上 下
131 / 162

鏡の呪い 1

しおりを挟む



 鏡に近づこうとするゼフィラス様の腕を、私は掴んだ。

「ゼフィラス様、触れてはいけないと」

「しかし、このままというのはな。何らかの呪いが封じられているとしたら、再び悲劇が繰り返される可能性がある。もしくは気づいていても、胸の中にしまっていたか。わからないが、鏡を調べるべきだ」

「何があるかわかりません。リーシャ様は、ご退室を」

 アルゼウス様に言われて、私は首を振った。

「でも……ゼフィラス様が」

「リーシャ。私は大丈夫だ。君はアルゼウスと共に戻っていてくれ」

 とても嫌な予感がする。
 呪いは──王子を殺すのだ。

 ゼフィラス様は王子である。
 呪いの正体は何だかわからないけれど、ともかく、怖い。

「……ゼフィラス様、待ってください。正体がわからないものに不用意に触れるのは──」

 鏡に近づこうとするゼフィラス様の腕を掴み、止める。
 一旦退室したほうがいい。

 もう少し調べて、呪いが何かの正体を突き止めてから、鏡をどうするかを考えるべきだろう。

「……しかし。いや……そうだな。気が逸ってしまった。私から時間を奪ったなにかが、ここにあると思うと……」

 ゼフィラス様は足を止めた。私は安堵の息をつく。
 早くここから出たい。嫌な予感がする。

 鏡に気づいた途端に、地下室がただの資料庫から、薄気味悪い場所に変わってしまったみたいだ。

 部屋から出ようと鏡に背を向ける。
 すると――。

『私に、気づいて』

 女性のか細い声が、聞こえたような気がした。

「……何?」

 背後から、圧倒的な気配が襲いかかってくる。

 振り向かなくてもわかる。そこには、何かがいる。

 暗闇を凝縮したような。
 誰も触れられない深い海の底から手を伸ばす、恐ろしい何かのような。
 生臭くなまあたたかく、磯臭い匂いが部屋に漂う。

『殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。喰わせろ』

 低くしゃがれた声が、頭に響いた。
 その声は地下室の部屋をぐわんぐわん揺らしているようだった。

 ゼフィラス様が私を片手で庇い、剣を抜く。

 振り向いた先には、鏡の中から這い出てこようとしている黒々とした何かの姿がある。

 それは女性の体つきだった。
 黒い体は人の体を倍にしたくらいの大きさの、艶かしい女性の体つきをしている。

 細い腕は異様に長く、指先も枝のように長い。
 その枝のように長い指で、鏡のフレームを握りしめて、体を捻り鏡の中から外に出ようとしている。

 首も長く、闇を煮詰めたような顔には赤い半月状の口だけがぽっかりと浮かんでいる。
 その髪はゆらゆらと揺れて、髪のかわりにイソギンチャク状のぬるりとしたものがびっしりとはえていた。

『喰わせろ、喰わせろ、喰わせろ、魂を喰わせろ』

 単純な言葉だけを繰り返すその何かの首には、首枷がはめられている。
 首枷から伸びる鎖は、鏡へとつながっていた。

「……これは、不死のアルマニュクス」

 ゼフィラス様が呟いた。

 曰く、その体は闇でできているという。
 曰く、その体は不死で、魂を喰らうという。
 曰く、暴食のその魔物は、人が滅ぶまで喰らい続けるのだという。

 遥か昔に封じられた魔物。砂漠の遺跡の奥、迷路のような遺跡の最奥に閉じ込められて、二度と日の光を浴びることはない。

 その魔物が、どうしてここに。

「疫病、呪い……つまりは、魂を喰われたのか」

「遺跡の噂は神官家が作った嘘だったのでしょうか……それよりも、逃げないと! こんなものが、ずっとここにあったなんて」

「逃げるわけにはいかない。ここで倒す。こんなものが外に出たら、王都の民が皆、喰われてしまう。アルゼウス、リーシャ、逃げろ!」

「リーシャ様、お逃げください!」

「……っ」

 アルマニュクスは大きく頭を振った。私たちの言葉がわかっているとでもいうように、その頭にはえる髪のようなものが伸びて、扉付近の壁にぶつかる。
 砂埃と轟音と共に、壁が崩れる。通路は封鎖されて、逃げることはできない。

 アルゼウス様と私は、壁際に張り付くようにしてさがった。
 燭台も倒れて、蝋燭の炎が消える。カンテラの灯りの奥に、黒々しい魔性のものが唸り声を上げながら確かに存在している。

 メルアのご両親の本に、書いてあった。それは伝承を繋ぎあわせた、予想でしかないのだと。
 けれど今は、信じるしかない。私たちが、命を奪われないために……!

 ――アルマニュクスの指先に触れられたものは魂を抜かれる。
 魂は喰われて、抜け殻になった人の体だけが残る。

 外傷はない。ただ、肉体だけが残る。

「ゼフィラス様、指先に触れてはいけません……! 魂を抜かれてしまいます!」

「あぁ、わかった!」

 ゼフィラス様に向かって手が伸ばされる。アルマニュクスが動くたびに、部屋の書架が崩れ本が散乱し、盾や剣といった宝物が私たちに向かって飛んでくる。
 アルゼウス様がテーブルを倒し、盾にした。テーブルに剣や宝石がぶつかり、床に散乱する。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

今さら後悔しても知りません 婚約者は浮気相手に夢中なようなので消えてさしあげます

神崎 ルナ
恋愛
旧題:長年の婚約者は政略結婚の私より、恋愛結婚をしたい相手がいるようなので、消えてあげようと思います。 【奨励賞頂きましたっ( ゚Д゚) ありがとうございます(人''▽`)】 コッペリア・マドルーク公爵令嬢は、王太子アレンの婚約者として良好な関係を維持してきたと思っていた。  だが、ある時アレンとマリアの会話を聞いてしまう。 「あんな堅苦しい女性は苦手だ。もし許されるのであれば、君を王太子妃にしたかった」  マリア・ダグラス男爵令嬢は下級貴族であり、王太子と婚約などできるはずもない。 (そう。そんなに彼女が良かったの)  長年に渡る王太子妃教育を耐えてきた彼女がそう決意を固めるのも早かった。  何故なら、彼らは将来自分達の子を王に据え、更にはコッペリアに公務を押し付け、自分達だけ遊び惚けていようとしているようだったから。 (私は都合のいい道具なの?)  絶望したコッペリアは毒薬を入手しようと、お忍びでとある店を探す。  侍女達が話していたのはここだろうか?  店に入ると老婆が迎えてくれ、コッペリアに何が入用か、と尋ねてきた。  コッペリアが正直に全て話すと、 「今のあんたにぴったりの物がある」  渡されたのは、小瓶に入った液状の薬。 「体を休める薬だよ。ん? 毒じゃないのかって? まあ、似たようなものだね。これを飲んだらあんたは眠る。ただし」  そこで老婆は言葉を切った。 「目覚めるには条件がある。それを満たすのは並大抵のことじゃ出来ないよ。下手をすれば永遠に眠ることになる。それでもいいのかい?」  コッペリアは深く頷いた。  薬を飲んだコッペリアは眠りについた。  そして――。  アレン王子と向かい合うコッペリア(?)がいた。 「は? 書類の整理を手伝え? お断り致しますわ」 ※お読み頂きありがとうございます(人''▽`) hotランキング、全ての小説、恋愛小説ランキングにて1位をいただきました( ゚Д゚)  (2023.2.3)  ありがとうございますっm(__)m ジャンピング土下座×1000000 ※お読みくださり有難うございました(人''▽`) 完結しました(^▽^)

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

完結 お飾り正妃も都合よい側妃もお断りします!

音爽(ネソウ)
恋愛
正妃サハンナと側妃アルメス、互いに支え合い国の為に働く……なんて言うのは幻想だ。 頭の緩い正妃は遊び惚け、側妃にばかりしわ寄せがくる。 都合良く働くだけの側妃は疑問をもちはじめた、だがやがて心労が重なり不慮の事故で儚くなった。 「ああどうして私は幸せになれなかったのだろう」 断末魔に涙した彼女は……

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

侯爵家のお飾り妻をやめたら、王太子様からの溺愛が始まりました。

二位関りをん
恋愛
子爵令嬢メアリーが侯爵家当主ウィルソンに嫁いで、はや1年。その間挨拶くらいしか会話は無く、夜の営みも無かった。 そんな中ウィルソンから子供が出来たと語る男爵令嬢アンナを愛人として迎えたいと言われたメアリーはショックを受ける。しかもアンナはウィルソンにメアリーを陥れる嘘を付き、ウィルソンはそれを信じていたのだった。 ある日、色々あって職業案内所へ訪れたメアリーは秒速で王宮の女官に合格。結婚生活は1年を過ぎ、離婚成立の条件も整っていたため、メアリーは思い切ってウィルソンに離婚届をつきつけた。 そして王宮の女官になったメアリーは、王太子レアードからある提案を受けて……? ※世界観などゆるゆるです。温かい目で見てください

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

夫の隠し子を見付けたので、溺愛してみた。

辺野夏子
恋愛
セファイア王国王女アリエノールは八歳の時、王命を受けエメレット伯爵家に嫁いだ。それから十年、ずっと仮面夫婦のままだ。アリエノールは先天性の病のため、残りの寿命はあとわずか。日々を穏やかに過ごしているけれど、このままでは生きた証がないまま短い命を散らしてしまう。そんなある日、アリエノールの元に一人の子供が現れた。夫であるカシウスに生き写しな見た目の子供は「この家の子供になりにきた」と宣言する。これは夫の隠し子に間違いないと、アリエノールは継母としてその子を育てることにするのだが……堅物で不器用な夫と、余命わずかで卑屈になっていた妻がお互いの真実に気が付くまでの話。

処理中です...