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属国の姫は皇帝に虐められたい
期待に満ちた第一夜
しおりを挟む婚礼の儀式のような口づけをされた私は、内心首を傾げ続けていた。
これから、これから、多分これから、と自分に言い聞かせる。
ジークハルト様の本領が発揮されるのはきっとこれから。まさか、皇帝であるジークハルト様が未経験とか、初心とか、そういうことはないでしょうし。
私は、どうしたら良いのかしら。
ただ立っていればよいのかしら。それとも、何かするべきなのかしら。
良くわからないわ。
艶本で読んだ艶事では、女性はなんというか、一方的に無理やりに、激情をぶつけられるものだったし。
戸惑っているのもつかの間、ジークハルト様の手のひらが私の頬に触れた。
「ティア。……もう少し、触れても?」
「……はい」
遠慮がちに尋ねられて、私は小さな声で答える。
どうぞどうぞ、ご存分にお触れなさって!
と内心では思っているけれど、うきうきウェルカムの姿勢ではいけないのよ。
こういう時は恥ずかしがったり、嫌がったりするものなのだわ。
そうしないときっと、盛り上がらないもの。私の知る艶本の中の女性たちもそうしていたし。
やっぱり、恥ずかしがるのが肝心よね。
「……私の元へ来てくれて、ありがとう。あなたが苦しい思いをしないよう、なるだけ優しくする。どうか、私を受け入れて欲しい」
ジークハルト様はそう言うと、切なげに微笑んだ。
愛を乞うような言葉に、はて、と私は心の中で首を捻る。
先程からさっぱり良くわからないわね。私は王国から来た虜囚のようなものだし、ジークハルト様とは初対面で話したこともないのに。
見た目、かしら。
まぁ、見栄えは悪くないわよね。
白い肌に、銀の髪に青い瞳は冷たい印象はややあるけれど、それなりに愛らしい容姿だと思っているわ。なんたってあの百人中百人が美形と評価するだろう、カルナお兄様の妹なのだし。
色合いも顔立ちもお兄様と私はどことなく似ているもの。血のつながりがあるのだし当然なのだけど。
ジークハルト様は私の見た目が好き。
なるほど、それは納得できる気がするわね。
でも私、見た目と中身が一致しないってよく言われるのだけれど、大丈夫なのかしら。
お部屋でごろごろしながら艶本を読んで、うっとりしているところを見られたら、幻滅とかされるのかしら。別に良いのだけど。
「ティア」
再び唇が重なった。
何度かついばむように口づけられる。背中に回った腕が、強く私を抱きしめる。
衣擦れの音が耳に響き、布越しにジークハルト様の体温が伝わってくるようだった。
ジークハルト様は私よりも熱い。やっぱり筋肉量の違いなのかしら。筋肉は熱い。新しい発見だわ。
「ん……」
唇の間から舌が中へと入ってくる。
あら、これが……、と、私は感動した。
口付けとは舌を絡め合わせるもの。それはとても気持ち良いものだと、知識としては知っている。
それが実際に自分の身に起こると、結構感動するものだわ。
ジークハルト様の舌はおおきくて、ぬるりとしめっている。
一瞬何か清涼感のある味がした。けれど、それはすぐにわからなくなってしまった。
私の小さな口の中は、ジークハルト様の舌ですぐにいっぱいになった。
弾力のあるそれが口の中を軟体動物のように蠢く。ゆるゆると舌を擦りあわされて、角度を何度か変えて味わうように口腔内に優しく触れた。
頭の奥がじんと、痺れる。
気持ち良い。
無理やりでも強引でもないけれど、柔らかい何かにくるまれているように、気持ち良い。
「ん、んぅ、……ん……」
私はジークハルト様の服を掴んだ。
何かを掴んでいないと心許なかった。
「ん……ぅう、……っ、は」
鼻にかかった甘い吐息が、ちゅくちゅくと響く水音の狭間に零れる。
呼吸が僅かに苦しい。
ジークハルト様の唇がそっと離れ、私は新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んだ。
抱きしめて、背中を撫でてくれるのが心地良い。
私は酸欠でぼんやりしながら、ジークハルト様に体を預けるようにしてくっついた。
優しい。うん。とても優しい。
「ティア、大丈夫か?」
「大丈夫、です。……呼吸をするのが、難しくて。きっとそのうち、上手にできるようになりますわ」
口付けぐらいで音をあげていたら、ジークハルト様のお相手など務まらないに違いない。
捨て置かれる生活もそう悪くないけれど、できることならジークハルト様直々に虐めていただきたい。
そういう期待と決意を込めて私は言った。
完全に余計なことを言った自覚がある。
「……、あなたは、そのような努力をする必要はない。すべて私に任せて、委ねて居れば良い」
ジークハルト様は低くやや掠れた声で言った。
それから私の体を軽々と抱き上げると、広くて白いベッドに横たえる。
衣服も私の体も白っぽいので、世界が白に覆いつくされたみたいだった。
ジークハルト様だけ色を持っているみたいだ。
さらりとした黒い髪と、赤い瞳、褐色の肌。私の国にはいない色合いのひと。
「綺麗な色ですね。私とは違いますわ」
婚礼の白い衣装が、ベッドに花弁のように広がっている。
髪に飾られた薔薇の花が髪に絡んでしまわないようにだろうか、ジークハルト様が丁寧に外してくれる。
ベッドに散らばる赤い薔薇は、ジークハルト様の瞳の色だ。
「私よりもティアの方がよほど美しい。白い肌も、銀の髪も、薄水色の瞳も、……朝になれば、儚く溶けて消えてしまう、雪の妖精のようだ」
「王国では、皆がこのような色合いですわ。珍しいことではありませんのよ。国が違うだけで、色が変わるのは不思議ですわね。私、ジークハルト様の深い色合いは、男らしくて素敵だと思いますわ」
驚いたように私を見下ろすジークハルト様に、私はにっこりした。
いじめられることを期待している私だけれど、対話を拒否したいわけじゃない。
もともと私はお話するのが好きだし、思ったことは結構口に出してしまう性分なのである。
そのせいで、お兄様には手籠めにしていただけなかった。
毎日お兄様に向かって「お兄様は今日も輝いておられますわ。その冷酷そうな表情に落ちない女は王国にはおりませんわ。もちろん私もその一人……」などと言ってはやんわりと怒られていた。
きっとあれが悪かったのよね。あれでは、食指が動かないはずだわ。
男性とは、ぐいぐい好意を告げてくる女性よりも、奥ゆかしくて恥ずかしがり屋な女性を好ましく思うのだから。
多分。侍女たちに相談したら「そんなことありませんよ、ティア様。ティア様は、可愛らしいです。まるで妹のように可愛いです」と言われていた。妹なので妹のように可愛いのは当たり前だと思う。
「あなたは……、私に、怯えているとばかり思っていた。そうして、言葉をかけてくれるのだな。なんと気丈で、慈悲深いことか……」
ジークハルト様は私がちょっと話しただけで、私のことを絶賛した。
褒めすぎだと思う。
怒られることはあっても褒められることはあまりなかった私。困ってしまうわね。
それに、どちらかと言えば怒られたいのだけれど、「話す許可は与えていない」とか冷たく言われたいのだけれど、駄目かしら。
「ジークハルト様は、私が怯えるようなことは何もなさっていませんわ」
私は不実を詰るように言った。
だからはやく怯えるようなことをして下さいな、という主張を込めた。
「……あなたを傷つけるようなことはしない。約束する」
違うのだけれど。
そういうことじゃないのだけれど。
「ティア、愛している。……愛してほしいとは、言わない。だが、あなたが穏やかに過ごせるよう、尽力する。どうか、私に愛を乞うことを、許してほしい」
「……っ、ん」
再び唇が重なる。
愛の言葉を男性に言われたのははじめてだわ。
私の求めていた状況とは真逆なのだけれど、愛されることを拒絶しているというわけでもないので、普通に嬉しい。
それはそれとして、私はいじめられたいのだけれど。
あと、やっぱり顔なのかしら。ジークハルト様は私のことを良く知らないだろうし、私もジークハルト様のことを良く知らないのに、愛していると言えるのは、不思議だわ。
言葉に意味はないのかもしれない。
これは褥の流儀というもので、ジークハルト様は数々の愛妾の方々にも、そのように言っているのかも。
それなら結構納得できる。
深く優しく口づけながら、ジークハルト様の手のひらが私の体に触れる。
腕や肩、首筋などを、感触を確かめるように撫でていく。
大きな手のひらと長い指を持った男のひとの手だった。
剣を持つ方なのだろう。その皮膚はお兄様と同じで、ずいぶんと硬い。
体にぴったりとした白いドレスの上から、脇腹や腰骨を撫でらると、肌がぞわりとした。
「……っ」
口腔内を貪っていた唇が離れる。ジークハルト様は「あなたをこの手に抱ける日がくるなんて」と言いながら、私の顔をじっと見つめた。
私は多少の羞恥心を感じて、目をそらした。
少しだけ顔をそむけたせいでむき出しになった首筋に、唇が落ちる。
薄い唇が首筋に触れる。舌が皮膚の上を這う感触に、私はびくりと体を震わせた。
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