上 下
54 / 55

あらためまして、夫婦になります

しおりを挟む


 公爵家のよく手入れされた庭園はどこを切り取っても美しく、普段は花を愛でる習慣のないエニードも素直にみとれるほどだ。

 花の中に包まれるように立てられているガゼボからは、窓枠で切り取られた景色が絵画のように目に映える。

 そわそわと視線をさまよわせる落ち着かないクラウスの隣で、エニードは花を見たり、茜色に染まり始める空を眺めたりしていた。

「こうして、ゆっくりと花を愛でるのははじめてですが、いいものですね」
「君が、気に入ってくれて嬉しい。私も花を愛でる習慣はあまりないのだが、公爵家の庭が荒れ放題では、外聞が悪いからな」
「薬草が多いですね」
「分かるだろうか」
「はい」
「採集しては、試験的に育てている。量産することができれば、商品化できるだろう。花もそうだ。植えて増やせば、売り物になる」
「なんでも商売に繋げる貪欲さ、とても、素晴らしいものです」

 エニードが褒めると、クラウスは恥ずかしそうにうつむいた。
 うつむくクラウスの顔をエニードはのぞきこむ。話があると言ったのはクラウスだ。
 いつ話ははじまるのかと、じいっと見つめ続けると、クラウスはなおさら恥ずかしそうに困り果てた表情を浮かべた。

「そう、見つめられると、困る……」
「慣れてください。クラウス様は、セツカではなくエニードが好きだとおっしゃいました。私は私ですが、それなのに、セツカだと知った途端にそこまで狼狽えるとなると、やはりセツカが」
「そ、そうではなくてだな。もちろんセツカ殿は私の憧れだった。母のせいで女性が好きになれず、そもそも人というものが好きではなかった私の、初恋だったのだ」
「クラウス様は心根が優しいのです。だから、どれほど嫌っていても、両親を見捨てることができなかったのでしょう。ずっと苦しかったのでしょうね。よく頑張りました」
「エニード……」

 そう思ったから素直に褒めた。他者に対する尊敬は素直に伝えるべきだと、エニードは考えている。
 褒められて喜ばない者はいない。部下たちも、叱れば落ち込むし褒めたら喜ぶ。
 エニードも、褒められたら嬉しい。

 クラウスは瞳を潤ませて、意を決したようにがばっと顔をあげた。
 それから、エニードの両肩を痛くない程度に、大きな両手で力強く掴んだ。

「クラウス様?」
「君は誤解をしているようだが、私は男が好きなわけではない。男も女も嫌いだった。だが、セツカ殿は特別だった。──今は、君だけが私の特別だ」
「男性が好きなのかと思っていました」
「それは誤解だ。私は、エニードが、好きだ。君が好きだ。……どうしていいか分からないぐらいに、君が」

 切なく微笑むクラウスに、エニードもにっこりと笑った。
 エニードもクラウスが好きだ。はじめて会った時よりも、ずっと。
 人として、クラウスのことを好ましく思っている。

 好ましく思う相手と結婚できたということは、幸いなのだろう。
 両親が決めた結婚だが、色々あったもののクラウスの元に来てよかった。

「ありがとうございます、クラウス様。私もあなたが好きです」
「……っ、エニード」
「私はエニード・ルトガリアとして、生涯あなたに愛を誓います。あなたを守り、ルトガリア家を守り、民を守る。私の心臓にかけて、あなたに誓いましょう」
「私も、君に永遠の愛を」
「クラウス様が男性が好きというわけではなくてよかったです。どのように子作りをすればいいのかと、頭を悩ませていました」
「こ、こづく……っ、エニード、駄目だ。そのようなはしたないことを、君は言ってはいけない」
「何故。これは大切な話です、クラウス様」

 初夜は失敗してしまった。
 二度目の初夜もまた、失敗した。
 だが、三度目の初夜は成功させたい。エニードは両親を喜ばせたいのだ。
 それに──。

「私たちは夫婦です。クラウス様、私はあなたの子を生みたいと考えています」
「す、すまない、エニード。刺激が強すぎる……それに、そう急く必要はない。私たちは知り合ったばかりだ。共に、ゆっくり進んでいこう。君を大切にしたい」
「クラウス様、十分に大切にしていただいています」
「……エニード。では、一歩前に、進んでもいいのだろうか」
「はい。……っ」

 一歩前に──とは。
 一体何かと尋ねようとしたエニードの唇は、クラウスによって塞がれた。
 唇に柔らかいものがあたり、見開いた瞳は焦点を結ばず視界がぼやける。

 これが口付けというものかと気づいたころには、触れるだけの口付けをしたクラウスはすでに離れていた。

 ぱちぱちとまばたきを繰り返すエニードの前で、クラウスの顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
 エニードも若干照れた。当然である。エニードは、うららかな乙女だと自分を評価している。
 確かにずっと男性たちに紛れて騎士として働いてきた。
 男性には慣れているが、それは同僚として部下として慣れているのであって。
 恋愛に慣れているかといわれたらそんなことはない。

「え、エニード、嫌ではなかったか。大丈夫だっただろうか。す、すまない。こんなに急に、距離を縮めてしまって。もし嫌だったら、私を殴ってくれ」
「殴りません。夫婦なのですから、口付けぐらいはするでしょう。当然です。……ですが、どうにも、恥ずかしいものですね」
「か、かわいい……駄目だ、かわいい……こんなに尊いことがあっていいのだろうか、いや、ない……! エニード、かわいい……」

 クラウスは両手で顔を覆って天を仰いだ。
 エニードは口元に手をあてると、くすくす笑った。
 
 感情表現が豊かな夫が、可愛くて面白い。
 こんなに可愛くて子犬のような人なのに、有事の際にはエニードを守ろうとしてくれる。
 領民たちを率先して守ろうとする、立派な公爵だ。今はそうは、見えないが。

 そういうところが、好きだなと思う。

「……クラウス様。あらためて、よろしくお願いします。私は、騎士団長のエニードであり、あなたの妻のエニードです。仕事は続けたいのですが、構いませんでしょうか」
「無論だ。ルトガリア家は君を全面的に支援する。こちらこそ。よろしく、エニード。ふつつかな夫だが、君を愛している」

 両手を繋いで、微笑み会う。
 橙色の夕方の光が、きちんと夫婦になったばかりのエニードたちを穏やかに照らしていた。


しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・

青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。 婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。 「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」 妹の言葉を肯定する家族達。 そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。 ※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~

朱色の谷
恋愛
公爵家の末娘として生まれた8歳のティアナ お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。 お父様やお兄様は私に関心がないみたい。 ただ、愛されたいと願った。 そんな中、夢の中の本を読むと自分の正体が明らかに。

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。 ※感想欄では読者様がせっかく気を遣ってネタバレ抑えてくれているのに、作者がネタバレ返信しているので閲覧注意でお願いします…

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

義母様から「あなたは婚約相手として相応しくない」と言われたので、家出してあげました。

新野乃花(大舟)
恋愛
婚約関係にあったカーテル伯爵とアリスは、相思相愛の理想的な関係にあった。しかし、それを快く思わない伯爵の母が、アリスの事を執拗に口で攻撃する…。その行いがしばらく繰り返されたのち、アリスは自らその姿を消してしまうこととなる。それを知った伯爵は自らの母に対して怒りをあらわにし…。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

処理中です...