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 入浴を終えて、髪や体を拭くと、用意してあったガウンを羽織る。

 厚手のガウンの紐を結んで、鏡で自分の姿を確認した。
 しっとりと湿った髪や、温まって上気した頬。ガウンだけを羽織った体。

 こんな姿をゼフィラス様に見せるのは恥ずかしかったけれど、ずっと浴室にこもっているわけにはいかない。

 扉を開いて遠慮がちに部屋に戻ると、そこには上半身裸になったゼフィラス様がいた。

「あ、わ……」
「リーシャ、体はあたたまったか? 寒気はしないだろうか、大丈夫か?」

「は、はい、大丈夫です。お待たせしてしまって、ごめんなさい。ゼフィラス様もお風呂に」
「あぁ、そうさせてもらう」

 ゼフィラス様の体は、私の体とは全然違う。
 胸もあついし、肩もがっしりしている。骨張った体は、男性という感じだ。

 顔がお綺麗だからつい忘れそうになるけれど、ゼフィラス様は体格がいい。
 黒騎士ゼス様をもう一つの顔として持っているのだから、それはそうなのだろうけれど。

 服を脱ぐと出てくる筋肉の鎧に、がっしりとした体つきに、どぎまぎしてしまう。
 男性の裸体など見る機会はないから、見てはいけないものを見てしまった気がして視線を彷徨わせた。

 照れてしまった私が何か間違っているのかと思えるほどに、ゼフィラス様は冷静だった。

 私と入れ替わりで浴室に向かうゼフィラス様を見送って、私はベッドに座った。

 ふかふかでふわふわの高級ベッドだ。
 海辺を意識してだろうか、白と水色という爽やかな色合いでシーツやクッションは整えられていて、ベッドフレームや天蓋の柱は濃い茶色になっている。

 天蓋があると、落ち着く。
 狭い場所に隠れているみたいな感じがするからかもしれない。

 温まった体が重たい。自然に瞼が落ちてきてしまう。
 
 ルーグはホテルの厩に預けてある。馬も白狼もお世話の仕方は基本的にはそう変わらない。
 びしょ濡れになって戻ってきた私たちを見て、無邪気に尻尾を振っていた。
 海で遊んできてよかったね、と言われているようだった。

 白狼のふかふかの体を抱きしめたい。お日様の香りがする毛並みに顔を埋めて、大きく息を吸い込みたい。
 海に落ちた女の子や、船の乗客たちが無事でよかった。

 でも──。

『海で溺れるなど、伯爵令嬢としての傷になる』

 そう、お父様が言っていた。私はまた繰り返してしまった。

 後悔はないけれど、だから私はクリストファーに嫌われてしまったのかもしれない。
 そして、ゼフィラス様ももしかしたら──。

 今まで私は自分が正しいと思ったことを、信じていた。
 人助けは、当然のことだ。
 困っている人がいたら真っ先に手を差し伸べる。それが恵まれた家に生まれた私の義務だと考えていた。
 
 それって、でしゃばりとか。偉そうとか。ともかく、女性としては嫌われる行動だったのかもしれない。

「……それでも、あの子が助かってよかった」

 自分に言い聞かせるようにして呟いた。

 信じていた人に裏切られてからの日々は、今まで当たり前だったものが当たり前ではなくなるみたいに、なんだか別の世界に迷い込んでしまった心許なさを感じるものだ。

 私が私でなくなってしまう。
 恋をしないなんて強がりだ。
 今は、ゼフィラス様に嫌われるのが怖いと思っている。

 嫌われるのが怖いのは――好き、だから……?

「リーシャ、疲れただろう? 少し眠るか」

 いつの間にか、ゼフィラス様が戻ってきていた。
 海水でパサついていた髪が、艶やかな銀色を取り戻している。
 黒いガウンから覗く首筋や胸元が逞しくて、私は慌てて視線を逸らした。

「大丈夫、です。私は、元気で……」
「……隣に座っても?」
「は、はい」

 いそいそとベッドから起き上がって、乱れたガウンを直す私の隣に、ゼフィラス様は座った。
 石鹸の爽やかな香りがする。
 私と、同じ香りだ。

「濡れた服は洗って乾かしてもらえるように、ホテルメイドに頼んでおいた。君の兄には状況を伝える手紙を書いて、届けてもらうように手配した。明日まで帰らないと。挨拶には明日伺うと勝手に決めてしまったが、かまわないか」
「はい……」

 泊まるということよね。
 ゼフィラス様は私の体を案じてくださっている。
 だからゆっくり休んだほうがいいとか、濡れた服が明日には乾くとか、それだけの理由だろう。
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