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属国の姫は皇帝に虐められたい
眠り姫と皇子様 1
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皇帝の座は、正妃マルガレーテの息子ヴェインが継ぐものと言われていた。
ジークハルトは十七歳。
見た目だけは美しいけれど中身は山犬と相違ないグスタフの血をひくだけあって、同じように残虐性の強いヴェインや、若く美しい女に目がなく淫蕩の限りを尽くすクレストの影に隠れるようにして密やかに生きていた。
教育は家庭教師によって行われており、出来の悪い兄二人に比べてしまえばジークハルトは頭ひとつ抜きん出て賢かった。
けれどその賢さを知られてしまえば、嫉妬と妬みから己の身が危険に晒されることを理解していたので、わざと計算や読み書きを間違えてみたり、家庭教師の質問にもわからないと首を振ったりしていた。
クレストはどうだか知らないが、ヴェインは傲慢で自尊心が強い。
弟のジークハルトの方が優秀だと知れば、どんな暴力が降りかかるかわからない。
嘘をつくのも目立たないように生きるのも、処世術のうちである。
死にたいと思ったことは一度もなかった。母や料理人の女たちが己の身を危険に晒してーー挙句、罪に問われ処刑されてまで繋いでくれた命だ。無益に散らすような愚かなことはしたくない。
とはいえ、いつまでこの生活が続くのか。
後宮の図書室の片隅で日々を浪費し、ジークハルトに救いを求めるようにして体を求めにくる女の相手を時折した。愛情などない。「グスタフに今までのことを全て言いつける」と脅されるので馬鹿馬鹿しいと思いながらも行為を行い、全ての憎しみをぶつけるように只管に傷つけいたぶり、嘲った。
子供ができることを考えると吐き気がする。絶対にそれだけは避けたかったので、避妊薬は飲み続けていた。
こういったことは、クレストが詳しい。どこから知識を得るのかは知らないが、醜悪な道具も薬も多く所持していた。
クレストはジークハルトを「欲求不満な女の相手ばかりさせられて哀れだね」と言って、薬を分けてくれていた。
ヴェインはまともな会話もできないような男だったが、クレストは色欲さえ満たされていれば無害な男だと、ジークハルトは思っていた。
リュシーヌ王国で革命の狼煙があがったのは、そんな生活を続けていたある日のことである。
ジークハルトは父である皇帝グスタフに呼び出され、クレスト、ヴェインと共に玉座の前に並んで膝をついていた。
「リュシーヌで、貴族が内乱を起こしたようだ。革命の旗を掲げて王を引き摺り下ろし、果てはこのブラッドレイ帝国に反旗を翻すつもりらしい」
グスタフは既に四十の坂を越えようとしている年齢である。
老けてきてはいるものの、黒髪は艶やかで、その声にも肌にもはりがある。
ヴェインやクレスト、そしてジークハルトには、グスタフの面影が色こく現れている。
滅多に顔を合わせたりはしないが、こうして並ぶと血を分けた兄弟であることをありありと感じられて、気持ちが沈んだ。
自分の立場が嫌だからとどこか遠くに逃げることは可能かもしれない。
けれど、流れる血からは逃げられない。
彼らの顔を見ているとそんな風に思わずにはいられない。
だとしたら自分も、彼らがそうであるように、どこか人として壊れているのだろうか。
そんなことを考えながら、ジークハルトはグスタフの言葉を聞いていた。
「リュシーヌのような小国を恐れる必要はないが、そうなった場合少々面倒でもある。リュシーヌの騒乱を棄ておけば、他の属国が帝国を侮り増長する可能性もある。そのため、帝国からも援軍を出そうと考えている」
「それならば、俺がいきましょう、父上。帝国の恐ろしさを思い知らせてやります。それに、リュシーヌ王国の女は美しいと評判だ。確か一人、姫も居たはず。戦利品として奪ってきても?」
ヴェインが残酷な笑みを浮かべて言った。
戦争になれば多くの人を殺すことができる。それが嬉しくて仕方ないという顔だった。
ヴェインに任せればきっと、ーー無関係なものたちまで、恐ろしい目に合うだろう。
リュシーヌの民を、ヴェインは帝国の奴隷だと思っている。
気まぐれに民を殺し、女を嬲り、その大地を不必要に血に染めるはずだ。
「僕は……、父の望みなら。姫の名前は確か、ティア・リュシーヌと言ったはず。あまりの美しさに、城の奥に隠されてその姿を見ることはできないという噂を耳にしました。僕も興味がありますね。どのみちリュシーヌの民なのですから、妾程度にしかならないでしょうけれど」
ヴェインに続けてクレストも言った。
あまり気が乗らないような口ぶりだったが、リュシーヌの姫の話になると随分と熱心だった。
リュシーヌの姫がどのようなひとなのかはわからないが、ヴェインに奪われるよりは、クレストの妾になった方がまだ良いだろう。
とはいえ、どのみち幸せになれるとは思えないが。
ジークハルトは黙っていた。
口は災いのもとだ。彼らの前においては、黙っているのが一番賢いということをよくわかっていた。
「皇帝の座を継ぐのは、ヴェイン。ヴェインの身に何かあった場合は、クレストが継ぐ。ジークハルトは、代替え品に過ぎない。小国の戦争とはいえ、身の危険がないというわけではないだろう。それ故、戦場に赴くのはジークハルトだ。ブラッドレイ帝国の名の下に、騒乱をおさめて来い。できなければ、価値無しと判断し、処罰を行う」
「……仰せのままに」
グスタフに言われて、ジークハルトは深々と頷いた。
「父上! 俺がいきます、ジークハルトは臆病で頭も悪い。飯炊女の血が流れているだけあって、役立たずですよ」
すかさずヴェインが反論した。
余程戦場に行きたかったらしい。
血の気の多いことだと、ジークハルトは内心呆れていた。
「口答えを許した覚えはない。お前も皇帝になるのなら、己が動くことより人を使うことを覚えろ。下がれ」
グスタフに一蹴され、ヴェインは憎しみを宿した瞳でジークハルトを睨みつけた。
お前が全て悪いとでも言いたげな瞳に辟易しながら、ジークハルトは怯えた風を装って、戸惑ったような表情を浮かべた。
玉座の間からでて後宮の自室に戻る回廊で、ジークハルトはヴェインに引き止められた。
「父上から役目をもらえて良かったな、この役立たずめ」
ヴェインに両手で襟首を掴まれて、体を持ち上げるようにされ、壁へと叩きつけられる。
ジークハルトは母親の血筋のおかげだろうか、線の細いヴェインやクレストに比べると体格も良い。
二人の肌は白いが、ジークハルトは浅黒い。
母の出自はまるでわからないが、浅黒い肌は属国であるエルハイム王国の騎馬民族の特徴である。母の体にはその血が混じっていたのかもしれない。
エルハイム騎馬民族は山野を駆け、狩猟をして暮らしているため体格が良い。ジークハルトも、特に鍛えているというわけではないが、立派な体つきをしていた。
自分よりも小柄なヴェインが恐ろしいということはない。単純な力だけなら、ジークハルトの方が強いだろう。
ヴェインを守っているのは、その血筋と立場だ。正妃マルガレーテの顔が、いつでもヴェインの後ろに幽鬼のようにちらついている。
壁に叩きつけられたまま、ジークハルトは黙っていた。余計な抵抗をすると、ヴェインは喜ぶのだ。
暴力を振るう口実ができるのが嬉しいのだろう。
「ヴェイン、あまりジークハルトを責めるのはいけませんよ。父上の決めたことです。それに、戦場は危険だ。ジークハルトは戦場で命を落とすかもしれないし、功績があげられなければ処罰されてしまうかもしれない。それに、次期皇帝になるヴェインが、属国のために働くなどあってはならないことなのですよ」
落ち着いた声音で、クレストが言う。
クレストは争いをあまり好まない。大人しく皆に優しいシオニア妃の血をひいているからなのかもしれない。
ジークハルトも、クレストには幾度かこうして助けられている。
クレストがいなければ、ヴェインはとっくにジークハルトを嬲り殺していたかもしれない。
「ジークハルト。リュシーヌの姫は俺のものだ。連れて帰ってこい」
「あぁ、それでヴェインは怒っていたのですね。どんなに美しい人なのかと、僕も興味がありました。ジークハルト、独り占めはいけませんよ。連れて帰ってきたら、まず、ヴェインの玩具にしましょう。そして、ヴェインが飽きたら僕が貰います。僕が飽きて――まだ、正気を保っていられるようなら、ジークハルトにあげましょう」
「……わかりました」
ジークハルトは頷いた。
属国とはいえ、リュシーヌの姫だ。それを玩具にするなど。
いや、姫であろうが、その立場がなんであろうが――
反吐が出る。
けれど、――自分も同じか。
ジークハルトは女を憎んでいた。年端も行かない年齢で後宮の女たちに弄ばれた時からずっと、女という動物が嫌いで仕方がなかった。
だから、体を求められれば、そのように扱ってきた。
その意味では、自分も彼らの兄弟である。
姫を弄ぶ算段をして喜んでいる彼らと、何一つ変わらない。
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