156 / 162
偽りの婚礼 1
しおりを挟む鼻の奥に血の匂いが、肌には血飛沫の生温かさが残っているような気がする。
どこなのか分からないけれど、小さな教会のような場所だ。
王都から出た後に目隠しをされたので、どこなのかは分からない。夜通し走っていたようなので、少なくとも二つ三つは街を通り抜けたような場所なのだろう。
私を腕に抱えるこの人は、私の知っていたクリストファーではなく、怪物なのではないのか。
愛していたはずの人を斬るなんて。
無抵抗な女性を。
唖然としていたシルキーさんの、見開かれた瞳と崩れ落ちる体、床に広がる赤が、何度も反復して思い出される。
体の芯が冷たい。冷え切ったまま暖まらない。
まるで氷を体にいっぱいに詰められたみたいに。
目隠しと縄を解かれると、廃村にある朽ちた教会のような場所にたどりついていた。
飢饉などが起こり人がいなくなった廃村は、魔物や野党たちの格好の隠れ場になるから近づいてはいけない。
つまりはここも、そういった場所なのだろう。
窓ガラスの割れた教会の祭壇にはトルソーが置かれている。
トルソーにはクリストファーとの結婚式で着る予定だったドレスが着せられていた。
お兄様のお店に保管されていたはずのものだ。盗んできたのだろう。
クリストファーとともにいる男たちは荒事に慣れている。
目隠しを外される前に「あの女、売ればいい金になったのに。殺しちまうなんてもったいねぇ」と、会話をしているのが聞こえた。
シルキーさんを追いかけていたのは、私の家にシルキーさんを入り込ませるための演技だった。
私はまた、騙された。
何故こうなってしまうのだろう。シルキーさんもクリストファーも追い詰められていた。
だから。でも。アシュレイ君を人質にしたこと、家のものたちを傷つけたことは許せない。
許しては、いけない。
それがたとえ、かつて好きだった幼馴染であっても。
クリストファーは私をトルソーの横の祭壇に乗せる。
教会の扉はしまっているけれど、窓ガラスが割れているせいで風が吹き抜けていく。
窓の外には、生い茂る木々と青空が見える。
廃村の奥にあるのだろう。三女神の像は首が落ちていた。
壊れた石像らしからぬ鋭利な切り口は、誰かが故意に落としたようにも見える。
「リーシャ、やっと二人きりになれた。君を取り戻すまで、とても大変だったんだ。本当に、大変だったんだ」
クリストファーは私を覆い被さるようにして抱きしめた。
その手は、血に汚れている。その体からは、血の匂いがする。
優しい人だと、優秀な人だと思っていた。幼い頃は少し気が弱くて引っ込み思案で、私の影に隠れているような少年だった。
笑った顔が好きだった。控えめに名前を呼ぶ声が好きだった。
思い出が割れたガラスのようにばらばらに、粉々に砕け散って消えていく。
拒絶感に、身体中に悪寒がはしる。シルキーさんを殺めたばかりの手で、躊躇いもなく私を抱きしめることがどうしてできるのだろう。
メリアの両親を故意ではなかったとはいえ殺めたことを反省して、シルキーさんと二人で静かに辺境で暮らしていくのだとばかり思っていた。
私は甘かったのか。疑わしさは感じていても、ここまで残酷なことになるなんて、予想もしていなかった。
「あぁ、リーシャ。柔らかい。いい香りがする。久々に、すごくいい気持ちだ。辺境はひどい場所だった。何もなくて、汚くて、あれは俺の居場所じゃない。何もかもが間違っていたんだ、リーシャ」
「クリストファー……」
「俺が好きだと言っただろう、リーシャ。以前のように、どうしてクリスと呼んでくれないんだ?」
「……クリス」
クリストファーの声音に疑惑の響きが帯びる。
疑われてはいけない。あなたを愛しているのだと、伝えないといけない。
35
お気に入りに追加
2,959
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢の辿る道
ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。
家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。
それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。
これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。
※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。
追記
六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。
【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~
紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。
※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。
※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。
※なろうにも掲載しています。
側近という名の愛人はいりません。というか、そんな婚約者もいりません。
gacchi
恋愛
十歳の時にお見合いで婚約することになった侯爵家のディアナとエラルド。一人娘のディアナのところにエラルドが婿入りする予定となっていたが、エラルドは領主になるための勉強は嫌だと逃げ出してしまった。仕方なく、ディアナが女侯爵となることに。五年後、学園で久しぶりに再会したエラルドは、幼馴染の令嬢三人を連れていた。あまりの距離の近さに友人らしい付き合い方をお願いするが、一向に直す気配はない。卒業する学年になって、いい加減にしてほしいと注意したディアナに、エラルドは令嬢三人を連れて婿入りする気だと言った。
【完結】もう結構ですわ!
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
どこぞの物語のように、夜会で婚約破棄を告げられる。結構ですわ、お受けしますと返答し、私シャルリーヌ・リン・ル・フォールは微笑み返した。
愚かな王子を擁するヴァロワ王家は、あっという間に追い詰められていく。逆に、ル・フォール公国は独立し、豊かさを享受し始めた。シャルリーヌは、豊かな国と愛する人、両方を手に入れられるのか!
ハッピーエンド確定
【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/11/29……完結
2024/09/12……小説家になろう 異世界日間連載 7位 恋愛日間連載 11位
2024/09/12……エブリスタ、恋愛ファンタジー 1位
2024/09/12……カクヨム恋愛日間 4位、週間 65位
2024/09/12……アルファポリス、女性向けHOT 42位
2024/09/11……連載開始
さよなら、皆さん。今宵、私はここを出ていきます
結城芙由奈
恋愛
【復讐の為、今夜私は偽の家族と婚約者に別れを告げる―】
私は伯爵令嬢フィーネ・アドラー。優しい両親と18歳になったら結婚する予定の婚約者がいた。しかし、幸せな生活は両親の突然の死により、もろくも崩れ去る。私の後見人になると言って城に上がり込んできた叔父夫婦とその娘。私は彼らによって全てを奪われてしまった。愛する婚約者までも。
もうこれ以上は限界だった。復讐する為、私は今夜皆に別れを告げる決意をした―。
※マークは残酷シーン有り
※(他サイトでも投稿中)
ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。
一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。
そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。
【完結】元婚約者の次の婚約者は私の妹だそうです。ところでご存知ないでしょうが、妹は貴方の妹でもありますよ。
葉桜鹿乃
恋愛
あらぬ罪を着せられ婚約破棄を言い渡されたジュリア・スカーレット伯爵令嬢は、ある秘密を抱えていた。
それは、元婚約者モーガンが次の婚約者に望んだジュリアの妹マリアが、モーガンの実の妹でもある、という秘密だ。
本当ならば墓まで持っていくつもりだったが、ジュリアを婚約者にとモーガンの親友である第一王子フィリップが望んでくれた事で、ジュリアは真実を突きつける事を決める。
※エピローグにてひとまず完結ですが、疑問点があがっていた所や、具体的な姉妹に対する差など、サクサク読んでもらうのに削った所を(現在他作を書いているので不定期で)番外編で更新しますので、暫く連載中のままとさせていただきます。よろしくお願いします。
番外編に手が回らないため、一旦完結と致します。
(2021/02/07 02:00)
小説家になろう・カクヨムでも別名義にて連載を始めました。
恋愛及び全体1位ありがとうございます!
※感想の取り扱いについては近況ボードを参照ください。(10/27追記)
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる