属国の姫は嫁いだ先の帝国で、若き皇帝に虐められたい ~皇子様の献身と孤独な姫君~

束原ミヤコ

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属国の姫は皇帝に虐められたい

数日間の蜜月

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 黒曜の背に揺られて、城から出る。
 帝都は全体的に色味の少ない灰色の硬質感のある街だ。けれど、往来を歩く人々の顔は活気に満ち溢れていた。

 馬車や馬用の広い道の端歩く人々は、黒曜の背に跨るジークハルト様の姿を見ると立ち止まり頭を下げた。
 中には両手を合わせて崇拝するように深々と礼をする方までいる。
 その顔には恐れはない。とても尊敬されているような印象だった。

 ジークハルト様とお出かけすることが決まった昼過ぎに一度着替えた私は、動きやすいクリーム色のブラウスに腰を紐で締め付ける作りの足元までの赤いスカートを履いている。
 
 中にはふんだんにレースを使ったドロワーズを履いて、スカートをふんわりとさせていた。足元には絹の靴下と、茶色のショートブーツを履いている。
 
 ブラウスの上から腰丈の赤いローブをすっぽりとかぶっていた。

 ジークハルト様は金糸で縫い付けられた茨の紋様があるマントと、黒い軍服を着ている。

 道行く人々に頭を下げられて、私はとっても居心地が悪く恐縮のしきりだったのだけれど、ジークハルト様は慣れているのだろう。
 
 特に表情を変えることなく人込みのある通りでは、ゆっくり丁寧に黒曜を歩かせていく。

 鐙の上は乗り心地が良く、ジークハルト様に背後から支えられて揺られていると、なんだか妙に懐かしい感じがした。

「ジーク様は、帝都の方々に好かれておりますのね」

 私はジークハルト様に体を預けるようにしながら、その顔を見上げて尋ねる。

「あぁ。有難いことに、皇帝の座を継いだことについては歓迎されている。ようやく、帝都にも活気が戻ってきた。かつてはこのように、通りを歩く人は少なかった。人々の服装も、なるだけ目立たぬようにと、色のないものへと変わっていったようだ。今は少しづつだが、華やかになりつつある」

「それは、皇帝が恐ろしかったからですの?」

「皇帝もだが、貴族も兵士も、全てだな」

「外を歩いていたら、心無い者に捕まってしまいますのね。若い女子供は特に危険。分かりますわ、リュシーヌもそうでしたもの。ジーク様のような優しい方が皇位をついで良かった。きっと、良い国になりますわね」

「ありがとう、ティア。あなたは人の幸せを純粋に祈ることができる、心根の清廉な人だ。あなたが私の隣に居てくれるのなら、私は道に惑わずにすむだろう。ティア、私の燈火。どうか、帝国を――私を照らし導いてくれ」

「まぁ。ジーク様は大袈裟ですわ。私、見た目が儚いだけの、役立たずですのよ」

 私はくすくす笑った。
 愛の言葉は嬉しいけれど、私はそのような立派な人間ではない。
 そんなことは自分が一番良く知っている。

 見栄えだけは良いけれど、中身は立派な王族とは程遠い。立派な王族が何なのかさえ、良く分からない。

「あなたがいたから、今の私がある。あなたに会うまでの私は――こうして、国を憂うことも、他者の安寧を願うこともなかった。そういった感情は、長く欠落していた」

「ジーク様……、私、今、ときめきで胸が張り裂けそうですわ」

 私は片手を膨らんだ胸に当てて、ふるりと震えた。

「ごめんなさい。ときめいている場合ではないこと重々分かっておりますの。でも、良いですわよね。過去ですものね。今の優しいジーク様も勿論好きですけれど、過去の他者に冷たいジーク様も素敵です。是非、見下されたかった……っ」

 人通りの多い通りを抜けると、自然の多く残る河辺の道に出る。
 同じ帝都の中でも、随分と景色が違うものだ。左には林があり、右には川幅の広い浅瀬の川が流れている。あまり人の姿はない。

 ジークハルト様は黒曜の綱を軽く引いた。軽い衝撃と共に、速足で黒曜が駆けはじめる。
 私は黒曜の背の上で体を跳ねさせながら、余計なことを言ってしまったことに気づいて慌てていた。

 お兄様にも良く怒られたものである。そういうのは、頭の中で考えるのは自由だけれど、口に出すものではないのだと。

「ジーク様、わたくし、ごめんなさい」

「ティア。黙っていなさい。舌を噛む」

 謝罪する私に、ジークハルト様は厳しい声で短く言った。
 あぁ、どうしよう、好き。
 優しい命令口調にときめきが止まらない。今すぐジークハルト様に抱き着いて、その首に顔をこすり付けたい。駄目だわ。それは烏滸がましいというもの。
 
 その足元に跪きたいぐらいに素敵だわ。私は徐々に勢いを増して駆け始める馬上で、ジークハルト様に抱かれながら、頭をぼんやりさせていた。

 目まぐるしく景色が変わっていく。馬車と、馬は全く違う。風の音が耳に轟々と鳴り、他の音は消えてしまった。体に風がふきつける。それは質量のある塊のようだった。

 髪や服がなびく。不安定に跳ねて落ち着かない私とは違い、ジークハルト様の体はしっかりしている。片手で私の体を抱えるようにしながら、的確に黒曜を御している。

 ――もしかして。
 私は、馬上で感じる懐かしい感覚に、頭の奥にしまいこんでいた三年前の記憶が揺さぶられるのを感じる。

 でも、まさか。
 捕縛された私を、牢から救ってくださったのはジークハルト様なのではないかしら。
 微睡の中で感じたあたたかさに、良く似ている気がした。

 別邸までは、あっという間だった。
 川をのぼるようにして道を進むと、徐々に景色が森のように変わっていく。
 針のような葉を持つ木々の合間を抜けると、開けた場所に出た。

 美しい深い青色の水をたっぷりとたたえた湖には、桟橋がある。ボートが何隻かつながれていて、桟橋のすぐ近くに大きな館があった。

 もちろん城よりは小さいけれど、立派な館だ。白壁に、黒い三角の屋根には、煙突が突き出ている。
 館の前で黒曜は足を止めた。

 ジークハルト様は私を馬上から降ろしてくれる。とん、と足を地につける。体がふわふわと浮いているような感覚があり、足がもつれそうになる。

「ティア、先に中で待っていてくれ」

 ジークハルト様はそう言って、館の扉を開いた。
 古めかしい立派な鍵を使い開かれた扉の奥は、手入れが行き届いた白い空間が広がっていた。

 玄関のアプローチに、豪奢なシャンデリアがつるしてある。
 少しふらついていたせいで歩けないと思われたのか、ジークハルト様は私の体を抱き上げて部屋の奥に運び、黒い皮張りのソファに座らせてくれる。

「黒曜を、厩にいれてくる。館には私以外には誰もいない。だから、気を使わなくて良い」

「誰もいませんの?」

「あぁ。普段は数人で管理をしている場所だが、下がって貰った。誰にも邪魔をされず、あなたと過ごしたいと考えている。――私も、生い立ちが特殊だ。だから、数日間一人でいても生活には困らない。侍女たちほど快適な生活を、あなたに与えられるわけではないが……」

「大丈夫ですわ、ジーク様。そういうことなら、私に任せてくださいまし。食料を集めたりなどは得意分野ですのよ」

 ジークハルト様の役に立てるかもしれない。
 私はソファに座ったまま、両手をぎゅっと握った。食べられる野草の知識は多少ある。湖の傍には結構野草が生えるのである。

「いや、気持ちは嬉しいが、食料や衣服などは既に支度して貰っている。ここに籠るといっても、数日だけだ。あなたに不自由はさせない」

「そうですの……」

 私は握っていた拳を降ろした。
 役に立てると思ったのに。ジークハルト様のために小間使いのように働く私を想像していた私は、少しだけがっかりした。
 なんというのか――長らく、森や川で食べ物を探したり、水浴びをしたりしていたので、血が騒ぐとでも言うのかしら。人気のない森の中に来ると、妙にうずうずしてしまう。

 必要はないのかもしれないけれど、散策ぐらいはさせてもらえるかしら。

 最近は――お兄様に駄目だと言われて、城の部屋からあまり外に出ることもなかったから、窓の外に広がる深い森の景色を見ているだけで、開放的な気分になる。

「すぐに戻る、休んでいてくれ」

 ジークハルト様はそう言って、部屋から出て言った。
 黒曜を厩に入れると言っていた。厩というものを、私は見たことがない。
 私も一緒に行きたいなと思ったのだけれど、短い間馬に乗っていただけだというのに、足が萎えてしまった。

 健康だけが取り柄で、体力は割とある方だと思っていたのだけれど、馬に乗るために使う筋肉というのは普段使っている場所とは違うのかもしれない。

 私はジークハルト様の鍛え抜かれた、やや浅黒い体を思い出した。
 私の体力などジークハルト様に比べたらまだまだ足りない。もっと頑張らないと。

 情事のたびに気絶してしまうようでは、駄目だわ。
 私だけが満足するのではなく、ジークハルト様にもできる限り満足していただきたい。
 思えば――私の我儘をジークハルト様は聞いてくださったけれど、私はジークハルト様のご趣味をしらない。

 なんてこと。聞き出さなければいけないわ。
 ジークハルト様に奉仕させていただくのもまた、妻となった私の大切な役割なのだから。


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