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嫁比べ、二回戦
しおりを挟む果たして次の試合は何をするのだろうかと、エニードは若干わくわくしながらマリエットの言葉を待った。
「エニード、可憐だった……すごく、素晴らしかった……! 私のために頑張ってくれてありがとう……!」
待っている間、クラウスがものすごく嬉しそうににこにこしながらエニードを抱きあげてくるくる回してきたので、好きなようにしてもらっていた。
いつも落ち着いていて穏やかなように見えて、感情表現が案外激しいのだ、クラウスという人は。
子犬にじゃれつかれている心境で回されているエニードを、マリエットは睨みつける。
「地味なくせに、クラウスをここまで虜にするなんて……っ、こんなにはしゃいでいるクラウスははじめて見たわ、何かおかしな薬でも飲ませたのではないの……!?」
「おかしな薬……? 人格を変えるような薬が出回っているのですか、お義母様。それは由々しき問題です。その話、詳しく」
「黙らっしゃい、そんな薬はないわよ。言葉のあやという奴よ」
「あや……」
「ふふ、エニード、可愛らしいな……君のその真面目なところが、私はたまらなく好きだ」
「クラウス様、そろそろ次の試合がはじまりますので、降ろしていただきたいのですが」
クラウスは真面目な男であり、クラウスの家の使用人たちも皆、真面目である。
エニードの真面目なところが好きというのも頷ける。
マリエットは遊び人だという話なので、散々苦労をさせられたクラウスは、遊び人が嫌いなのだろう。
「そ、そうだな、すまない……私としたことが、君の勝利が嬉しくてつい、浮足立ってしまった」
「浮足立つことを謝罪する必要はありません。私の経験上、どんな年齢の者でも嬉しいことがあれば浮足立つものなのです」
エニードは衛兵長のロランを思い出しながら言う。
ロランは強面で生真面目な男だが、時折奥方が娘を連れて差し入れなどを届けにきたときは「エミリーたん、僕の天使! 会いたかったよぉぉ~!」などと裏声で言って、娘を抱きあげてくるくる回っている。
つまり、抱きあげてくるくるまわるというのは愛情表現の一つだ。
──愛情表現の、一つ。
「……クラウス様」
「なんだろうか、エニード。何か話があるのか? なんでも言って欲しい」
「いえ」
クラウス様は私のことが好きなのだろうか……? 女なのに?
と、一瞬思ったが、勝負の最中に聞くようなことでもない。後回しでいいかと、エニードは気持ちを切り替える。
一瞬、きゅん、としたような気がした。
手を差し伸べても逃げてしまう子猫が、近づいてきてくれた時の、きゅん、に似ている。
「次こそ、見ていなさい! いけるわね、レミニア!」
「はい、お義母様!」
片手を突き出して、マリエットが言う。レミニアが気合を入れなおしたように頷いた。
これは、何かににている。
あの路地裏で出会った量産型悪人が、デルフェネックに「やっちまえ、デル公!」と言っていた仕草によく似ている。
マリエットはやはり、量産型悪人なのだろうか。街中のごろつきと同一視してしまうのは悪い気がするが、でも似ている。
ということは、マリエットもエニードブートキャンプに参加させたら、性根をいれかえるのでは?
と、思ったところで頭の中のラーナが「いけません、エニード様。エニード様のお義母様なのですよ!」と咎めてきたので、その考えを打ち消した。
レミニアも大変だ。立場上、マリエットに従わなくてはいけないのだから。
レミニアの姿が、悪人と一緒にいたデルフェネックに重なった。
「それでは、次は料理対決よ。レミニアは、お菓子作りが得意なの。侯爵令嬢だというのに、お菓子作りも料理もできる、家庭的で素晴らしい女性なのよ! 見たところ、運動は得意なようだけれど、料理などしたことがないでしょう? 尻尾を巻いて逃げるなら今のうちよ!」
「エニードさん、私の料理は、料理長からも美味しいと評判なのです。あなたにも食べて貰いた……ではなくて、潔く負けを認めてもいいのですよ……!?」
「料理ですか……分かりました」
料理をすることが勝負になるのだろうかと、エニードは疑問だった。
もっと何か、ないのだろうか。例えば、そう、貴族令嬢たちがよく手にしている扇を持っての、決闘などは──。
いや、駄目だ。エニードは女性を傷つけない。傷つけないように戦うこともできなくはないのだが。
「ルトガリア家の厨房をおかしください。クラウス様は何がお好きですか? なんでも好きなものをつくりますよ」
「結構だ。食にこだわりはない」
「クラウス様、私は庭をお借りします。それから、小一時間ほどお時間をいただきたく思います」
近づいてくるレミニアを、クラウスは鬱陶しそうに追い払った。
エニードは皆に礼をすると、そそくさと大広間から出て、愛馬の元へと向かおうとした。
クラウスの好みの味など知りはしないし、好きな料理も知らないが、そんなことをいちいち気にしていたら野営もできない。
遠征地では食事を現地調達することも多く、エニードは現地調達がとても得意である。
「どこに行くんだ、エニード。大丈夫か……!?」
「問題ありません。しばしお待ちを。料理を作ればいいのですよね」
「ふふ、敵前逃亡とは、情けないわね! この勝負、レミニアの勝ちね! でも、気を抜いてはいけないわ、クラウスに自慢の料理を食べさせてあげるのよ、レミニア」
「はい、お義母様!」
クラウスは引き留めてくるし、マリエットもなにやら言っているが、エニードとしてはさっさと料理をはじめたい。
確かにさきほどの本とグラスを頭に乗せる謎の競技よりは、料理の方がやりがいがある。
エニードは愛馬に乗り、森へ向かった。
王国内の大体の地理は、エニードの頭の中に入っている。ルトガリア領には、魚のとれる湖も、海も、獣のとれる森もある。
何をつくろうかと考えながらエニードは森に分け入った。
本当にこのドレスというものは動きにくいなと思いながら、森を突き進んでいく。
だが、度重なるドレスでの生活で、少しは慣れてきたような気もする。
「──魚だな」
ルトガリア領の湖には、非常に美味と言われる珍しい魚が生息していたはずだ。
エニードは森の奥の湖までやってきた。釣りをしている暇はない。さっさとドレスを脱ぐと、ためらいなく湖に飛び込んだ。
透明度の高い湖の中には、様々な魚が泳いでいる。だが、エニードの獲物は一つきりだ。
エニードは、愛馬にいつも積んでいる短剣を手にしていた。
本当は柄の長い槍の方が狩りはしやすいが、エニードぐらいになれば、どんな道具でも、たとえ素手でも獲物を捕まえることができる。
部下たちに魚や獣をとって振舞うと、「セツカ様さすがです」「セツカ様、夫になってください」とよく言われるものである。
ジェルストには「セツカ様の下着姿を見てもなんとも思わないのが悲しい」とよく言われる。
エニードもジェルストの全裸を見てもなんとも思わないので、お互い様というものだ。
潜水能力も、肺活量も常人離れしていると自負しているエニードがしばらく泳いでいくと、湖の中に巨大な魚影を発見した。
鱗が虹色に輝いていて、美しい魚だ。
その大きさはエニードと同じぐらいである。
(虹鱗クイーンサーモンだな……!)
サーモンには、キングサーモンとクイーンサーモンの二種類がある。
その中でも鱗が虹色に光種類は、魚の中でも一番美味とされていて、一口食べると口から虹が噴き出して空にかかるという逸話があるほどだ。
エニードは真っ直ぐに虹鱗クイーンサーモンに向かい水中を蹴った。
エニードに気づき、クイーンサーモンはすぐさま逃げようとするが、水中であってもエニードは素早いのだ。
まるで海中のマグロのようにサーモンに突撃し、短刀を突き刺した。
びちびちと暴れるサーモンに手刀を喰らわせて気絶させて、突き刺した短刀を持ち手にして水面に浮上していく。
ざばんと、水面に顔をだしたエニードは、さながら人魚のように優雅である──と、エニードは思っている。
ジェルストたちには「野生」「野生の熊」と言われるが、まぁ、熊も強いので許容範囲だ。
虹鱗クイーンサーモンを縄で縛って、愛馬に乗せている布で体を拭くと、ドレスを着なおした。
若干乱れているが、料理をするのだから服が乱れるぐらいはたいしたことではない。
エニードは巨大なサーモンを背中に担ぐと、いつものことなので慣れた顔をしている愛馬に跨り、ルトガリア家に戻った。
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