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不格好な刺繍のハンカチ

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 今頃リーシャは、恐ろしい思いをしているだろう。
 クリストファーはどういうつもりでリーシャを攫ったんだ?

 恨みを晴らすため。それとも、本当にルーベルトの言うように、リーシャが自分を愛しているのだと思い込んでいるというのだろうか。

 追い詰められた鼠は猫を噛むというが、追い詰められた人間のとる行動を私は甘く見ていた。
 そもそもクリストファーについて私はよく知らなかったのだ。知りたいとも、思わなかった。

 ここまで気が触れた人間だとは。いや、人を殺めた罪人になったことで、心の箍が外れてしまったのだろうか。

 そんな男とリーシャが共にいるなど。最悪な想像ばかりが頭を巡る。

 怒りと憎しみで思考が濁りそうになる。

 落ち着け。冷静さを失えば、助けられるものも助けられない。

 胸に手を当てる。羽織ってきたコートの胸ポケットに触れる。そこには、リーシャからもらったハンカチが入れてある。
 黒騎士ゼスが傷つかないように、お守りだと言ってくれたもの。

 独特な姿をした動物が刺繍してある、私の宝物だ。

「夜明けまで駆けるとして、あと四時間程度。馬にも限界がある。それ以上はとても走れないはずだ。ここから四時間で辿り着ける野盗の住処になりそうな廃村は、王都周囲に五か所ある」

 記憶を辿りながら、考えを整理するために私はぶつぶつと呟いた。
 クリストファーには仲間がいる。ここで奪った金品を山分けしている暇などなかっただろう。

 仲間から離れるとしたら、金品を山分けしたあとだ。
 この人数の使用人たちを縄で縛れるのだから、仲間の数はかなり多い。
 
「ルーベルト、野盗たちは何人いた?」

「よく覚えていません。ですが、かなりの人数でした。十人以上はいたでしょうか」

「馬と、十人以上の仲間と、奪った金や宝石と、攫ったリーシャ。安全に身を潜めるのなら、人目につかない廃村にいっとき隠れるだろう。問題はどの方角に逃げたか、だが」

 私はルーグの頭を撫でる。ルーグは鼻がいい。逃がした魔物を追うための訓練をしているからだ。
 ルーグを連れてきていてよかった。私の相棒は、賢い瞳で私を見上げる。

「ハンカチに香水の香りが残っている。リーシャが好んで、枕やハンカチにつけている香りだ。リーシャの部屋にも香りがほのかに染み付いていたはず。その髪にも、体にも、僅かにその香りが」

 私はハンカチをルーグの鼻先に差し出した。
 
「追えるか、ルーグ。方角さえわかればいい。廃村の場所は、記憶している」

 ルーグは尻尾をばたりと振った。自信がある時の仕草だ。

 まだ間に合う。大丈夫だ。
 馬よりも白狼の方が早い。追いつけるはずだ、きっと。

「ルーベルト、城の者に私からの命令で兵を出すように連絡を。ゲイルは顔は怖いが話はわかる男だ。アールグレイス家の私兵たちにも動いてもらいたい。私の予想が間違っている場合もある」

「わかりました」

「近隣の街や村に兵を送れ。廃村もしらみつぶしに調べろ。私は……」

 玄関から外に出て行くルーグを皆でおいかける。
 ハクロウも横に並んでいる。落ち着きなく、地面を爪でガリガリ引っ掻いている。

 リーシャが拐われたことや、アシュレイが傷つけられそうになったことに激しい怒りを感じているようだ。

 白狼を手名付けるのは難しいが、一度懐けば主人を家族だと考えるようになる。忠誠心が高く賢いのだ。人の言葉も理解できると言われている。
 ハクロウはルーグと同じぐらいによい白狼だ。

 ルーグは鼻先で、西の方向を示した。

「私は西に。西の方角にある廃村は一つきりだ。運がいい」

「わかりました、ゼフィラス様。アールグレイス家の私兵には、ゼフィラス様のあとを追わせます。私は城に向かい、救援を頼みます。アルバは」

「俺はハクロウに乗り、殿下と共に行きます。グエス、アシュレイ様を任せた」

「言われなくても、もちろんです。殿下、アルバ、お嬢様をどうかよろしくお願いします」

 アルバという護衛兵がハクロウに乗る。侍女がアシュレイを抱きしめるようにしながら、私たちに深々と頭を下げた。
 後のことをルーベルトに任せて、私もルーグに騎乗する。

「行くぞ」

 短く言うと、ルーグは軽々と石畳を蹴った。
 すぐに速度をあげる。ハクロウもルーグの斜め後ろを走っている。
 ルーグは始めは匂いを追っていたようだった。その方向は確実に西。王都には南の海側以外、東西と北に門がある。
 西門を出たのだ。
 夜間は門が閉まっているはずだがと思いながら西門にまっすぐルーグを走らせる。
 
 夜になると王都の門が閉じるのは、防衛のためである。魔物が街を襲うのを防ぐためでもあり、野党の集団が入り込まないようにするためでもある。

 西門は開いていた。門番が数人、街の外壁に寄りかかるようにして倒れている。
 黒々とした血溜まりがその体の下には広がっている。アルバと共に、息があるものがあるかを手早く調べたが、手遅れだった。

「……惨いな」

「証拠を残していくとは、ずいぶん慌てて逃げたようですね。王都から出れば見つからないとでも考えたのでしょうか」

「あの場でシルキーを殺したことを考えると、計画はかなり杜撰だ。クリストファーは、リーシャさえ取り戻せば全てうまくいくとでも思っているのかもしれない」

「自分からお嬢様を捨てておいて」

「そうだな。急ごう」

 憎々しげに、アルバが吐き捨てる。
 私も同意見だ。

 私がずっと、ずっと恋焦がれていたリーシャの婚約者という恵まれた立場にありながら、リーシャを裏切った男のことなど理解する必要などない。

 追い詰められていようが、心が壊れてしまっていようが。
 そんなものは言い訳にはならない。

 西門から出ると、星と月の明かりだけが頼りだ。

 晴れた日でよかった。十分に夜目が利く。

 記憶の中の地図を辿りながら、西の廃村に向かい道なき道をまっすぐに進んでいく。馬ではとても通れない場所も、白狼は軽々と飛び越えることができる。

 やがて夜が白みはじめて、朝焼けが辺りを照らしだす。
 森を背にして、崩れた塀が目につく廃墟の村が眼前に現れた。


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