
まるで、血生臭い戦場に舞い降りた、女神のように見えた。
この騒ぎの中、ティアは未だに眠っている。
それがなんだか面白くて、ジークハルトはふと笑みをこぼした。
そして、笑っている自分に驚いた。
笑ったのは、はじめてかもしれない。
体が揺れたせいだろうか、ティアが薄く目を開く。
まだ半分微睡の中にいるような瞳が、ジークハルトを見上げる。
心臓が大きく脈打った。
「……王子様が、いつか助けにきてくれる。本当に、きてくれた」
そう言って、ティアはふわりと微笑んだ。
その笑顔に、胸が満たされあたたかさを感じる。
けれど何故だか、泣き出しそうになってしまった。
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