九尾の狐に嫁入りします~妖狐様は取り換えられた花嫁を溺愛する~

束原ミヤコ

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散りゆくは

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 二つに開いた肉塊が、咲子さんの体を喰らって閉じた。
 ぐりゅりと動き、蛇が卵を咀嚼するようにして脈打った。

「咲子さん……っ」
「悲しいなど、嘘だろう。あの娘は、笑えるぐらいに自己中心的だった。喰ってやったほうが、人の為。ふふ、ふ、あは……っ、やはり巫女は旨いな。お前の肉はもっと、美味いのだろうな」

 真白さんの頬が、興奮したように紅潮した。
 全身に、血管のような黒々とした蔦模様が浮き出ていく。
 今やその体は、片腕だけではなく両腕が異形に変化していた。
 
 額からは二本の黒い角がはえて、髪が逆立ち――人から鬼へと、変化をした。
 次々と床からはえてくる肉塊を刀で切り捨てて、由良様が真白さんに向かって刀を振り下ろす。
 真白さんの腕が由良様の刀を掴んだ。
 今度は――その腕は、二つに切られることはなかった。
 刀を掴み、由良様の体を壁へと叩きつけた。

 壁に大きくひずみができる。壁に叩きつけられて床にずるりと座り込んだ由良様の額から、血が流れて落ちた。

 けれどすぐに立ち上がり、手にした刀を撫でる。
 刀身が血のように赤く染まる。襲い来る肉塊を、由良様の周囲に漂う炎球が焼いた。

「ふふ、あはは、喰いたい。もっと、喰いたいなぁ。由良、お前はまだ俺に勝てる気でいるのか? 巫女の力など、中途半端に注がれるようにも、喰ってしまったほうがずっと、糧になる。一人巫女を喰えば、神にもなれる。二人喰えば、どうなるのだろうな」

「ひとでなしめ。今行く、待っていろ!」
「よそ見をするな、月帝。お前の相手は俺だ!」

 私に、一歩、真白さんが近づいてくる。
 月帝様の声と、七鬼様の声が遠くに響く。
 
 ――咲子さんは、食べられてしまった。

 本当に?
 あんなに、呆気なく?

 体が震える。うまく、呼吸ができない。しっかりしなくては。
 私は何もできなかった。助けなければと思っていたのに。呆気なく、咲子さんは、食べられてしまった。

「どうすれば由良は泣くだろうな。お前を犯せば激怒するか。喰えば、泣くか。己を失うほどに俺を憎み、口汚く罵るのか。あぁ、見たいな。ふふ……その姿を見れば、俺はきっと、満たされる」

 一瞬、意識が飛んでいた。
 咲子さんのことを、考えていた。

 その一瞬で、私の周囲には何本もの――枝垂桜のような巨大な手がはえている。
 肉塊からのびる指、その手の平には咲子さんを飲み込んだような口がある。

 その口が一斉に、私を喰らおうと降ってくる。

 落ちてきた天井に押しつぶされるように。鉢の中の胡麻を、すりこぎで、すりつぶすように。
 
 ――逃げられない。

 呆然とそれを見ているしかない私の前に、由良様が立ちふさがった。
 炎が燃え上がり、私たちを包む。赤い刀身がその太い腕を切り落とす。
 
「消えろ、真白。その恩讐と共に、空に還れ!」

 炎が、床を舐めるようにして燃え広がっていく。
 月帝様の刀が、七鬼様の肩を貫いて、七鬼様が床に膝をついた。
 七鬼様の体を炎が包み込む。月帝様はそれを避けて跳躍すると、枝垂桜の古木の上に軽々と降り立った。

 いくつもの不格好な手が、焼かれていく。炎に巻かれて指を動かすさまは、物言わぬ断末魔のようだった。

「由良、お前は俺から全てを奪った! 家も、両親も、女もだ! 死ね!」
「――何故そう思う。俺は、何もいらなかったのに」

 ただ、家族で在れたら。
 それだけで、よかったのだろう。
 由良様の感情に心が痛む。どうか少しでもその心が癒えるようにと、私は残された力を枝垂桜に注いだ。

 花弁が、広間中に雨のように舞う。

 その中で由良様は、真白さんの異形の両手を斬り飛ばした。

「ぐぁ、が、あああっ」

 両手を失った真白さんは蹈鞴を踏んで、その場に座り込む。
 斬られた腕の断面から噴き出す血は、黒ではなく、赤だった。

 どさりと、顔から床に倒れ込む。
 その姿を由良様は一瞥して――私の元へ駆け寄ってきてくれる。

「……薫子! 怪我は? 無事か?」
「はい。由良様も……」
「俺は平気だ。君が、俺の傷を癒やしてくれた。力をくれた。……ありがとう」

 安堵したように微笑んで、由良様は私を抱きしめた。
 その体は少しだけ震えている。
 
「咲子を救えなかった。すまなかった」
「……私も、何もできませんでした」
「君は十分、頑張っていた」
「けれど私は……咲子さんを、見殺しにした。……ごめんなさい」

 誰に謝っているのかは、分からない。
 もう咲子さんには私の声は届かない。

 はじめから、届いていなかった。きっと、ずっと、届いてなどいなかったのだ。
 届かせようとしていなかったのだから。
 私が――諦めていたせいだ。

「起きましたか、七鬼」

 ふと、全身から力が抜ける感覚に襲われる。
 倒れ込みそうになるのを、由良様が支えてくれた。
 桜の花弁も、枝垂桜も消えていく。由良様の姿も、元に戻っていく。
 月帝様が消えた桜の木から床に音もたてずにおりると、肩を刀で貫かれたまま倒れている七鬼様に声をかけた。

「……目覚めました」
「全く、困りましたね。恋心とやらは。もう、伊波はどこにもいないというのに」
「理解しています。……俺と伊波様の生きる時間は、違う。十分、傍にいました」
「伊波もきっと喜んでいるでしょう。あなたの忠誠を。私には記憶があるだけで、伊波がどういう男だったのかは、知りませんが」

 月帝様は無造作に刀を抜いた。
 七鬼様は傷口を片手でおさえながら、状態を起こす。
 それから、私たちや、倒れて動かない真白さんの姿を確認して、眉を寄せた。

「――俺が夢の中にいる間に、大変な思いをさせたようだ。すまなかった、由良、薫子」
「いえ。真白の罪は、俺のせいですから」
「血のつながりはあるだろうが、真白の罪は真白のものだ。由良の責任ではない。……だが、まだ生かしたな」
「……もう間違えません。罪を、雪ぎます」

 由良様は立ちあがった。
 真白さんの命を、奪うために。
 それが正しいことなのか、私にはわからない。
 真白さんは咲子さんを喰らった。憎むべき相手だ。けれど悲痛な声は――嫉妬に塗れるその感情は、きっと誰にでもある。私にもあるものだ。

 私たちは、他者を羨む感情を――消し去ることはきっと、できない。

「……由良様っ」

 立ち上がった由良様の胸から――白刃が、ぬるりと伸びる。
 刀が引き抜かれると、傷口から血が溢れて、私の顔をぱたぱたと汚した。

 驚愕に見開いた瞳で、由良様は傷口をおさえる。
 私の前で膝をつく由良様を、私は抱きとめた。
 その体が、両手を汚す血のせいで、滑り落ちそうになってしまう。
 着物を、掴む。金の髪が、私の前でさらりと揺れる。

「――真白を迎えに来たよ。咲子ちゃんをもう、食べてしまったんだね。勿体ない。でも、薫子ちゃんのほうがずっと、美味しそうだ。そうだろう、真白」
「……翠明」
「そういえば、不審な侵入者がいたから、やっつけておいてあげたよ。ほら」

 場違いににこやかな声で、男は言う。
 白い髪に、赤い瞳をした男だ。
 その男は、無造作に引きずっていた人間を放り投げた。
 それは、シロとクロを守るようにして両手に抱えた、ハチさんだった。

 体中に傷があり、口の端や額からは血が流れている。
 床に乱暴に投げ捨てられても、呻き声もあげなかった。

「ハチさん……シロ、クロ……」
「お前は――煬帝の四神か」
「月帝様。あれは、沢城翠明。ここに入り込み、真白を逃がした鼠です」
「鼠なんて、ひどいことを言う」

 その男は肩を竦めた。
 月帝様が刀を手にして切りかかろうとする。
 けれど、男は身を翻して、倒れている真白さんを拾いあげた。

 男の足元が、湖のように姿を変える。
 その湖の中に、男は――翠明は、僅かな飛沫を残して飲み込まれて、姿を消した。
 私は視界の隅で、その様子を見ていた。けれど、意識は別のところにある。
 私の腕の中で、由良様が浅い呼吸を繰り返している。いつも笑って、大丈夫だと励ましてくれていたのに。
 命を失うときは――呆気のないものだ。
 どんなにあがいても。人は、やがて死ぬ。
 私は咲子さんを救えなかった。伸ばした手は、届かなかった。手を伸ばしていたのかさえ、自分を疑いたくなるぐらいに。
 命に差異をつけてはいけない。咲子さんは助けなかったのに、由良様だから、死の淵から助けたいと願うのだろうか。
 けれど――。
 
「由良様……っ、ハチさん、シロ、クロ……!」

 由良様の顔から、血の気が引いていっている。
 ハチさんは目を開かない。
 シロとクロも、ハチさんの腕の中でぐったりして動かない。

 私の家族が――死んでしまう。
 そんなのは嫌だ。
 私は残りの力を振り絞る。月帝神宮が地響きが起こったように、揺れ始める。
 枝垂桜が広間に何本もはえて広がる。
 そして、再び桜の花弁を――嵐のように舞い散らせた。


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