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属国の姫は皇帝に虐められたい

若きジークハルト・ブラッドレイの悩み

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 昨夜の情事がいささか激しすぎたのか、ティアは朝になっても穏やかで愛らしい寝顔で眠り続けていた。
 後ろ髪をひかれる思いで、その白くつるりとしたきめの細やかな肌を持つ儚げな顔に幾度か口づけ、頬を撫でて、ジークハルトは起き上がると、支度をして部屋を出た。
 後宮から出て空中回廊を歩く。良く晴れた空はティアの瞳のような透き通るような薄水色をしている。
 爽やかで心地の良い風が回廊の窓からさわさわと肌に触れる。
 ――昨日のティアは、酷く艶かしかった。
 爽やかな朝にはそぐわない記憶を反芻しながら、回廊を抜けて政務室へと向かう。
 カルナからの手紙には『妹は長きに渡って捨て置かれていた。そのため、己には価値がないと考える傾向にある。自罰的で、罰せられることを好み、他者にそれを求めようとする。全て傷ついているが故だが――ジークハルトのティアが欲しいという気持ちは嬉しいが、ティアを持て余すのではないかと心配だ』と記されていた。
 ティアのことを考えると、切なく狂おしく、愛しさが募る。ティアの心が傷ついているというのなら、その傷を塞ぎ癒し、ティアが幸せだと思えるように傍に居よう。そう思っていた。
 だが――実際のティアは、考えていたよりもずっと健気で明るく心根の優しい、素晴らしい人だった。
 離れていてもせつせつと降り積もる雪のように愛しさが増すばかりだったのに、手に入れた今それは留まることを知らない程に増大するばかりだ。

「……ティア」

 静かな城内を一人歩きながら、小さな声で呟いた。
 自罰的などではなく、過去の出来事もティアの心に傷を残してはいないのだという。
 だとしたら、なんと強いことか。
 ジークハルトにはその強さが眩しい。
 だからこそ、ティアが欲しいと思ったのかもしれない。
 それにしても――虐められたい、とは。
 確かに昨夜のティアの乱れ様は、初夜の比ではなかった。だからつい、気を遣ってしまうほどに責め立てて貪ってしまった。あれで正しかったかどうかは分からない。途中怯えていたし、泣かせてもしまった。
 好きだと何度も言われて呼吸を忘れるほどに幸せだったのだが、それでも欲望は抑え難く、嘲るような言葉を返し更に激しく犯した。
 初心なごく普通の女性に同じようなことをしたら、怯えられて二度と明るい笑顔を向けてはくれなくなってしまうだろう。
 素敵だったと言われて、心底安堵した。
 だから多分、あれで正しかったのだ。おそらくは。
 ――もっと、喜ばせたい。
 ティアがそうして欲しいと言うのなら、それに応えたい。もとより己を捧げることなど当然だと思えるほどに、ジークハルトはティアを愛していた。
 離れていれば忘れるのかもしれないという危惧など、馬鹿馬鹿しいと笑えるぐらいに欲望も感情も増える一方で、はじめて結ばれた夜は夢のように幸せだった。
 けれど昨日は――それよりもっと、幸福だった。
 ティアが喜んでくれるのが嬉しい。快楽に彩られた顔で好きだと言ってくれるのが嬉しい。
 その感情を否定されて悲しそうに泣きじゃくりながら、それでも求めてくれるのが嬉しい。
 政務室の扉まで辿り着き、ジークハルトは深く息をついた。
 どうにも、良くない。ティアの赤く染まった白い頬や、落ちる涙や、口角からつたう唾液や、快楽に染まった顔。切なげで愛らしく甘い声、その体に己を埋めたときの天にも昇るような快楽を思い出すと、呼吸が乱れるようだった。
 心情を隠すのは得意だ。態度にも顔にも出ていないだろうが、すぐさま後宮に戻り微睡んでいるティアを組み敷いて再び犯したいと――酷いことを、考えてしまう。
 軽く頭を振って、部屋に入る。
 政務机には相変わらず書類が山積みになっている。
 さして広くない政務室は雑然としている。侍女たちが掃除はしてくれているが、整理整頓はしないようにと申しつけてある。どこに何を置いたかが分からなくなってしまうのは困る。
 片付けができるほどには、仕事は進んでいない。何せ、皇帝の地位を手に入れたのもつい最近のことなのだ。
 机の上に溜まっているのは、長い年月をかけて積み上げ続けた愚政の名残である。帝国は強大だが、中央はすっかり腐りきっていた。賄賂と汚職が横行し、誰も咎めるものはいなかった。そういう輩に限って、ジークハルトの父である皇帝グスタフや、正妃マルガレーテに阿るのが得意だったのだ。

「……あぁ、すまない」

 侍女が朝食替わりの珈琲を運んできてくれたので、小さく礼を言った。
 城に残っている侍女たちは、有能なものばかりだ。噂話や悪口ばかり得意で仕事をしない者たちは、全て首にした。そういう輩を抱え込んでおけるほど、今の城には余裕がない。
 それにティアに危害を加えるような者の存在を、ジークハルトは看過できなかった。
 女というのは陰湿で恐ろしい。ただでさえ傷ついているティアを、更に傷つけるような真似をされたら――その首を落としてしまうかもしれない。
 そんなことは避けたかった。ティアの前では、心優しく誠実な男でいたいと思っていた。
 そういえばティアはタンポポの根が珈琲になるのだと言っていた。タンポポを手にして微笑む姿はあどけなく純真そのものなのに、情事の最中は愛らしくも淫らで、美しい。
 なんて――愛しいのだろう。
 けれど、どうしたら良いのか。
 そんなことを考えながら、ジークハルトは部屋から持ち出してきた本に熱心に目を通していた。

「……陛下。読書の嗜好を変えたのですか」

 部屋にジェイクが入ってきたことには気づいていたが、特に顔をあげることはしなかった。
 ジェイクは元はジークハルトが選んだ私兵の一人である。ジェイク・ギヴスの父は、今は亡き宰相の部下の一人であった。
 ギブス伯爵は清廉な方で、国費を私財のように扱う宰相に苦言を呈したことで投獄されて、獄中死している。その息子であるジェイクは長らく帝国を恨んでいた。三年前にジークハルトが伯爵家で鬱屈した日々を送っていたジェイクを見出して、声をかけたのである。
 ジークハルトの信頼する部下は何人かいるが、ジェイクもその一人だ。
 だから特に許可もなく政務室に入ってきたとしても、問題はない。そこまでの狭量さはないつもりだ。
 ジークハルトの身分は、皇帝になったというだけで元々別に高いわけではない。
 高貴な血が流れているとしたら、それは山犬のように穢れた皇帝グスタフの血である。
 母はただの庶民だった。その出自さえ、良く知らない。

「……あぁ、これか」

 手に持って読んでいた本の背表紙を、ジェイクは読んだのだろう。
 ジークハルトはぱたんと本を閉じて、政務机の上に置いた。
 それから軽く首を振る。

「――嗜虐されて嬉しいというのは、どういうことなのだろうな」

「……はぁ?」

 ジークハルトの質問に、いつも落ち着いている冷静なジェイクにしては珍しく間抜けな声をあげた。
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