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あらためまして、夫婦になります
しおりを挟む公爵家のよく手入れされた庭園はどこを切り取っても美しく、普段は花を愛でる習慣のないエニードも素直にみとれるほどだ。
花の中に包まれるように立てられているガゼボからは、窓枠で切り取られた景色が絵画のように目に映える。
そわそわと視線をさまよわせる落ち着かないクラウスの隣で、エニードは花を見たり、茜色に染まり始める空を眺めたりしていた。
「こうして、ゆっくりと花を愛でるのははじめてですが、いいものですね」
「君が、気に入ってくれて嬉しい。私も花を愛でる習慣はあまりないのだが、公爵家の庭が荒れ放題では、外聞が悪いからな」
「薬草が多いですね」
「分かるだろうか」
「はい」
「採集しては、試験的に育てている。量産することができれば、商品化できるだろう。花もそうだ。植えて増やせば、売り物になる」
「なんでも商売に繋げる貪欲さ、とても、素晴らしいものです」
エニードが褒めると、クラウスは恥ずかしそうにうつむいた。
うつむくクラウスの顔をエニードはのぞきこむ。話があると言ったのはクラウスだ。
いつ話ははじまるのかと、じいっと見つめ続けると、クラウスはなおさら恥ずかしそうに困り果てた表情を浮かべた。
「そう、見つめられると、困る……」
「慣れてください。クラウス様は、セツカではなくエニードが好きだとおっしゃいました。私は私ですが、それなのに、セツカだと知った途端にそこまで狼狽えるとなると、やはりセツカが」
「そ、そうではなくてだな。もちろんセツカ殿は私の憧れだった。母のせいで女性が好きになれず、そもそも人というものが好きではなかった私の、初恋だったのだ」
「クラウス様は心根が優しいのです。だから、どれほど嫌っていても、両親を見捨てることができなかったのでしょう。ずっと苦しかったのでしょうね。よく頑張りました」
「エニード……」
そう思ったから素直に褒めた。他者に対する尊敬は素直に伝えるべきだと、エニードは考えている。
褒められて喜ばない者はいない。部下たちも、叱れば落ち込むし褒めたら喜ぶ。
エニードも、褒められたら嬉しい。
クラウスは瞳を潤ませて、意を決したようにがばっと顔をあげた。
それから、エニードの両肩を痛くない程度に、大きな両手で力強く掴んだ。
「クラウス様?」
「君は誤解をしているようだが、私は男が好きなわけではない。男も女も嫌いだった。だが、セツカ殿は特別だった。──今は、君だけが私の特別だ」
「男性が好きなのかと思っていました」
「それは誤解だ。私は、エニードが、好きだ。君が好きだ。……どうしていいか分からないぐらいに、君が」
切なく微笑むクラウスに、エニードもにっこりと笑った。
エニードもクラウスが好きだ。はじめて会った時よりも、ずっと。
人として、クラウスのことを好ましく思っている。
好ましく思う相手と結婚できたということは、幸いなのだろう。
両親が決めた結婚だが、色々あったもののクラウスの元に来てよかった。
「ありがとうございます、クラウス様。私もあなたが好きです」
「……っ、エニード」
「私はエニード・ルトガリアとして、生涯あなたに愛を誓います。あなたを守り、ルトガリア家を守り、民を守る。私の心臓にかけて、あなたに誓いましょう」
「私も、君に永遠の愛を」
「クラウス様が男性が好きというわけではなくてよかったです。どのように子作りをすればいいのかと、頭を悩ませていました」
「こ、こづく……っ、エニード、駄目だ。そのようなはしたないことを、君は言ってはいけない」
「何故。これは大切な話です、クラウス様」
初夜は失敗してしまった。
二度目の初夜もまた、失敗した。
だが、三度目の初夜は成功させたい。エニードは両親を喜ばせたいのだ。
それに──。
「私たちは夫婦です。クラウス様、私はあなたの子を生みたいと考えています」
「す、すまない、エニード。刺激が強すぎる……それに、そう急く必要はない。私たちは知り合ったばかりだ。共に、ゆっくり進んでいこう。君を大切にしたい」
「クラウス様、十分に大切にしていただいています」
「……エニード。では、一歩前に、進んでもいいのだろうか」
「はい。……っ」
一歩前に──とは。
一体何かと尋ねようとしたエニードの唇は、クラウスによって塞がれた。
唇に柔らかいものがあたり、見開いた瞳は焦点を結ばず視界がぼやける。
これが口付けというものかと気づいたころには、触れるだけの口付けをしたクラウスはすでに離れていた。
ぱちぱちとまばたきを繰り返すエニードの前で、クラウスの顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
エニードも若干照れた。当然である。エニードは、うららかな乙女だと自分を評価している。
確かにずっと男性たちに紛れて騎士として働いてきた。
男性には慣れているが、それは同僚として部下として慣れているのであって。
恋愛に慣れているかといわれたらそんなことはない。
「え、エニード、嫌ではなかったか。大丈夫だっただろうか。す、すまない。こんなに急に、距離を縮めてしまって。もし嫌だったら、私を殴ってくれ」
「殴りません。夫婦なのですから、口付けぐらいはするでしょう。当然です。……ですが、どうにも、恥ずかしいものですね」
「か、かわいい……駄目だ、かわいい……こんなに尊いことがあっていいのだろうか、いや、ない……! エニード、かわいい……」
クラウスは両手で顔を覆って天を仰いだ。
エニードは口元に手をあてると、くすくす笑った。
感情表現が豊かな夫が、可愛くて面白い。
こんなに可愛くて子犬のような人なのに、有事の際にはエニードを守ろうとしてくれる。
領民たちを率先して守ろうとする、立派な公爵だ。今はそうは、見えないが。
そういうところが、好きだなと思う。
「……クラウス様。あらためて、よろしくお願いします。私は、騎士団長のエニードであり、あなたの妻のエニードです。仕事は続けたいのですが、構いませんでしょうか」
「無論だ。ルトガリア家は君を全面的に支援する。こちらこそ。よろしく、エニード。ふつつかな夫だが、君を愛している」
両手を繋いで、微笑み会う。
橙色の夕方の光が、きちんと夫婦になったばかりのエニードたちを穏やかに照らしていた。
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