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 目には見えないもの 2

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 愛してなんかない。シルキーさんとの浮気を見てしまった日から、私の気持ちはもう、終わってしまった。

 私はゼフィラス様を愛している。愛しているから――きっと助けにきてくれると、信じることができる。

「じゃあ、証明してよ、リーシャ。君は俺の花嫁だ。ここは教会。ここで――夫婦になろう」

「あ……」

「怖い?」

 スカートがたくしあげられる。大きな手が私の足に触れた。
 これから起ることを想像すると、体が更に震え出す。怖い。嫌だ。怖い。怖い。
 でも。

「……怖くない。愛しているわ、クリス」

 私の体で、時間が稼げるのだとしたら。
 この場にクリストファーをつなぎ止めて、ベルガモルト家への出立を遅らせることができるのなら――。

「君は聖女なんだってね、リーシャ。英雄とともに国を救った救国の聖女。俺が君を人間に戻してあげる。君はただの女。俺の幼馴染みのリーシャだ」

「……っ」

 嫌だ。嫌。嫌。頭がその単語だけで埋め尽くされる。

 嘘をつかなくてはいけない。あなたを愛しているのだと、微笑まなくてはいけない。
 でも心は否定できない。嫌悪感が、背骨を冷たくさせる。触れられる指先は、まるで石の裏にへばりついた蛞蝓みたいだ。

 ゼフィラス様に会いたい。
 その力強い腕に抱きしめられたい。

 皆のために私は、頑張らなきゃいけないのに。嫌悪感にどうしようもなく、心がへし折られる。
 人としての大切なものを、汚い手で無遠慮に触れられて、穢されているみたいだ。

「……っ、いや……嫌……っ! たすけて……たすけて、ゼフィラス様……!」

 あぁ、言ってしまった。
 ゼフィラス様の名前を、呼んでしまった。

 もう、とても耐えられない。
 私はクリストファーの体の下で、じたじたと暴れた。触られたくない。嫌だ。
 嫌……!

「……リーシャ。君はやはり、嘘つきだ」

「あなたなんて、大嫌い。人殺し! 大嫌いだわ!」

「可愛げなくて、嘘つきで傲慢で嫌な女だけれど、俺は君を許してあげる。二度と生意気なことを言えないように、喉を潰そう。俺から逃げられないように、足を切ろう。その手が俺を殴れないように、手も、切ってしまおう」

「それでは、生きているとは言えない」

「何も言わずに俺を愛してくれる君がいれば、俺はそれでいい。君は聖女なんだろう? 皆が君を聖女と崇める。聖女から愛される俺は、全て正しい。幸せに、なることができる!」

「嫌……!」

 クリストファーはナイフを私の手につきたてようとした。
 あまりの恐怖に、きつく目を閉じる。

 閉じた瞼の裏側に、光が溢れた。

 痛みはない。
 腕に、ナイフの切っ先が食い込む幻を見た気がしたのに。

「……う、わ、ああ……っ」

 瞼を開くと、クリストファーが情けなく悲鳴をあげながら、何かを見ていた。
 首のない三人の女神像の前に、白く輝く女性の姿がある。
 三人の女性は、片手に赤子を抱き、片手に剣を持っている。
 その三本の剣が、クリストファーに向けられる。

「マルーテ様……女神、様……?」

 女性たちの背中には、白く輝く美しい翼がある。まるで、石像のような質感の、美しい姿だ。
 マルーテ様は、私に加護をと夢の中でおっしゃっていた。

 目には見えないものがあると、私は知ることができるのだと。

 マルーテ様が、私をもう一度守ってくださいっているのだと思うと、はらりと涙が零れた。

 私の体に、ぼたぼたと赤いものが降ってくる。
 クリストファーの手からナイフが落ちて、床に転がりカランと硬い音をたてた。



 
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