属国の姫は嫁いだ先の帝国で、若き皇帝に虐められたい ~皇子様の献身と孤独な姫君~

束原ミヤコ

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属国の姫は皇帝に虐められたい

円満な夫婦になるためには

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 ジークハルト様は私の頬に口づけて、流れる涙をそっと啜った。
 愛し気に髪を撫でられて、目尻や頬や、唇に、触れるだけの口づけが落ちる。
 その仕草は愛に溢れている。心の中でずっと、愛妾がたくさんいる筈とか、愛を囁くのは褥の中だけの演技だとか思っていたのが申し訳ない。ジークハルト様は、確かにルルの言う通りの方なのだろう。

 辛い過去があるけれど、まっすぐに育った方なのだ。だから、疑うのはいけないことだわ。
 私はジークハルト様に望まれて、ここに来た。
 だとしたら、私のすべてでもってジークハルト様に愛を捧げて、悲しい過去を笑い飛ばせるぐらいに幸せにしてさしあげたい。

 でも、けれど、でも。
 それにはほんの少しだけ、多少の――弊害があるのよね。
 私はジークハルト様を愛したい。その優しさや誠実さに、すでに私の心は傾き始めている。
 だからこそ、きちんと言わなければいけないわ。
 私の――性癖を!

「ジーク様!」

 軽く触れていた唇が離れたのを見計らって、私はジークハルト様の名前をはっきりと呼んだ。
 いつまでも泣いていては話し合いができないので、ごしごしと腕で目を擦る。
 不幸な話は得意じゃないけれど、過去は過去、今は今。
 大切なのは、今だ。

「ティア、……どうした?」

 思いのほか大きくなってしまった声に、ジークハルト様は驚いたように目を見開く。
 私はジークハルト様の大きな手を、両手でぎゅっと握りしめた。

「謝らなくてはいけないことがありますの」

「何を? 私には、思い当たらないのだが……」

「私、ジーク様のことを勘違いしておりましたわ。ジーク様というよりも、皇帝というものを勘違いしておりましたの。私にとって皇帝というのは、ジーク様の亡きお父様のように、残酷で横暴なものでした。そう、勝手に思い込んでいましたのよ」

「そう思うのも無理はない。帝国からの申し出を、リュシーヌ王国は断れないだろう。私は、ティアを強引に娶ったようなものだ。さぞ、怖かっただろうと思う」

「いえ、そういうことではなくて!」

 少しだけ苦しそうにジークハルト様が言うので、私は大声で否定した。
 違うのよ。ジークハルト様がつらい思いをする必要は何一つない。これは、只管私だけの問題なのだから。

 本当に、本当に、申し訳ない。
 申し訳ないとは思うのだけれど――でもやっぱり、いじめられたい。

「私、ジーク様と、……夫婦になりたいと、思っておりますわ。私も、あなたを愛したいのです。……でも、一つ問題がありまして」

「ありがとう、ティア。無理をする必要はない。だが、そう思おうとしてくれるのは、とても嬉しい。問題とは、何だろうか」

 少しだけ心配そうに、ジークハルト様が言った。
 私は少し高い位置にあるジークハルト様の秀麗な顔を見上げる。物を頼むときは上目づかいと涙目が最強。お兄様に集めている艶本について何回か怒られる中で、私はそれを学んだ。

「ジーク様、……私、酷いことをされたいのです」

 小さな声で、私は言った。
 いつものように張り切ってしまうと、元気な大声が出てしまう気がして気を付けた。

 元気いっぱい「酷いことをされたいです!」などと言うのは、流石に無いだろう。情緒がなさ過ぎて、駄目だ。元気いっぱい大声でいじめられたいと懇願するような女性は、艶本の中には出てこなかった。

 私もそうでありたい。どうにも、健康的過ぎて声に張りがでてしまう。

 侍女たちにも良く「姫様は、見た目は儚いのに、中身は元気溌剌で、とても良いですね」と褒められたものである。あれは褒めていたのかしら。私は褒められていると思っていたのだけれど。
 初夜の時に、「服を脱がせろ」と連呼してしまったばかりの私。
 ジークハルト様の心の男根が萎えることのないように、気を引き締めていきましょう。

 男性とは繊細な生き物なのだと、私は知っている。体感的にはしらないけれど、本で読んだり、侍女たちから話を聞いたりしたので知っている。

「……酷いこと、とは」

「説明するのは難しいのですけれど……、なんというか、優しく愛されるのはもちろん嬉しいのです。でも、強引に、無理やり、……していただきたいと、思っておりまして」

 私たちは今、中庭の東屋に二人きりだ。
 私としてはジークハルト様に「ティア、スカートを捲れ」など言われて、屋外で下着をさらけ出すなど大歓迎なので、そういった関係でありたい。

 他はごく普通で良いから。私としても私を愛してくださる誠実で優しいジークハルト様に、性癖を合わせることはやぶさかではないので、他は普通で良い。
 
 だから、なんというか、性行為については私の希望をですね、少しで良いから、叶えてくれると私としてはとても嬉しい。夫婦の営みとは大切なものなので。どうか、是非、どうか。後生ですから。

 という気持ちを込めて、私はジークハルト様をじっと見つめた。
 赤い瞳が、困惑の色をたたえて私を見つめ返してくる。
 それから、瞳を悲し気に細めて、私の手をもう片方の手で包み込むように握り返してくれた。

「……あなたには隠していたが、カルナから、手紙を貰っている」

「お兄様から?」

「私があなたを妻にと望んだ手紙に、返事が来た。そこには、あなたには少し変わったところがあると書かれていた。……過去にされた自国での扱いのせいで、自罰的なところがある。だから、心配をしているのだと」

「お兄様……」

 私は目を見開いた。
 やっと気づいた。なんだかおかしいと思っていたのよ。
 お兄様が、ジークハルト様の人となりを知らないわけがないのだ。
 それなのに「帝国ではつらい思いをするかもしれない」と言ったり。
 ジークハルト様やルルが、私にやたらと気を使ってくれたり。

 全部、お兄様のせいだった。お兄様は私の性格を熟知しているので、虐められるかもと言えば私が嬉々として帝国に嫁ぐことをわかっていたのだわ。

 それで、私の様子がおかしいことについて、ジークハルト様に嘘を教えていたのね。
 なんて酷いお兄様なのかしら。
 どうしよう、興奮しちゃうわね。ここにジークハルト様が居なければ、顔を両手で覆いながら「素敵、お兄様、策士!」などと言いながらテーブルに額を打ち付けていたところだ。

「……ティア、どうか、心穏やかに過ごして欲しい。あなたに罰を与えようとする人間は、もういないのだから」

「……ち、違います、違いますのよ」

 私は慌てて首を振った。
 このままでは、精神的な問題でいじめられたいと言い張っている、儚い可哀想な姫、みたいになってしまう。
 そういうんじゃないのに。
 私は欲望に塗れているだけであって、別に精神的な問題があるわけじゃない。
 なんせご飯も美味しいし、よく眠れるし、元気なのよ。

「私のこと、ジーク様はご存じなのでしょう。特に隠しているわけでもありませんわ。確かに私は、今は亡き両親から要らない者として扱われ、城の中に居ながら食べるものにも困るような生活を送っていましたわ。でも、それは大したことではありませんの。だって、栗やタンポポを食べていましたし。食べるものにさえ拘らなければ結構生きていられますし、おかげで胃腸が丈夫になりました」

 幼いころの野性的な食生活のおかげで、私は何を食べても大丈夫な丈夫な体を手に入れた。
 あと、怪我とかも結構早く治る。病気もしない。タンポポの葉っぱが良かったのかもしれない。

「……残酷なことだ」

 ジークハルト様は悲しそうに、そして少し怒ったように言った。

「でも、でも、それは過去のことで、今の私とは特に関係がありませんのよ。……ジーク様、私、自罰的などではありませんわ。ただ単に、いじめられるのが好きだというだけですの」

 私は必死だった。
 可哀想な姫とか思われて、必要以上に優しくされるとか、そちらの方が辛すぎる。
 ルルにもそのうち、リュシーヌ王国の侍女たちのように、ベッドに寝転がる私を「姫様、邪魔です」と言って、シーツを引っぺがしながら床に転がり落として欲しいものだ。

「すまない。良く、理解できない」

 ジークハルト様は生真面目な表情で言った。
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