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属国の姫は皇帝に虐められたい
帝国の事情
しおりを挟むジークハルト様が政務に出かけたあと、ルルが部屋にやってきた。
「ご飯にします? お風呂にします?」とにこにこしながら尋ねられたので、お風呂をお願いすることにした。
まずはさっぱりしたい。さっぱりしたら着替えて軽食を取って、お城の散策をしようと思う。
私はルルに連れられて後宮の浴場へと向かった。
やたらと広い浴室の洗い場で体を清めて貰い、ルルに手を引かれてこれまたやたらと広い浴室へと身を沈める。
石像の人魚の水瓶からは相変わらずこんこんとお湯が溢れ出ている。
「ルルも一緒に入れば良いのに」
この広い浴槽に一人きりとか、勿体ないわね。お湯が勿体ない。
私とルルと、侍女の方々全員同時に入ってもまだ余裕がありそうだ。
浴槽の縁に体をあずけながら尋ねる私に、傍で控えているルルが首を振った。
「できませんよ、姫様とお風呂に入るだなんて」
「私が良いと言っているのだから良いと思うのですけれど。あぁ、ごめんなさい。我儘を言っていますわね、困らせるつもりではなかったの。ルルと一緒にお風呂に入ったら楽しいかなと思いましたの」
「ありがとうございます。謝らないでください、私に謝るなんてしたら駄目ですよ。姫様は、ジークハルト様の妃でいらっしゃるのですから」
私はううん、と眉根を寄せた。
「それが、ルル。ジーク様にはとても優しくして頂きましたの」
私の言葉に、ルルはそれはもう嬉しそうに両手を胸の前で合わせてきらきらした瞳で私を見た。
「もう、ジーク様とお呼びになる関係になられたのですね! ルルは嬉しいです」
「そう呼べと言われたのです」
「ジークハルト様はティア様に親しく呼んでいただけて、大層お喜びになっておいででしたでしょう」
「そうなのでしょうか」
「そうですよ」
ううん。
ルルが嘘をついているようには思えない。だんだん良くわからなくなってしまったわ。
私はここに、何をしに来たのかしら。
お兄様は私が帝国で悲惨な思いをすることを心配していたというのに、事前に聞いていた話とあまりにも違うのよ。あと、私が読んで読んで読みまくっていた、皇帝を題材にした艶本ともまるで違うわ。
これはいったいどういうことなのかしら。
「ルル。あの、聞きたいのですけれど」
「なんでも聞いてください、ティア様」
ルルは浴室の端に膝をついて、熱心に私の手を揉んでくれている。
湯あみの手伝い用の薄い衣服が、ぴったりと肌に張り付いている。だいぶ濡れてしまっているのだから、一緒に入ってくれたら良いのになぁと思う。
「このお風呂は随分と広いですわよね? 昔はここに、沢山の側妃の方がいて、皇帝が裸体でその中心に座って、くんずほぐれつ風紀が乱れていたのではないのかしら、と思うのですけれど」
「くんずほぐれつという言葉、姫様の可憐な唇から発せられると、まるで違う意味に聞こえますね。新しい品の良い言葉のようです」
「くんずほぐれつとは、くんずほぐれつという意味ですわ」
ルルはしばらく、くんずほぐれつと言いながら、笑っていた。
それからふと真面目な表情に戻ると、口を開く。
「確かにティア様の言う通り、ジークハルト様が粛清をされるまでのこの場所は、そのような有様でした。皇帝たちは享楽に耽り、税を湯水のように使っていました。女たちも争いも絶えず繰り広げていて……、でも、それは昔の話です」
「私、あまり帝国のことに詳しくありませんの。自国のことにも詳しくない体たらくで。この低能と罵ってくださって構いませんわ」
「姫様をそんな風に呼んだりしませんよ。国のことに詳しいからといって、人柄が悪ければ何もなりませんし。姫様は、優しくて気遣いのできる方です。私達にとっては、それだけで十分です。優しい姫様と、性根の潔白なジークハルト様が帝国をおさめてくださる。こんなに素晴らしいことはありません」
「あの、こちらの国の前王も、……その、あまり良い方ではありませんでしたの? ええと、つまり、ジーク様のお父様、ということになりますでしょうか」
「そうですね。国というのは大きければ大きくなるほど、内側から腐っていくものなのかもしれません。恐ろしい方だったと記憶しています。その恐ろしさは、悪い意味での恐ろしさですね。……ジークハルト様は、庶子でした。皆が知っていることなので、隠す必要はありませんが……」
「側室が多いということは、子供も多かったのでしょう?」
「……それが、そうでもないんです。皇帝の継承権争いのせいで、大きくなれない子供の方が多かったのですよ。そんな環境で育ったせいで、皇帝の子供たちというのは皆、どこか……、なんというか、残酷でした。けれど、ジークハルト様だけは、そうではなかったのです」
「ジーク様は……」
「ご苦労は多かったと思いますよ。……ジークハルト様は、皇帝の子供たちの中でも目立たない方でした。恐らくもともと、皇帝になるつもりはなかったと思いますし。けれど……、数年前、でしょうか。急に人が変わったようになって。それから……、私兵を持たれたのだと思います。城の制圧はあっという間でした」
「つまり……、ジーク様は、皇帝の位を、前皇帝から武力によって簒奪した、ということですの?」
「とはいえ、継承権はありましたから。庶子といえども、きちんとブラッドレイ家の血をひいています。皇帝の子供であることは間違いないんですよ。……こんな話を聞いてしまって、ジークハルト様が怖くなったりしないでしょうか。ごめんなさい、私、余計なことを言いましたね」
ルルは慌てたように口をつぐんだ。
私はぶんぶんと首を振る。怖いだなんてとんでもない。むしろ、かなり興奮している。
「素敵ですわ……、血に塗れた玉座、正義の簒奪者……、その時のジーク様、とても素敵でしたでしょうね。何故今はあんなに優しくなってしまったのかしら……」
私は血塗られた剣を手にして、感情の無い顔で次々と向かってくる兵士の方々を切り伏せるジークハルト様を思い浮かべる。
冷酷な中にある、獣性が時折垣間見ることができる、赤い瞳。
濃い色合いの頬に跳ねる赤い血。
ぞくぞくしちゃうわね。ぞくぞくしちゃうような状況じゃないのは分かるのだけれど、過去の話なので許して欲しい。
「ジークハルト様は本来優しい方なのですよ。だから、……後宮や、城や、王家の方々の惨状を黙ってみていることができなかったんでしょう。でも今は、争いは終わりました。驚くほどの速さで全てを処理して、皇帝として立ってくださったのです。それもこれも、ティア様を妃に迎え入れるためだったのではないかなと、ルルは思います」
「まぁ。そんなわけがありませんわ。見ず知らずの私のために、皇帝の地位を手に入れたなんて……、それは少々、突飛な発想だと思いますのよ」
私は笑った。
そんなわけある筈がない。
「……そうでしょうか。これも余計な事でしたね、すみません。でも、ティア様。ジークハルト様が優しかったというのは、良いことなのではないですか? ティア様は大層心配なさっていたでしょう、その……、ティア様の持っていらした本を見る限りでは、かなりひどい想像をなさっていたのではないですか?」
「あぁ……、何だったかしら。残虐な皇帝に囚われる、とか……、冷酷な皇帝の隷属妃とか、そんな題名だったかしら……、全部読んだわけではないのだけれど……」
「大丈夫ですよ、ティア様。ああいった話は、本の中だけ……、とは限りませんけれど、ジークハルト様は、残虐でも冷酷でもありません。そうですね……、生真面目とか、融通が利かないとか、勤勉とか。そういう表現があっているような気がしますね」
「そうなの……」
私はがっかりした。
けれど、ルルがせっかく嬉しそうなので、余計なことは言わないで黙っていることにした。
ルルともっと親しくなったら、ルルもきっと王国の侍女たちのように、「本日のおすすめ」と言って艶本を買ってきてくれたりするだろう。
でも、読む暇とか、あるのかしら。
私はこれから、この広いばかりの後宮でどうやって過ごしていけば良いのかしら。
少々不安だ。予定と違うことが起こるというのは、先が分からなくて不安なものである。
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