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属国の姫は皇帝に虐められたい

眠り姫と皇子様 2

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 ジークハルトはグスタフから与えられた銀に黒い茨の模様のある鎧に身を包んだ騎士団を連れ、乗り慣れない軍馬に跨りリュシーヌ王国に向かった。

 帝国とリュシーヌ王国までの道は平野が続いているためか案外近い。

 平野を駆けさせている間に、軍馬の扱いには慣れた。まるで血に刻まれているように、ジークハルトにとっては馬に乗ると言うことがごく自然に感じられた。

 もう一人の自分のような気がした。
 借り物の馬だが、賢い黒毛馬である。
 
 『黒曜』というのだと、馬番の男が言っていた。
 気難しい馬だからジークハルトには乗りこなせないかもしれないと、薄ら笑いを浮かべる男の口調には嘲りが含まれていたが、取り合わなかった。

 些少のことでは腹など立たない。後宮で生き延びるために腹芸も演技もすっかり板についていた。

 そのせいで、ジークハルトには本来の自分というのがどんな人間なのか良く分からなかった。

 けれどそれで悩んだことなどはない。どうでも良いと思っていた。興味がなかったのだ。今の自分にも、未来の自分にも――国のことも、他者のことも。

 全てどうでも良かった。

 馬の扱いに不慣れなせいで帝都を出立した頃こそ隊列から置いていかれるようだったが、黒曜との呼吸が合うようになると、戦になど出たこともなく怠惰な日々を送っている騎士団の者たちよりも早く駆けることができた。

 どこまでも草原が広がる平野には果てがないように思えた。

 晴れ渡った空には真っ白い雲が浮かんでいる。陽光が差し込み、遠くに横たわるようにして山々が見える。
 蹄鉄が土を踏む音と、風を切る音が世界のすべてになった。

 むき出しの頬に風が当たる。黒い髪が靡く。

 ふと――世界は美しいのかもしれないと思う。

 その美しい世界で繁殖を繰り返し無益に数を増やして地表を這いずっている自分たちは、蟻のようだ。

 蟻なら――まだ良い。

 蟻には蟻の役割がある。

 けれど、ひとは――どうなのだろう。
 
 憎しみあい、苦しみあい、強者が弱者をいたぶっている。

 生は、無益だ。

 与えられた騎士団はたったの二十騎。それも――素行が悪く役に立たないと評判の連中で、誰もかれもジークハルトのことを侮るような態度をとっていた。
 これはおそらく、蜥蜴のしっぽ切りなのだろう。

 グスタフはリュシーヌの救援にかこつけて、いらないものを捨てようとしているのだ。

 ジークハルトが功績をあげられたら、それはそれで良い。
 けれど戦場で死んでも、逃げ戻ったところを処断したとしても、構わないと思っているのだろう。

 まだ――死ねない。

 そう思う。自分の命を賭して命を繋いでくれた母の、つるされて揺れる白い足が、ジークハルトの記憶にはずっとこびりついていた。

 リュシーヌの王都に辿り着いたときには、すでに街は戦火の渦に巻き込まれていた。

 反乱軍が掲げているのは、リュシーヌ王家の刻印である白い十字を反転させたのだろう、黒い旗に赤い十字が刻まれた毒々しいものだった。

 王都のそこここで、白い煙が上がっている。逃げ惑う民たちを、黒に赤い十字のマントを纏った兵たちが逃がしていた。

 民を襲っているのは、死の恐怖に気が触れたのか、それとも元々の性質なのかは分からないが、王家の軍と思われる青地に白十字の刻まれた鎧をまとった兵士たちだった。

「……正義は、反乱軍にあるのか」

 分かり切ったことだ。
 革命を起こすための戦争が起こるのは、王が暗愚だからだろう。

 リュシーヌの内情に詳しいわけではないが、今のリュシーヌは、近い将来ブラッドレイ帝国の辿る道のように思えた。

「帝国軍か!」

 目立つ鎧を着ているせいで、すぐさま素性が知れた。
 怒気を含んだ兵の言葉と共に、街に高々とくみ上げられた櫓の上から石弓の矢が雨のように降り注ぐ。

 ジークハルトはすぐさま黒曜の背から降りて、逃げるようにとその腹を剣のつかで強く押した。

 馬の体は人よりも大きい。矢の雨を避けることは困難だろう。
 黒曜は聡明な馬だった。ジークハルトの命令を理解したように、櫓の並ぶ街から街の出口に向かって駆けていく。

 ジークハルトは転がるようにして、建物の陰に身をひそめる。
 まともに矢を受けた騎士団たちが、ばたばた落馬をしていく。

「皆、下がれ、一度引く」

 戦など――当然だが、経験がない。
 歓迎されるわけがないことはわかりきっていた。けれど、王都の中心にここまで兵が入り込んでいるとは思わなかった。

 厳しい声で命令をしたが、ジークハルトの言葉を聞くものは誰もいなかった。
 落馬した者たちは武器を手にして、それがリュシーヌのどちらの兵かなど構わずに、目に入った者を剣で切りつけ始める。

 部下を見捨てるということになるのだろうか。僅かに躊躇ったが、けれど、こんな場所で命を散らすなど馬鹿らしい。せめて、城に入り救援に来たと伝え、状況を把握したい。

 リュシーヌの城にまともな人間が居ればの話だが。

 ジークハルトは戦場に背を向けて、建物の間を縫うようにして聳え立つ城に向かう。

 途中襲い掛かろうとしてきた兵たちは、皆切り伏せた。
 生きている人間に剣をふるったのも初めてだった。

 剣術の練習は、皆が寝静まった夜中や明け方に行っていた。体を動かさないと頭がおかしくなりそうだったからだ。
 けれど、一人で振るう剣と、ひとを殺す剣は違う。

 手が震えるのかと思った。恐ろしさに、動けなくなるのかと、思っていた。
 
 そういう心根の優しく繊細な部分が、自分にはあるのではないかと期待していた。

 しかし実際は、どうとも思わなかった。

 あぁ、私も――壊れているのか。

 ジークハルトは凪いだ湖面のように冷静な頭で状況を判断しながら、少しだけそれを残念に思った。

 反乱軍は城の前まではまだ辿り着いていないようだった。

 市街地を抜けると、状況は少し落ち着いた。

 城の前には馬止めの柵が幾重にもはられ、兵士たちが並んでいる。

 ひとりきりでふらりと現れたジークハルトは当然ながら警戒された。槍を向けられたので、グスタフから預けられていた親書を見せた。茨の刻印が施された親書を見て、兵士たちは慌てたようにジークハルトを城内へと案内した。

 リュシーヌの城は、贅を尽くした作りになっていた。

 宝石や調度品が所狭しと並び、絵画や珍しい剝製なども不必要なほど多量に飾られている。

 目に痛いぐらいだ。高級品もこれだけ並ぶと下品に見える。
 そう思いながら、城の奥に続く赤い絨毯が敷いてある回廊を歩く。

「――ブラッドレイ帝国の皇子が来たと聞いた」

 回廊の向こう側から、銀の髪に白い肌をした美しい男がこちらに向かって歩いてくる。

 抜き身で持った男の剣には血が滴っていた。
 男はジークハルトの前で立ち止まると、不躾な質問をした。抑揚の無い声音だ。

 薄水色の瞳には、静かな殺意が滲んでいる。

「私は、ジークハルト・ブラッドレイ。グスタフの三人目の子供だ。皇帝の命令により、リュシーヌ王家に助力をしに来た。……あなたは」

「カルナ・リュシーヌ。今しがた、父と母を殺し、邪魔な親類を殺してきた。故に、王位は私が継いだ。軍の全権は私にある。――帝国が私の邪魔をするというのなら、今ここでお前を斬る」

 カルナは静かな声音で言った。
 剣の切っ先が無造作にジークハルトへと向けられる。

 ジークハルトは敵意がないことを示すため、軽く両手を挙げた。

 カルナ・リュシーヌは、ジークハルトよりも少し年上に見える程度の若い男だった。
 両親を殺したというのだから、きっとリュシーヌの王子なのだろう。
 リュシーヌ王家の事情に口をはさむつもりはない。ジークハルトが受けている命令は、革命軍からリュシーヌ王家を守ることである。

 だとしたら、ジークハルトにはカルナを守る義務がある。それ以外は、些細なことだ。

「私は――リュシーヌが国賊の手に落ちないための、助力に来た。あなたと敵対をするつもりはない。助力と言っても――愚鈍な兵たちは途中戦闘に巻き込まれ、もう残っていない。私一人だけでどの程度の力になれるのかはわからないのだが」

「長年我が国を奴隷のように扱ってきた帝国が、今度は助力か。奴隷を失うことがそれほどまでに惜しいのか」

「そう思われても仕方ない。私に言えることは何もない。……何か、手伝えることは?」

「……君は、……まともに話ができるようだね、ジークハルト。すまない。少々気が立っていた。……私は、信頼できる人間が欲しい。……この城にいるのは、畜生にも劣る、塵ばかりだ」

 カルナは剣を下げた。
 それから、先程よりも和らいだ口調で、苦し気に言った。

「……妹が、革命軍の手に落ちた。……妹は、私にとっては唯一大切な、家族なんだ。助けに行きたい。……だが、城を捨てるわけにはいかない。私にはやるべきことがある。だからジークハルト、君に、妹の、ティアの救出を頼みたい」

 ティア・リュシーヌ。
 兄たちが弄ぶ算段を楽し気に話していた姫君の名前を耳にして、ジークハルトの心臓は大きく跳ねた。

 美しいと評判の姫君は、救出しても――あの兄たちに、玩具にされる運命にある。

 唯一の大切な家族という言葉に、心が痛んだ。


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